16 対峙
わたしは階段を駆け上がりアトリエへ急いだ。
「イルマ?」
走りながら何度もイルマに呼びかけた。
ベンチの影に、ペットボトルの影に、木立の影に、夜空の暗闇にさえ。
「イルマっ!?」
いくら呼んでも返事はない。
こんなことは初めてだった。
宇宙人を自称するイルマ。
はるか多次元の住人で、全ての可能性に遍在し、おそろしくマイペースで、あらゆる意味で揺るぎのない存在。
そんな彼に不測の事態など、あり得るのだろうか。
少なくともわたしには信じられなかった。
それでもイルマからの返事は途絶えたままだ。
イルマの沈黙に予期せぬ何かを予感して、わたしは不安になる。
真っ先にアパートに駆け戻りたかったけれど、それと同じくらいキシの様子も気がかりだった。
せめてキシに一言かけておきたい。
もどかしい思いで階段を上がり、踊り場の角を曲がる。すれ違い様に誰かと肩をぶつけた。すみません、と頭を下げる余裕もなかった。
死にもの狂いの突撃のように、振り向きもせずアトリエに駆け込んだ。
アトリエにはまだ明かりが灯っていた。
キシは課題とグループ展の制作が立て込んでいて、当分、閉館時間までアトリエに缶詰のはずだ。
「キシ。ごめん。帰る――」
そのままとんぼ返りしそうになりながら、思わぬ光景が目に入って、わたしは動きを止めた。
室内にはキシがいて、キシと対峙するように、タマサカさんがいた。
トキワとワタリの姿はない。
二人だけだ。
彼らは何かを話し合っていたように見えたけれど、既に会話は終わったのか、お互いに黙り込んだまま、口をきく気配はない。
キシの表情が強張っている。
固い表情の下に、怒りを感じて、わたしはぎょっとする。
キシが怒る姿なんて見たことがない。
キシの怒気をさして気にするふうもなく、タマサカさんはわたしのスマホを手にてって、珍しい水生生物でも観察するように、じっと眺めていた。
「タマサカ……さん?」
タマサカさんがわたしのアトリエに顔を出すなんて初めてだ。
別に交際を隠しているわけではないけれど、わたしとタマサカさんが大学構内で顔をあわせる機会はほとんどない。
用事があるならスマホで済むし、徒歩三分の距離には自宅アパートもある。
わざわざ外で会う必要も感じなかった。
キシもタマサカさんも、わたしを介して互いの存在を知ってはいるはずだけれど、直接の面識はないはずだ。
双方ともに同じ美大に所属し、同じアパートにたびたび訪れていながら、すれ違ったことさえない。
それは今更ながら、ひどく不自然なことに思われた。
どちらかが、あるいは両者が、偶然の邂逅を避けていたのかもしれない。
そう考えるほうが自然な気がした。
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