5 退学
スズキが退学したらしい。
そう知らされたのは夏休み三日前のことだった。
午後の講義を終えて、アトリエで課題の続きにとりかかったところで、トキワが駆け込んできたのだ。
「誰か知ってた?」
開口一番に問いかけられて、わたしは訳も分からず首を傾げた。
「今、先生から聞いたんだけど、スズキ君、退学したって」
聴いた瞬間、わたしはサイトウを振り返る。
課題の提出期限が迫っているとかで、アトリエには久しぶりにサイトウの姿もあった。サイトウはそういうふうに描かれた自画像みたいに、瞠目したまま硬直していた。自画像にタイトルをつけるなら『驚愕』だろうか。
「はあ?」
一拍の間を置いて筆を持ったまま立ち上がる。
「うそだろ。おい」
サイトウはスマホを取り出すと、慌ててタップしはじめた。
指が霞んで見えるくらい高速でタップして、耳にあてたりじっと眺めたりを何度も繰り返す。いくらか粘ったけれど、とうとうサイトウはスマホを放り出した。
「ダメだ。つながんねぇ。Townもメールも返信ない」
サイトウはスズキと同じ画塾出身で付き合いも長い。
学内でもよくつるんでいただけに、サイトウに退学を知らされていなかったのは意外だった。もちろん、サイトウが知らないものを、わたしたちが知るよしもない。
スズキの急な退学に、皆一様に驚きを見せた。
だけどそんな気はしていたのだと、トキワとサイトウが口をそろえる。
もうずいぶん前から、スズキは絵を描いていない。
本業の油絵はもちろんのこと、いかなるアート活動とも無縁だった。
描けなくなった、と周囲にこぼしていたらしい。
やる気がでない、とも。
そんな状態で大学を続けるのは辛かっただろうし、どのみち単位不足で留年するのは誰の目にも明らかだった。
辞めるか留年かの二択しかスズキには残されていなかったのだ。
せめて相談ぐらいしろよな、とこぼすサイトウを横目に、わたしは筆を持った手をぼんやりと眺めた。
――落書きじゃないか。
笑い声と一緒に聞いた、ワタリの声が脳裏を過る。
その後に続くダメ出しの数々。
感情が抜け落ちたスズキの顔。
バキンと砕かれたパレット。
かさぶたみたいに残された、赤黒い絵具の粉。
一連の光景が次々に思い出されて、わたしは息苦しさのあまり俯く。
スズキがアトリエでワタリと鉢合わせたのは、つい二日前のことだった。
あの出来事が、スズキに残ったわずかな在学意思に、とどめを刺してしまったのだとしたら?
もしそうならスズキの退学はわたしのせいだ。
二人の不仲を知りながら、ワタリにスズキの話題を振ったりしたから――
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