2 現実


 「お前なー」


 ヤレヤレと首を振ってワタリは続けた。


 「アーティスト気取りもいいが絵で喰ってきたいなら、そんな殿様営業じゃやってけないぞ。霞でも喰ってく気か?」


 体育教師か現場監督みたいにピンと背筋をのばして腕組みすると、ワタリは現実がいかに厳しいのかについて、滔々と語り始めた。


 芸術家は十年に一人しか出ないと言われるアートの世界。

 純粋なアート活動のみで食べていける者はほとんどいない。


 芸術とは。

 本質とは。

 死生観とは。


 学内で感性と芸術論をぶつけあい、『本質を抉る洞察』や『常識を覆す新たな価値観の創造』を目指して格闘し続けた学生たちも、いずれは就職していかなくてはならない。


 ゲーム会社。広告代理店。デザイン事務所。そうした内定先の業務内容に芸術の入る余地はもちろん無い。企業が社員に求める要求はいろいろあるにしろ、結局のところ『売れ』の一言にすべてが集約される。


 社会の歯車のひとつになって『売れる物』を作る。


 『売れる』を至上命令に働き、日々の生活に忙殺され、あらゆる芸術活動から遠ざかっていくことを、学生たちは『就職リタイヤ』と呼んだ。


 芸術家は十年に一人と言われる世界なのだから、当然その一人以外のその他もろもろたちは、遅かれ早かれ『就職リタイヤ』していかなくてはならない。

 わりとあっさりと、あるいはジタバタと瀬戸際までもがきながらリタイヤしていった先人たちは、表現者の表現者たる性なのか、自らが経験した葛藤をなんらかの道しるべにと、後輩に語りたがる者も多い。


 おかげで現役の学生たちは、いかに「現実が厳しい」のかを、口を代え人を代えあの手この手で聴かされなくてはならないという、課外授業を余儀なくされていた。


 わたしはそっと溜息を漏らす。

 正直、この手の話は聞き飽きていた。


 同じ心情なのだろう。際限なく垂れ流されるワタリの説教に、トキワがちらりと軽蔑の視線を投げかける。彼女はそそくさとイヤホンで耳をふさいで、自分のキャンバス世界へ避難していった。


 「――納期を守ってこそプロだろ?」


 前のめりにワタリがキシに詰め寄る。

 何かと世話をやく体を示しては、ワタリは口煩くキシを叱った。

 決して言い返さないキシは、説教好きなワタリにとって格好の標的なのだ。


 「だね」


 キシが頷く。

 キシの声には反発もなければ共感もない。ただ律儀に頷く。俯いた猫背ぎみの横顔にパラパラと前髪がかかる。長身のキシは出来るだけ小さくなろうとしているように見えた。

 誰かを見下ろすことを申し訳なく思っている伏し目がちで静かなキシの横顔を見ていると、わたしはいつも悲しくなる。


 ――そっとしておいてあげて欲しい。


 わたしは強引にワタリの話に割って入った。


 「そうえいばスズキ君知らない?」

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