述懐昔話

@tsukuhane

ある三匹の子豚の母

 私はこの村に住む豚でございます。今は村の外れに三男が建ててくれた家で独り暮らしながら、畑仕事をして日々生活しています。女一人で暮らしているとはいえ、自分自身が毎日食べる分だけの野菜を作ればいいだけなので、畑仕事が苦だと思ったことはありませんし、時々、三男からの仕送りもあるので何とか生活はできています。

 夫は15年前に亡くなりました。夫とはもともと同じ村に住んでおり、ご近所同士のいわば幼馴染でした。私の家と夫の家は家族同士での付き合いもあり、私と夫が恋仲になるのも時間の問題でした。夫が私に結婚を申し込んできたのは、私が14歳の時でした。当時は世間のことを何にも知らなかったウブな私は、プロポーズを受けたことに舞い上がってしまい、すぐに結婚の申し出を受け入れました。冷静に考えてみれば、14歳という年端もいかない子供が結婚を口に出すだけちゃんちゃらおかしいと思いますが、当時の私は自分が置かれた状況を冷静に見つめられる程の頭は持ち合わせていませんでした。

 当たり前のことですが、私の親は猛反対しました。両親は絶対に喜んでくれると確信していた私は、親が反対をしていることが理解できませんでした。

「まだ早い」

「お前にふさわしい婿は他にいる」

「一人で勝手に決めるんじゃない」

 親は可愛い娘と離れ離れになるのが嫌だから、無理に反対しているんだな、と無知な私は本気で思っていました。他のみんなであればきっと理解してくれると思い、同じ村の友達、近所のおじさんやおばさんに、相談してみました。私としては、頑固な親を説得するいい方法があればと期待したのですが、理解を示してくれる者は誰もいませんでした。みんな口々に同じようなセリフをしゃべるのでした。

「若いから早まるんじゃない」

「ほかにもいいオスはいる」

 周囲の無理解に私は絶望しました。夫の方も、周りの者たちから散々止められたようでした。しかし、私たちは思いとどまるどころかさらに行動をエスカレートさせていきました。私と夫は、二人が本気で愛し合っているのを理解しようとしない大人たちに見切りをつけ、なかば駆け落ち状態で村から逃げることにしたのです。今にして思えば、後先考えずにだいぶ無茶なことをしたなと思います。若気の至りとしかいいようがありませんでしたが、当時の私たちは二人で幸せになることしか考えていませんでした。

 村から逃げた私たちは、山を3つ越えたところにある小さな村に住まいを構えることにしました。村外れにある小さな小さなお手製のワラの家。本当に粗末な小屋でしたが、私たちはこれから訪れる二匹だけの生活を期待し、希望に満ち溢れていました。夫は家の近くで畑を耕し、野菜を栽培して、町に売りにいってはわずかばかりの日銭を稼いでいました。私は少しでも生活が楽になる様に、微力ながらも夫の畑仕事を手伝いました。

 二匹だけの小屋を建てて住み始めてから1年ほどして、私は長男を産みました。自宅は村の外れにあるということや、ヨソ者に厳しい村人の気質もあり、私たちに好意を持つ村人は皆無でしたが、私は、夫と息子がいればあとは何もいらないとさえ思っていました。小さな村の外れにある小さなワラの家で小さな小さな幸せをかみしめていました。

 でも、幸せな日々は長くは続きませんでした。

 私が二男を身ごもった頃のことですが、村を治めている地方の領主が隣国と戦争を始めました。始めのうちは生活に何も変化はありませんでしたが、そのうち、年貢が増えていきました。年貢が増えても夫の収入が増えることはありませんでした。村はずれにある家の畑は土地が貧しく、耕しても耕しても収穫量が増えることありませんでした。収穫量が増えませんので、野菜を町で売って手に入れるお金も大して変わりませんでした。そのくせ年貢ばかりが増えたので、生活はちっとも楽になりませんでした。

 やがて二男が生まれると我が家はますます貧しくなりました。戦争はいつまでたっても終わるように思えませんでした。私たちと関係のないところで始まった戦争なのに、私たちの生活を侵食していきました。

 夫は一向に良くならない生活に嫌気がさしたのか、家に帰ると愚痴をこぼすようになりました。私の方も夫の愚痴を聞いてやるだけの心の余裕はありませんでしたから、うっ憤の溜まった夫はそのうち酒に逃げるようになりました。夫が飲む酒の量は月を追うごとに増えていき、否応もなく家計を圧迫しました。酒を飲んでも憂さが晴れるわけではなく、夫は現実を避けるように、昼も夜も酒に逃げ込むようになりました。昼間から酒を飲む夫が畑仕事をするはずがなく、もともと少なかった収入はさらに減り続けました。夫に働くよう強く言っても、話を無視するどころか、私や子供達に手を出すようになりました。私は夫が手を出して気が晴れるならそれでも構わないという気持ちもあったかもしれません。小さな幸せをかみしめていた家庭はいとも簡単に崩れ去りました。

 夫が仕事をしないのならば、私が代わりに働くしかありません。私は町に出て、小料理屋で働き始めました。正直なところ、酒浸りになり、暴力をふるう夫と一緒に時間を過ごしたくないという思いもありました。暴力を振るう夫がいる家に子供達を置いていくのは心もとありませんでしたが、生きていくためには仕方がないと自分に言い聞かせて、身を粉にして働きました。皮肉なことですが、働いているとき、私は幸せを阻むすべての嫌なことを忘れることができました。後ろ向きなようにも思えましたが、ある意味で幸せな時間でした。

 ただ、くたくたになるまで働いて家に帰ると、酒しか飲まない夫とそんな夫との間に生まれた二人の息子が目に付き、私はどうしようもない現実を見せつけられるような気がして、どっとため息をつくようになりました。夫はともかく息子たちに罪がないのは百も承知ですが、私は家に帰るのがますます苦痛になりました。

 小料理屋で働くようになって、様々なお客様を相手にするようになりました。小料理屋の稼ぎだけでは足りないということもあり、小料理屋のパートという立場を超えていろいろ相手をすることもありました。正直な気持ちとして、ろくでもない現実を忘れたいという気持ちも心のどこかにありました。

 数年後、私は子供を授かりました。誰の子供かは全くわかりません。後ろめたい気持ちがなかったといえば嘘になるかもしれません。もしかしたら、現実に疲れていた私にとってその子供の父親が誰であるかなんてどうでもよかったのかもしれません。そんなことを考え出すだけの心の余裕はありませんでした。

 私が小料理屋以外の副業をしていたことや誰の子か分からない子供を身ごもったことを夫が知っていたかどうかは分かりません。昼も夜も酒におぼれるようになった夫でさえ、さすがに感づいていたかもしれません。夫とは生活のリズムが完全にずれてしまっていたので、私が家に帰ると夫はいつも眠っていましたから、夫が私の妊娠をどう思っていたかはよく分かりませんでした。でも、今にして思えば、夫にとってそんなことはどうでもよかったのかもしれません。夫はお酒が飲めればそれで十分でした。夫の世界にすでに私は存在しておらず、あの人自身と手元の酒のみが彼の世界のすべてだったのだと思います。

 酒という人生最大の伴侶を得て現実逃避にいそしんだ夫は、人生最後の伴侶によってこの世の中からの逃避にも成功しました。ある日私が家に帰ると、夫はすでにこと切れていました。その腕の中には私でも他の女でもなく、安っぽいラベルのまずそうな酒の瓶が眠っていました。長男と次男は冷たくなった父親を見て泣いていました。私は夫の死骸を目にしましたが、疲れていたので、泣き叫ぶ長男と次男を無視してとりあえず眠ることにしました。

 夫が死んだことについては何とも思っていません。当然の報いだと思います。でも、子供たちには優しくしてあげたら良かったなと少し後悔しています。

 夫の葬儀は,それはそれは粗末なものでした。小さなワラの家の隣に小さな小さな木製のお墓。これが今してあげられる最大限の努力でした。駆け落ちをして逃げてきた私たちに頼れる親類縁者はいるはずもなく、村の連中は誰も気にかけてくれませんでした。確かに晩年の夫は、酒に入り浸り、村の中でトラブルは起こすは、方々に借金をするはで、村での評判は地に落ちていましたから、ある意味仕方のないことではありました。

 早々に夫の死後にけりをつけると、私は今まで通りの仕事に戻りました。夫という重荷がなくなった分、むしろ生活は楽になったような気がしました。ただ、子供たちが幸せだったかは分かりません。その頃の子供たちの顔はどうにも詳しく思い出せないのです。子供たちと面と向かって話をしていなかったのが大きかったと思います。長男と二男はいい加減分別のつく年齢になっていましたので、私がどのような仕事をして、彼らの生活するお金を稼いでいるのかを薄々理解するようになっていました。子供たちが私を意識的に避けるようになっていたような、そんな気がするようになっていました。それでも、当時の私は子どもたちの気持ちを都合の良い方向で解釈していただけかもしれません。今にして思えば、子供たちと敬遠するようになったのは、むしろ私の方だったのかもしれません。忌々しい夫は亡くなりましたが、長男と二男が段々と夫に似るようになったのです。顔つき、背格好はもちろん、口調や仕草まで若いころの夫を見ているような気分になることが時々ありました。

 もう吐き気しか起きませんでした。

 本当ならば、罪のない子供たちにはきちんと向き合ってあげることが親としての努めだったのかもしれません。きちんと向き合ってあげていれば、もしかしたら、あの結末は違ったものになっていたのかもしれないですね。まあ、今さらもしものことを語っても仕方ありませんがね。

 反対に、三男は全く夫に似なかったので、その点では助かったかもしれません。しかし、三男は時々、何を考えているのかわからないような顔で、あらゆる感情を取り去ったような、表情のない顔で私をじっと見つめることがあったことだけが恐ろしいことでした。なぜ三男がそのような顔で私を見るか全く理解できませんでした。

 何にせよ当時の私には家に戻ることは苦痛でしかありませんでした。私と子供たちの関係は、夫の死後、急速に悪化していったのでした。

 数年後、子供たちが粗末な村の外れにある粗末なワラの家を出て、それぞれに新たな人生を歩むことになっていくのですが・・・あら、もうこんな時間ですか。ずいぶん長いことお話ししていましたね。 

 それでは、この続きはまた今度にいたしましょう。

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