俺達は、揺り篭の中で殺意を燃やしながら。 05

「今回は本当に有難う。貴方には感謝してもしきれないわ……花折に何も知らせていない事も含めて」

 この夏何度も聞かされた言葉をまた繰り返す葉切。家へと連れ帰られた花折を抱き締めて、号泣しながら何度も頭を下げられたのはまだ記憶に新しい。

 そして、泣きながら花折に何も伝えたくないのだと縋りつかれたことも。

「あの子にまた平穏を、日常を取り戻してくれて本当に感謝してるの」

「……やめてくれ。俺は納得してる」

 嘘で構築された経緯も、虚構と同意の真実も。

 花折がまだままごとのような作られた世界に囲まれている事も。

「いつかは……いつかは本当の事を言うつもりなのよ」

 ただ、葉切は高岡教員と違い夫にさえもまだ真実を伝えていない。葉切の実験結果を踏まえてもう一歩踏み込んだ『我々が宇宙人だと知ってもなお、受け入れてもらえるのか』という春過と高岡教員のケースとは違うのだ。

「俺は、別に真実は公表されるべきだなんて正論を振りかざすつもりはねえよ」

 こちりこちりと掛け時計の秒針の進む音を聞きながら俺は呟く。

「……だけど、できれば情報漏洩の危険が付き纏うとしても、もう少し俺があいつを構う事を許して欲しい」

 その呟きは、ただの俺の我儘だった。葉切はコップに注がれた水面に目を落とす。

「ええ……承諾するわ――それにしても皮肉なものね。どれだけ普通に育てようとしても、結局貴方や遠里や春過のような、我々ばかりが花折を取り囲むんだから」

 俺は、彼女の言葉に無言を貫く。その胸中を推し測る事ができないまま。

 本来なら、俺は花折から離れるべきなのだろう。実際に、一時凍結されていた花折の情報を再度解凍してこの街に展開する際に、花折から俺の記憶を抹消する事も検討されたらしい。

 だけど、それは春過や葉切の意思によって却下された。

 それが、彼女からの答えなのだと俺は信じている。

 階上から扉を開く音が聞こえる。うたた寝から花折が醒めたのだろう。疲労による眠りではないので、いつも少し寝れば花折は元気に活動を再開する。階段を下りる足音を聞きながら、俺はずっと気になっていた質問を葉切にした。

「最後に聞きたいんだけど。なんであんな名前付けたの?」

 花折。余り縁起の良い字面とは言えない。未散、葉切、春過、遠里、全て降下直後に、その漢字の意味を分からないままに元の名前を変換したり響きの似たものを無理矢理当て込んだりして付けられた名前だ。日本語が解析されるに連れて、漢字の意味合いが名前に相応しくないものが多かったことが判明し、地球生活がある程度落ち着いてからどうしてもという面々に対しての呼称修正対応に無駄な労力が費やされたというのは我々の間でも有名な話だった。

 だからこそ、葉切が生まれた子供にいかにも我々的な名前を付けたことが不思議だった。

「良い名前でしょう?」

 彼女はウェーブのかかった髪を撫で付けながら微笑む。

「花を折るように、他人を手折ってでも生きていって欲しいって私は願っているの」

 なるほど、いかにも我々らしい考え方だ。俺もつい微笑み返してしまう。

 平穏に埋没して欲しいと願って止まなくても尚、他人を蹴落とす事を前提にする葉切も十分まだ本能から抜け切れていない。

「貴方の名前と、少し似てるわね」

 その通り。俺も似たようなものだ。顔さえも覚えていない親からの与えられた唯一無二。

 命未だ散ること無かれ。

 そう、名前の通りずるずると一人生き残って、こんなところまで来てしまった。

 そして、やっと出会ってしまった。

 階段を駆け下りる音が響く。

「未散、ごめん寝ちゃってた!」

 本能を乗り越えて、殺さずに付き合いたいと思う存在に。

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