俺達は、揺り篭の中で殺意を燃やしながら。 04

「こらお前等!早く来なさい!」

 開け放たれた分厚い体育館の鉄扉の前で、スカートをはためかせて仁王立ちで叱咤するのは高岡教員だ。年中ジャージだった服は今や紺のサマーニットにシフォンスカート、運動靴はローヒールのパンプスに様変わりしている。学校最大の夏休みデビューと囁かれて甚だしいその姿は、しかし素晴らしく麗しい。通り過ぎる生徒たちから向けられている視線が、嘲笑よりも羨望が大半を占めているのが何よりの証拠だ。薄く化粧がされた顔に、まだ慣れないコンタクトの嵌った切れ長の瞳を細めて彼女は俺たち二人に手招きする。

「先生!すっごい綺麗だよー!」

 屈託無い満面の笑みで花折が高岡教員を絶賛する。高岡教員は動揺したように視線を逸らした。この天然たらしめ。 

「その……今回は助かった。春過のリハビリにも付き合ってくれて」

「いいんですいいんです!それにしても卒業旅行先で事故に遭ってたなんて本当に驚きでしたよね!」

 俺はちらりと高岡教員に目を向ける。彼女は心得ているとばかりに軽く頷いた。

「そうだな、だが後遺症ももう殆ど無いようだし、大学にも上手く編入できた」

「それは良かった」

 俺は曖昧に頷く。

 我々と彼女とで作り上げた台本はこうだ。南栄春過は卒業式を待たずして春休みの間海外へと旅をした。そこで大きな事故に巻き込まれて、日本に戻る事もできないまま二年間眠り続けていたと。春過が本当に眠っていたので変に記憶の辻褄をあわせる必要も無く、言い訳としては適当だった。春過の入院履歴など掘り返す人間はそれこそ高岡教員ぐらいしかおらず、彼女の合意さえ取れれば我々側としても渡航データを捏造するくらいの作業で良い。

「本当に良かったよね!」

 口こそ良く回ってはいたが、休眠から醒めたばかりの春過は生まれたての子鹿状態で、そのリハビリに俺と花折と高岡教員の三人が夏休み全てを費やした。二人っきりにしてやりたかったが流石に男手が必要だったし。

 その結果が、高岡教員の「助かった」だった。

「それで先生……顧問の件なんだけど……」

 窺うように花折が目を向けると、先生は薄く口紅を塗った唇を綻ばせて言った。

「もちろん、今後とも頑張って活動して頂戴」

 やったーと、歓声を上げて拳を突き上げる花折の背を押して、俺は体育館の中へと入る。



 その日の帰り、花折は晩御飯を一緒にどう?と俺を家へと招きいれた。葉切と顔を突き合わせての食事を思うと俺は二の足を踏んだが、花折が当の母親から連れてくるようにとのことなのだから致し方ない。

「いらっしゃい」

 落ち着いた微笑みを浮かべてスリッパを差し出した葉切に気後れしながらも宅に上がり、ダイニングの椅子に座る。そこには既に湯気の立つ料理が並べられており、箸も三膳用意されていた。旦那は夜勤で今夜は戻らないらしかった。

「いただきます」

「……いただきます」

 おっかなびっくり俺は瑞々しいレタスが盛られたサラダや、芸術品のように盛り付けられた生春巻、まだぐつぐつと煮えるグラタンに箸をつける。どれもすばらしく味覚センサーに響き、俺は気がつけば全ての料理を平らげていた。

「やっぱり男の子が二人だと作り甲斐があって良いわ」

 葉切はにこにことしながら俺に食後のデザートまで勧めてくる。よく冷えた手作りのコーヒーゼリーを口に運びながら彼女の様子を窺うが、特に敵意のようなものは感じられなかった。

「……っつ」

 麦茶を啜っていると、唐突に花折の顎がかくりと落ちた。

「んあっ、ごめん」

 目を擦りながら恥ずかしそうに苦笑いする花折。

「少し疲れたんでしょう?二階に上がって眠ったら?」

 葉切に言葉を掛けられている間も、花折の長い睫毛の生え揃った瞼がとろりと落ちる。殆ど意識が無いのだろう、花折は促されるままに二階に上がっていき、部屋の扉が開閉される音が響いた。

「……まだ、後遺症が抜けねえんだな」

 俺の言葉に葉切が軽く頷く。遠里に拉致されて強制的に身体を凍結状態にされていたせいで、花折は未だに眠りのコントロールが覚束ない。時間が解決する問題だと聞かされてはいるが、授業中に熟睡し始めたり、歩きながら倒れそうになったりとまだ心配は尽きなかった。

「怪我も無く戻ってきてくれただけで十分よ」

 葉切はピッチャーからお茶を俺のコップに注ぎ足した。どうやらまだ帰す気はないらしい。

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