僕が緩やかに眠りにつくまで、君は踊って待っていて 13

 ムーンサイドへようこそ。

 月が見下ろす無音のグラウンドは、こんな言葉が良く似合うほどに荒れ果てていた。

 至る所に大小無数のクレーターが穿たれている。重機でも暴れまわったかのような跡は遠里の周囲を超高速で舞う触角が抉ったものだ。俺の右腕と左足もその弾みに持っていかれてしまった。

 荒い息を吐きながら俺は、アンバランスな姿勢で立っている。 

「ほんと……派手にやったもんだな……」

 バンカーのように緩く抉れた地面の底には、桜色の髪を振り乱して傾斜に凭れ掛る遠里の姿があった。此方が満身創痍なら、そっちは気息奄奄の体と言った所か。俺と違い四肢は残っているが、その部位含めて夥しい裂傷から紺碧の血を垂れ流していてはさして変わり無い。

「やっぱり……先輩には勝てませんね……」

 ぜえぜえと呼気の間から紡ぐ言葉は聞き取るのがやっとだ。

 もう勝負はついた。勝者など、何処にもいない。

 俺は馬鹿らしくなって、仰向けでその場に倒れ込んだ。片足だけでは立っているのも辛い。千切れた腕と足から信じられない量の血液が体外へと流れ出ていく。

「有難う御座いました。もういいです。もう飽きました」

 咽の奥を揺らす音、遠里は笑っているらしい。

「こんな世界、こんな星、もう宇宙の何処にも僕の生きられる場所なんて無い」

 違った。その咽を揺らすのは嗚咽だ。

 殺さないと生きていけなかった我々を体現した、本能の塊。

我々の純粋で透明な魂だけをトリミングした存在。過去を抱き締め続け墜ちてしまった亡霊。

 そんな存在を、どうして今更切り捨てられるというのだろう。

 遠里は、ほんの少し前の俺だった。

 ほんの少し前まで、気が遠くなるほど長い間、この星を呪っていた俺だった。

「遠里。お前は、我々だったものの誇りだ」

 俺は掠れる声で遠里へ最期の言葉を掛ける。 

「なっ…………なにを……」

「俺は、我々の中にお前みたいな奴がいた事を誇りに思う。それこそが、我々だ」

 俺の理性が否定した選択を、俺の本能が讃えている。

 矛盾していると言われても、本能がそう言っているのだ。

「何を……言うん……です……!!」

 岩のように重たく感じる自分の頭を遠里へと向ける。彼は、斜面に後頭部を凭れさせて、瞳だけを俺に向けていた。

「だから今は眠れ。この星が、人間が、お前が殺さなくてもいいと思える程に変遷する日まで」

「……それは上官命令……ですか?」

「そうだ」

「な……ら……しょうが……ない。だって……我々は、自分より……強い者には従わ……なければ…………いけな……いのだから」

 そこまで言って、納得したように微かに口の端を上げると遠里は目を閉じた。

 その瞼が再び開かれる事は無かった。

 遠里の外殻(ハードウェア)が休眠の準備にと、最後のエネルギーを振り絞って再生していく。

 何時とも知れぬ目覚めの日の為に。

「おやすみ」

 そうやって、七尾遠里は舞台を降りる。

 最後まで、我々の生き方を貫いたまま。

「時間がねえ……」

 俺は罅割れながらもまだ電波状態良好を示す携帯端末(タブレット)を取り出して、119をコールする。我々の持つ端末から発信される救難信号は、母船を介して特定の連絡先へと飛ばされる仕組みになっている。すぐに我々の火消し部隊が到着し、グラウンドは何事も無かったように復元され、休眠状態になった遠里も、これから眠りに付く俺も、纏めて人の目に触れる事のない安置所に運ばれていく手筈だ。

 そう、俺の体のエネルギーも既にすっからかんだ。すべて遠里との戦いで使ってしまった。腕と足を再生するだけの余力も無い。

「花折は……大丈夫だよな」

 結局、花折を助ける事しかできなかった。春過に関しては、俺は毛筋一本ほども事態を進展させられなかった。

「高岡教員には、悪い事したな……」

 俺が助けてくれと縋りついた時、ただの一度も高岡教員は春過は助かるのかなどと聞かなかった。助けてくれとも言わなかった。ただ、同意してくれた。

 偽物の春過――遠里に脅されていた時点で、本物の春過がどうなっているのかは察していたのだとしても、その潔さが返って俺に罪悪感を感じさせていた。

 だけどもう、謝る時間も無い。

「あーっ……なんかすげー疲れた……」

 頭上には満天の星空、これだけは昔からずっと変わらない。

 俺たちの星が壊れて消えても。

 この星が壊れて消えても

 そんな些細な事では変わらない。

 きっと、未来永劫変わらない。

「……次に起きたときは花折はもう死んでるんだろーなあ……」

 軋んでろくに動かない腕を持ち上げて、顔の前に交差させる。

 こんな顔を、こんな姿を、この空に見せる訳にはいかない。

「今度は、一人でももう少し上手く生きなきゃな……」

 地球が憎いなんてあるはずがなかったのだ。

 消えてしまえばいいなんて思うはずが無かった。

 だって此処も、俺の生まれた宇宙に違いないのだから。 

「あぁほんとうに――どこまでもどこまでも僕といっしょに行くひとはいないだろうか」

 孤独だった。

 急速に外殻(ハードウェア)を維持する熱量(カロリー)を失いつつある身体が、冷たく硬化していく。背に堅い土が触れているのに、まるで虚空の宇宙を一人で漂うような浮遊感が俺を襲う。

 こんな、頼りない、心もとない気持ちで俺は眠りに付くのか。

 そう僅かな失望感に襲われた時、不意に、俺の心が何かに触れた。

 鉛でも貼り付いたかのように重たくなった瞼を閉じる間に、見えるはずの無い映像が脳裏に流れる。

 月明かりに照らされた教室の中、伏している花折。閉じられた目の、長い睫毛が飛び立つ寸前の蝶のように微かに動く。何度か揺れ動いた後、菫がかった瞳が開かれる。

 そっと芽吹くように、我々と彼等のこれからを祝福するように。

 きっとこれからも、穏やかに全てが流れていくのだと安心させるように。

 その光景が、俺の孤独な心に小さな赤い火を灯した。

 そして俺は、静かに意識を闇へと落とした。

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