僕が緩やかに眠りにつくまで、君は踊って待っていて 02

 俺の言葉は、彼女の脳を包む硝子を砕くのに、十分な衝撃でもってその鼓膜を揺らした。はらりと、ひとひらの紙片が散らばる書類の波間に落ちていく。

「ありえない!ありえない!そんな非現実的な答え……私は化学教師だぞ!」

 首を激しく振って彼女は怒鳴る。

「じゃあさ、高岡教員はどんな答えが欲しかったんだ?学校ぐるみで彼を隠匿したなんていう、陰謀論か?」

「違う!!そんなんじゃなく……!!」

 彼女は力無く、長い足を折ってへたり込んだ。震える肩を抱き締める。

「そんなんじゃない……南栄は……!あいつは……」

 彼女の否定はもう、希薄を通り越して透明だった。何の意味も成していなかった。

 何故なら、思い出してしまったから。

 それ以前に元々、忘れてすらいなかったから。

「あんたが欲していたのは“ハルカ”の実在性の証明や不在証明なんかじゃない。高岡教員、あんたが俺たちに求めていたのは、宇宙人という存在の肯定だ」

「………………そうだ。だって私は化学教師だぞ」

 それは理由にならない。とは流石に言えなかった。

「だからフシギクラブなんていうオカルトめいた部活の顧問を引き受けると言った。あんたはハルカの事を全部覚えていたから。だが、辻褄を合わせるために必要だった最大の因子、“彼は宇宙人”という要素だけがどうしても信じられなかったんだ」

「じゃあ、照明してくれ。宇宙人が本当にいるということを。あの子が、人成らざる者が存在するという事を!」

 そう叫んだ彼女は、光一つない海原を筏で進んでいるかのように頼りない顔をしていた。

 俺は目を閉じ、息を整えた後に自分の右手を差し出した。

「一回しかやんないから、ちゃんと見てろよ」

 左手で適当なものを探す。ダンボールを開封するのに使ったカッターがあったのでそれを掴み、数センチ刃を出して大きく振り上げた。

「やめっ!!」

 高岡教員の制止も聞かず、俺は掌に銀の刃を突き立てた。もちろん痛い。歯を食いしばって堪える。

「何て事を……!!」

 ゆっくりと刃を抜く。其処から溢れたのは真紅ではなく、紺碧の血液。

「青い血が流れてるのは、イカと貴族だけじゃないってことだ」

 滴る血が指を伝い一滴零れた。空気に触れた青は急激な酸化により色を変え、床の書類に落ちた時には、地球人と変わらない赤となった。体外に出た傍から変色する血液は、出血が止まる頃にはただの赤黒い血として、掌にこびり付いているだけだ。

「あぁ……あの時と一緒だ……その青い血は……!!」

 レンズ越しの彼女の瞳は見開かれ、今となっては地球人のそれと変わらない傷口を映す。俺は血の止まった掌を開いたり閉じたりしながら損傷の具合を確かめた。

「ハッ……ハハハ……」

 乾いた笑いが彼女の口から漏れた。自嘲気味に歪む口元は、やがて俯いたことで見えなくなる。

「なんだ、探してもらおうと思ったのに、お前自身がそうだったなんてな……」

 そうして、彼女はぽつりぽつりと話し始めた。

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