僕が何に殺されそうなのかを、君は知らないまま 14

「旧名やSNSでの登録名は言わなくていいわ。私も教える気なんてないから。今は、征木葉切として生きているの」

 さらりと彼女は吐き捨てて、顔に掛かった髪を手で払い、机の下で足を組んだ。がらりと変化した彼女の態度に、俺は“息子の友達”の役を演じ続ける必要もなくなり、開き直って向かいの席に突くと机に腕を突く。

「驚いた。降下してから直に我々としゃべるのは初めてだ」

「あら、この町は全国でも有数の我々の棲息地よ。貴方相当無関心で無感動な生活を送っているようね」

 その通りです。俺は大いに肯定したかったが、その前に葉切は畳み掛けるように言葉を放った。

「今更何を聞きにきたの?」

 まるで全て終わってしまったかのような言い草。

「花折のことだよ」

「よくもまあ……」 

 殺気。

 懐かしい、懐かしすぎる感情の矛先が俺に向けられている。意識せずに口角が吊り上がった。今思えば初めて家にお邪魔した日も、一度この目を向けられていた。

「ああ、なるほど。あんた昔はそこそこできたんだろうな。じゃあ旦那さんは?」

「……あの人は何も知らないただの人間よ」

 予想していなかった返答。だが驚きと同時に、何故か納得しかけている自分がいた。

「……じゃあ花折は?」

「あの子は……我々と地球人の、ハイブリッド第一号」 

 異星間交雑種。エイリアンハーフ。

「まじかよ……噂には聞いていたが本当に存在してたとはな……てっきり俺は地球降下後に生まれた純正の我々の一員だと思ってたよ」

 とは言ったものの、それにしてはあの小さな生き物が俺たちの仲間だとは到底思えていなかった。エイリアンハーフというその存在を知ってしまえば、半分だけが我々で出来ていると言われればしっくりくる。

しかしながら元の身体などとっくに捨て、偽の身体に精神、魂のみを持って降りた我々として、その心を半分受け継いだ存在が生きることも死ぬこともできずに右往左往していたあの少年だった事は多少ショックではあったが。

 だがこれで少なくとも、我々・comの削除容認一覧に征木花折の手配書が無かった事は納得した。手配書は神隠しによって消えていたのではなく、そもそも掲載さえもされていなかったのだ。

 だって、花折も半分は我々の一員なのだから。広域振動信号(オーロラ)を生み出したとしても問題無い。母船の走査光に花折は“仲間”として認識されていたのだ。

「地球に降下して三年で、地球人の生活観や倫理観との親和性の高さから、私は初のハイブリッド形成任務に我々の中から抜擢された。そして地球人の生態を学ぶ上で暮らしていたこの街で、出会った夫と結婚することを許されたの。そしてあの子をすぐに産んだ」

 花折母は胸に下げたネックレスをそっと撫でた。

「それから十七年間、花折を大事に大事に育ててきた。初めてのハイブリッドとして色々心配はあったけど、あの子は肉体的・精神的異常をきたす事無く元気に大きくなってくれた」

 彼女の細い指が弄ぶ、銀のチェーンの慎ましやかなデザインのそれは懐かしい、俺たちが捨て去ったはずの形。魂の揺りかご。宙へと還される墓標。

「あの子はなんにも知らないわ……やっとの思いで手に入れた平穏だった。あの子が生まれたときは本当に嬉しくて――だって先の戦いで私の子供達は全員戦死しているから」

 彼女の零れ落ちそうに大きな目が細められる。硝子玉のような、花折と良く似た光を放つ眼球。彼女本来の形質ではない、外殻(ハードウェア)がもつだけの遺伝因子。

「この星の地球人と子供を作って、我々の魂は静かに馴染み、薄まり、同化していく。それだけが私の望みだった……平穏に、安穏に、何の危険も無く」

 すとん、とまるで作りかけの模型に最後のパーツが嵌ったような感覚。

 花折の理論はこの母親に植え付けられたものだったのか。

 冷え冷えと生に向き合いただ生きていればいい。

死んでいなければいい。

 戦場から生き延びた者が行き着く、俺とは道を別った答え。

 その言葉を願いだというオブラートに包みこんで、花折に何度も飲み込ませたのだろう。それは花折の中で、毒となり、呪いとなり、無限の未来に咲くはずの蕾を腐らせた。

「私での実験は花折の誕生で無事終了したわ。今の我々の興味は、並行でしていたもう一つの実験はシフトしていった。……そっちはトラブっているみたいだけど、そのおかげで私達への注目も無くなった」

 彼女の瞳はもう硝子の透明さではなく氷の冷たさを潜ませ、俺を凍りつかせようとするかのようだ。 

「そのはずだったのに……!」

 葉切の鬼気迫る表情に、母性と狂気はミキシングして二つに分けても成分的に差異が無いのではないかとすら思えてくる。

「まだ、死んだわけじゃないんだろ?」

 俺の言葉に反応して、葉切はやっと俺を見る。

「でも……もう……どうしようもないじゃない……あの子の存在は、あいつ等に見つかってしまった……!」

 彼女はもたれかかっていた姿勢からいきなり跳ね起き、俺を椅子ごとフローリングへと押し倒した。床を叩く激しい音が鳴り響く。

「元気になって良かったってあの子笑って学校に行った!!そして帰ってこなかった!!おかしいわねって夜帰ってきた夫に言ったら、逆になんで夕飯を三膳用意してるんだって驚かれたの……私慌てて電話して……だけど携帯電話ももう使われてないって…………ああああぁぁぁぁぁああああぁぁぁぁぁ!!」

 彼女は絶叫し火がついたように泣き出した。俺の胸をどんどんと叩く拳は、昔なら一撃で俺の胴に風穴を空ける事もできたはずだ。だが、今は自分の感情を吐露する手段として、小さな力を振るうことしか出来ない。

 それが、我々の選んだ選択。戦う力を棄てた時に、守る力も棄てている。

「あんたが!!あんたが花折と変な事をはじめるから!!危ないことを、意味の分からないことを、必要の無いことを始めたから!だからあの子は攫われてしまった!!あんたが……あんたが消えれば良かったのに……!!」

 ああ痛い。今ので十分胸に穴が空きそうだ。

 俺は抵抗する事無くその狂気を、凶器を受け入れる。

 伴侶が殺されようと、子供が殺されようと、親が殺されようと涙一つ流さずにその倍を殺そうとしていた我々は、何時の間にこんなに弱くなってしまったのだろう。

 何時の間に、こんなに優しくなってしまっただろう。

 そして何時の間に俺は、こんなに相手の感情がわかるようになってしまったのだろう。

 弱くなってしまったのだろう。

「……あんたにさ、頼みがあるんだ。あと聞きたい事も。決して悪い話じゃない。俺からしても保険て位なんだが」

 だからこそ俺は、もう一度強くならなければいけない。

「花折をさ、助けたいんだよ」

 彼女に、俺は空気さえ揺れないような静かな囁きでもって、秘密を伝える。

 そして目に涙を浮かべたままの葉切は、俺の言葉に肩を震わせながら小さく頷いた。

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