僕が何に殺されそうなのかを、君は知らないまま 12

 柔らかい山吹色の夕日が、部室の床を端から染めていく。暑さを多少緩めた風が、カーテンを風船のように膨らませた。

 俺は一人、壁際のパイプ椅子にだらしなく座っていた。背もたれというより壁に凭れ掛るように体を預け、視界に収まる狭い部室をただ眺めている。机の上には借りてきた本を置いていたが、読む気にはなれなかった。

 花折が消えた。これが神隠しか。

 最後に花折を見た日、あいつはクラスメイトに去年の神隠しについて聞いて回っていた。神隠しを吹聴すると自身も神隠しに遭う。珠洲さんから聞いた密かな噂に合致する。

「謎を解くって言って、自分が消えてたら世話ねえだろ――……」

 あんなに必死になって聞いて回っていた後姿。どうして一言忠告できなかったのだろう。

 それは、怖かったからだ。

 花折の母親を理由にして、そう遠くなく記憶を消去される事になるだろう花折から、俺は逃げ出したかっただけだった。俺は俺を守りたいだけだった。

 消されるということは、殺される事と同じ。

 花折の中の俺が殺される。それに堪えられなかった。

 だけど、この現状はそれ以上の悪夢だ。

 花折が、その存在ごと失われてしまったのだから。

 机上のミネラルウォーターを喉に通す。生温い液体が流れ入る不快感。

「何で!」 

 血が沸騰するような感覚。叩きつけられたペットボトルが潰れる歪な音。

 意識がホワイトアウトする。

「…………あ」

どれくらい時間が経ったのだろう。轢かれた蛙のように平たくなったペットボトルを踏む感触に、はっと俺は意識を戻した。

 部屋は獣が暴れまわったような惨状となっていた。性質の悪い獣もちろんは俺だ。

 二人で汗水流しながら脇にどけたダンボールはその全てが引っ繰り返され引き裂かれ、部屋は怪しい儀式、もしくは片付けの出来ない科学者の研究室のように黄ばんだ紙で埋め尽くされていた。千切られた哀れな人体模型の四肢は散らばり、まるで昔日常だった光景を見るようで俺の鼓動が強く跳ねる。

 心の奥底に封じられて尚息づく本能が告げていた。

「ハハハ……なんだ、簡単な事じゃないか」  

 俺はこうして全てを解決してきただろう。

 久々に湧き上がった思いは驚くほどに静謐で、澄んだ湖面のようだった。だが知っている、どう取り繕うとも俺たちの心の奥底には煮え滾るマグマが常に流れていることを。その熱は簡単に水を沸騰させ、全てが蒸発した後に、隠れていた灼熱の想いを噴出する。

「簡単だ」

 花折を攫った奴を、殺そう。

 それが人間でも、

 それが現象でも、

 それが環境でも、

 それが災厄でも。

 俺はずっとそうしてきたじゃないか。壊して砕いて叩き潰して、危険なものもそうでないものも混ぜっ返して更地にする。

 そしてその後に、また花折を置けばいい。花折だけは、壊さなければいい。

 その花折が、もう俺のことを覚えていなくてもいい。

 その時の俺はわかっていなかった。

 それは、地球人が当たり前のように持っている感情だという事を。

 守りたい。

 俺はまだその時その感情を“壊さないだけ”としか思っていなかったけれど。

 確かに、やっと人間に一歩歩み寄っていた。

 この小さな一歩は、我々にとって大きな一歩となった。

 後にそう言われるのをもちろん未だ知らないまま、俺は行動を開始した。

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