僕が何に殺されそうなのかを、君は知らないまま 08
会話は平行線で、俺も花折の母親もやがて黙り込む。するとまるでその沈黙を見計らったかのように、リビングと廊下を隔てる扉が引き開けられた。
「母さん。水が欲しいんだけど――って未散!?」
「お邪魔してます」
目を丸くする花折に俺は微かに笑いかける。
「もう少し寝てなさい」
彼女は水の入ったコップを花折に持たせるとその背を押して自室へと促した。
「でも、せっかく未散が来てるのに……」
「いや元々長居するつもりなんてなかったからよ。データだけ渡したいから後でちょっとだけ部屋に上がらしてもらうわ」
尚も未散は未練がましくこちらを見てきたが、俺が手を振ると諦めたように部屋を出て行った。階段を上る音を確かめた後に、再び彼女は口を開く。
「あの子に試験範囲のデータを渡したら、帰って貰えるかしら?」
あんまりな言葉に聊か驚く。我が子のお勉強に関しては妥協できなかったところも含めて。
そんな俺に向って目を眇め、彼女はまだ中身の入ったカップと皿を流しへと引いた。
「それに……加賀君のその目……申し訳ないけど嫌悪感で吐き気さえ感じるわ」
カチャカチャと陶器が触れ合う音が冷たく響く。彼女の背中が振り向くことは無かった。それ以上会話は続きそうにないと、俺は諦めて二階へと上がる。
「入るぞ」
マナーだからと一応軽めにノックをした後、俺はそっと扉を開けた。
「ごめんね、急に休んじゃって」
ベッドの上で半身を起こし、端末を操作していた花折は俯いていた顔を上げた。
「データ。入れるからそれ貸せ」
端末を取り上げると其処には細かな文字がびっしりと並んでおり、速読で鍛えた俺の目がその文字を反射でスキャンする。民間伝承、天狗、神隠し、拾い上げた単語に俺は嘆息した。
「……花折、風邪引いてるときくらいはちゃんと寝てろよ」
「アハハ……つい気になっちゃって」
「……勉強はいいのかよ?」
微妙に咎めるようなニュアンスが伝わったのか、花折が僅かに目を細めた。
「大丈夫だよ、授業受けてるんだから。母さんが、何か言った?」
「…………別に」
「もう、これだから母さんは」
花折は疲れたように背中を丸めた。下手な嘘しかつけなかった俺は黙っているしかない。それに少なからず花折の母親の言葉に自分自身ショックを受けてもいた。俺は無言でデータを移行させる。
「入れ終わったから、確認しとけ」
俺は手にぶら下げていた端末を花折に渡す。花折はそれを受け取りぎゅっと胸に抱き締めた。
「ありがとう、風邪も治ってるし、明日は学校行くから、そうしたら――」
「しばらく、クラブ活動は止める」
俺の言葉に、花折は葡萄色の瞳を丸くした。
「なんで……?」
「もうそろそろテストだろ。俺だって勉強したい」
「なんでそんな嘘つくの!?」
今まで聞いた中で一番大きな花折の声に、俺の口が一瞬止まる。その隙間を突くように花折が捲くし立てた。ぎらぎらと光る瞳は美しく、そして意外にも、獰猛さすら感じさせた。
「未散勉強なんてしてないでしょ!?いっつも図書室で本ばっかり読んで、テストは答えをなぞるみたい受けてるだけじゃないか!」
驚いた、それが全て当たっているから。
「……未散、誰も自分の事なんて見てないって思ってた?」
目元が赤く染まるのはきっと、泣く合図。俺は瞼を閉じてそれをシャットアウトした。ついでに自分の動揺を推し測られないために。
「どうせ母さんに変な事言われたんだよね?母さんは僕が誰かと仲良くするのが嫌いだから」
「違う」
俯いた花折の頭に、俺は静かに掌を乗せた。
「お前が、愛されているからだ」
そして、きっと俺が危険だからだ。
それは、本心だった。
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