僕が何に殺されそうなのかを、君は知らないまま 07

「どうぞ、大したものじゃ無いんだけど」

 テーブルの上に乗せられたマーマレードタルトとコーヒー。それを前に俺は記憶領域内で“地球人の家に入ってからの振舞い方マニュアル”を高速で展開しながらつっかえつっかえ「ありがとうございます」と手を伸ばした。出されたものは食べたほうがいい、特に学生はという特記事項を参照しながら。

「高校になってから花折の友達が来てくれるのが初めてなの。とっても嬉しいわ……花折が風邪でっていうのが加賀君には申し訳ないんだけど」

 花折の母親は柔和な笑みを浮かべながらテーブルの対面に座って俺を眺めている。小首を傾げると同時に、これまた花折とよく似た、白く細い首に掛かった銀のチェーンが氷を擦り合わせたような音を立てた。肌をすべる一筋の水のように華奢な長い鎖がサマーセーターの胸元へと伸びており、ついつい視線を辿らせてしまったことを恥じて俺は視線を慌てて逸らす。

「あの、花折の調子は?」

「一日寝ていたからもう殆ど治っているの。昼過ぎにまた寝ていたから、きっとそろそろ起き出す頃よ」

 彼女は壁の掛け時計をちらりと見た。六時前、あまり長居するのも気が引けてくる。

「もし寝てるんなら、学校用の端末さえもらえればデータを入れときます」

「そうね、でももうちょっと加賀君とお話がしたいわ。花折は学校でどう?ちゃんと勉強してる?」

 学年五位の成績を誇る息子について、まず勉学への励み具合を聞いて来るとは。俺は内心で多少呆れつつも「花折は真面目ですよ」と返事してコーヒーを一口飲む。

「本当に?あの子最近帰りも遅いし、放課後の塾も殆ど行ってないのよ?」

 そこで母親の眉間に僅かに皺がよった。可愛らしい、と年上に表するのは少し不自然な形容詞が似合うお顔のせいで駄々をこねる少女のようだ。

「そうなんですか」

 初耳だ、あいつ塾に行っていたのか。母親がさらに続けた塾の名前を聞いてさらに驚く。駅前にある唯一この地域で進学塾と呼べる所だった。

「もう少しで学校の試験もあるのに何してるのかしら……」

 段々息子への愚痴へと変わっていく彼女の言葉に、俺はどう答えればいいのか分からないで沈黙を貫く。

「あのね加賀君」

 ぽつりと、唐突に花折の母親の声が、温度を失った。

「できれば……これ以上、あの子に関わらないでもらえないかしら?」

 花折母の表情は冷たく硬質で、まるで人形のようだった。一瞬だけ背筋に電流が走ったような感覚。酷く懐かしい心の感触に混乱する。

「は……はぁ」

 落ち着こうと、俺は目の前に鎮座していたマーマレードタルトを口に含んだ。甘い甘い、そして苦い。

「これから本格的な受験勉強も始めないといけないの。推薦を取ろうと思ったら学校の成績も高い水準を維持しておかないと……加賀君の名前が出るようになってからなのよ、あの子が塾をさぼりだしたのは」

 段々と棘を持ち出す言葉に俺は瞠目した。初の地球人お宅訪問が、こんな酷い結果を迎えるなどとは。

「花折は真面目で素直な良い子なの。変な事なんてせずに、高校の間は勉強して良い大学に入れるように努力させたいの」

「そうですか」

 何も知らずに呟かれる、それはなんて。

 なんて、酷い母性だ。

「だけど、あいつは苦しんでますよ」

「え……?」

 彼女のティーカップを持つ手が、僅かに震えた。

「どういうこと?もしかしてあの子いじめられてでもいるの!?」

 顔を蒼白にして詰め寄ってくる。親が子を守るのは遺伝子保存の為とは理解できるが、少し過保護すぎやしないか。

「違う。そういうんじゃないんです」

 俺は言葉を選ぼうと逡巡し、結局花折の言葉をそのまま伝えた。

「生きていることが、日々を過ごすことがつまらなくて、苦しいって、花折は言っているんです」

 机に涙を落としながら、声にならない声で叫んでいたんです。

 だが、俺の言葉は見事に失速し墜落した。要は、失敗した。

 言葉を発した瞬間に俺は確信し絶望した。その位、彼女の表情の変化は顕著だった。

「まあそんな事。来年になれば大学受験で考える暇も無くなるでしょ」

 その素っ気無い反応に、何故か俺の精神は無駄に反発した。

「でも、そういうものが、本当の凶器になりうると思いませんか?」

「なぜ?思春期の子がよく持つ感傷でしょう?あぁ貴方も同じ年頃だから分からないかしら?凶器っていうのはボタン一つで、意思一つで相手を爆破したり、壊したり、停止させたりするものでしょう?そうでしょう?」

 彼女は本当に不思議そうに、少女のように可憐な表情で瞳を瞬かせる。長い睫毛に縁取られたその瞳は本当に花折にそっくりだ。俺はまるで花折本人に話しかけているような錯覚を覚える。

「でも少なくとも、この国の人間はそんなものでは死んだりしません。もっと静かで、仄暗くて、空虚なものに殺されてると思いませんか?」 

 あの日、澄み渡った夏の青空を背景に泣いていた花折は、本当に。

 本当に。

 本当に。

 青空に溶けるように、そのまま死んでしまいそうだったのだ。

「この星の人間は、生きてないと、死んでしまう。そう俺は思います」

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