僕が何に殺されそうなのかを、君は知らないまま 04

「わかっていることは、去年の二〇五四年、三月の卒業間際にハルカは居なくなったって事」

 丁度俺が前のサイクルで卒業したのと同じ年だ。ハルカは同級生だったらしい。記憶を掘り起こすように眉間を押さえながら高岡教員は言葉を紡ぐ。

「私は、その子の担任だったの。それにハルカの部活動にも関わっていた……気がする。だから、私は周りの人達よりハルカの事を鮮明に覚えているのかもしれないわ」

「部活って?」

「兼部しているどちらかだとは思うんだけど……」

「そういえば兼部ってどこの顧問なんですか?」

「ああ?ソフト部と化学部だよ」

 その言葉に、夏にも関わらず桜が目の前を舞い散ったような気がした。

「へえ、化学部ね」

「だがそっちは本当に名前を貸しているだけで、殆ど私はソフト部のほうに付きっ切り。申し訳ないけど」

 高岡教員の指は記憶の底から何かを釣り上げようとするかのようにペットボトルの先をタップしている。

「じゃあ部活の事はまだ不確定情報として、ハルカってのが消えたときの事は?」

「それは……殆ど覚えていない。只、ハルカはその日学校に居て、そう……校舎の外だった筈。私はハルカに……ホットの缶コーヒーを買って渡していた。そう、多分私と約束があったの」

 話す内容が詳細になるに連れて、段々と高岡教員の眉根に深い皺が刻まれていく。

「だけど……私が戻ると……缶だけがあって、まだ湯気が…………ハルカは絶対にちゃんと捨てる……」

 そこまで言ったところで、高岡教員は頭を抱えた。

「私は……探し回った!警察は取り合ってくれなくて、翌日になって失踪だって騒がれだした!だけどだけどだけど!!また数日するうちに教師も生徒も水を打ったように静まっていった…………違う!忘れていったの!ハルカの事を!」

 そこで、彼女は顔を手で覆った。俺と花折は呆気に取られて彼女の豹変ぶりを見ていることしか出来ない。

「ハルカは、卒業できなかった……気づけはハルカが在籍していたという記録さえも消えていた。僅かに記憶をまだ残していたハルカの同級生達は皆卒業して、新しい生徒がまた入学してきた……ハルカは、“神隠し”という曖昧な噂話としてだけ、この学校に残った」  

 彼女は顔を覆ったまま俺たちを見つめる。指の隙間から覗く彼女の濃い灰色の瞳が、正気と狂気の狭間でゆらゆらと揺れている。

「ねえ、私は何を探しているの?」

 花折が、彼女の肩を掴んで起こし、正面から優しく微笑んだ。一切の否定や疑念を含まない、透明な笑顔で。

「高岡先生。きっとあなたの大切な人をです」

 高岡教員の雰囲気が次第に和らいでいく。

「ごめんなさい。大分取り乱しちゃったわ」

 平静を取り戻した高岡教員はジャージのポケットから携帯端末タブレットを取り出し時刻表示を確認して、「そろそろソフト部に戻らないと」と立ち上がった。シンプルを信条とする彼女にしては珍しく、革紐に透明な飾りのついたストラップが端末をしまったポケットから飛び出している。どこかで打ち付けたのか、その飾りは罅割れていた。

「まあ、こんな感じで私の頭の中にしか存在し得ない話だから、そんなに気負わずにやって頂戴」

 俺は部室の扉を開けた。通り過ぎようとした高岡教員が、ふとその足を止めて俺に顔を寄せる。

「良かったわね」

「?」

「お前みたいなのは、ああいう子といるのが一番良いよ」

 睫毛の一本一本さえも見える距離に、俺の脳内で警告アラートの嵐が巻き起こる。背が高いせいで、普段こんな近くで女の顔を見る事など中々無い。去っていく高岡教員の背中を見つめ警告アラートが静まるのを待ちながら、俺はやっぱり女は苦手だと溜息を付いた。

 俺と女性との今の関係はまさに水と油だ。

 必要以上に触れたり近づいたりすれば、脳内に不純異星間交遊違反の警告アラートがけたたましく鳴り響き、視界に映る女子全ての顔に赤い【DANGER】アイコンが被さる。

俺は人間的な交友関係構築においては大よそ平均点以下らしく、その評定が上がらない限り所謂恋愛的な人間とのお付き合いは一切させてもらえない。迂闊な事をして正体をばらされたくないという我々側の気持ちは痛いほど分かるが、二十年間Cマイナスからピクリとも評定を動かしてくれないのはどういう事なのか。

「……っで、とりあえずどうする?」

 花折は端末上にメモした事を表示させて、小さな背中を丸めて悩んでいる。

「うーん、どうしようかなあ……実在性の証明をした後での不在証明かー。名前しか分からないし厳しいよね。ハルカってのもよく聞く名前だし」

「実在性はさっきの高岡教員の発言でいいんじゃねえの?」

「先生を信じてる僕等からすればね。でもこの場合だとまず先生本人にその“ハルカ”が存在することを証明しなきゃいけなくて、そうすれば先生の話を信じた僕達も……駄目だ、こんがらがってきた」

 大丈夫だ、俺の思考領域ソフトウェア内でも循環計算ですでにハングオーバーしている。色素の薄い髪をわしゃわしゃと掻き回しながら花折は天井を見上げた。

「しかも……再来週から期末試験!」

 自分の言葉に被弾してぐったりと脱力する花折。勉強する気の全くない俺はすっかりその事を忘れていて「はあ」と気の無い返事をしてしまう。

「来週は少なくとも勉強しないとなー……でもそれが終わったらもう夏休み入っちゃうし……」

 憂鬱そうな花折の声。

「やっぱり学年上位ともなると大変だな」

「……そうだねー。ちょっと放課後が忙しくなるかな」  

 首を回して俺のほうにその白い顔だけを向ける。その表情に多少の陰鬱さを見て取って俺は心の中で小首を傾げた。テストの試験の勉強においては、最後に詰込型と普段から蓄積型がいるが、確実に花折は後者だろう。授業での様子を見ていれば分かる。

「とりあえず、噂になっている学校での“神隠し”の話は聞いておきたいな。多分脚色されて何種類かパターン分岐もありそうだけど。それくらいなら休み時間にでもできるし」

「じゃあ俺は図書委員の奴らに聞いてみるわ」

「ありがとう。僕は聞けるのがクラスメイト位しかいないから助かるよ」

 曖昧に笑った花折に、俺も曖昧に笑い返すしかない。

「早く先生の愛しのハルカが見つかるといいんだけど……ってどうしたの未散っ!?」

 その言葉に反射的に俺は椅子を倒して立ち上がっていた。盛大な音が小さな部室に響く。

「ああああの高岡教員に愛しの……!?」

 化粧の一つもせず、ラフ極まる服装で、不良生徒にも物怖じせず檄を飛ばすあの武闘派教師が?

「そんなこと高岡教員は一言も……」

 うろたえる俺に、怪しい含み笑いを向ける花折。

「にぶいなー未散は。さっきの話聞いてたらなんとなく察するでしょ」

「いや全く」

 毅然とした態度で言い切る。花折は説明することも諦めたのか、それ以上続ける事無く立ち上がった。

「とりあえず今日はここまでだね。そろそろ帰ろう」

 俺と花折は鞄を肩に引っ掛けると玄関へと向う。校舎には生徒の姿は殆ど無く、廊下もがらんとしていていつもより広く感じる程だ。

「そういえば、あのオーロラやっぱり噂になってるね」

 花折は思い出したようにくすくすと笑っている。

「なんかさ、すごい難しい気象用語で呼ばれてて、吃驚しちゃった。不思議な事は不思議な事で良いのにね」

 だって、起こした僕達にも分からないのに、と楽しそうに笑っている。

 丁度玄関で上履きを履き替え終えると同時に、バケツの水を引っ繰り返したような雨が降り出す。

「うわぁぁぁぁ……夕立に丁度当たっちゃった……傘なんて持ってきてないよ」

 光を水滴で包んだかのように明るく煙る空を見上げて、花折は途方にくれている。

「これ、使えば」

 俺は置き傘を取り出して花折に差し出す。

「あっ、ありがとう!」

 花折は傘を差して屋外に出た。銃弾のような雨が傘を撃ち、その華奢な骨が水圧に軋む。俺もその後に続く。

「僕も置き傘しとこうかなー」

「そうだな、楽だぞ」

 ビーズを撒き散らしたような雨音が響く中、ほとんど怒鳴るように言葉を吐き出して花折は俺を振り返り、そして絶句した。

「みみみ未散!?なんで傘差してないの!?」

「え、だって俺の傘」

 そう言って俺は花折の差す、白に大きな水色のドット模様の傘を指差した。そのポップな柄はやっぱり俺より花折のほうが似合っている。

「いやいやいや!未散!僕に傘差して自分は濡れてどうするの!?」

 相当動揺しているのかおろおろと傘を振り回して未散は騒ぎ出す。

「いや、花折困ってたから」

 自分の外殻(ハードウェア)は防水仕様なのでどれだけ濡れようが問題無い。防水仕様ではない教育用端末はもちろん教室の机の中に置き勉だ。シャツもズボンも下着までぐしゃぐしゃだが家に帰れば着替えもシャワーもある。俺は唯一気に食わない、水を含んで束となり、視界を覆い隠そうとする長い前髪を手で流した。

 見下ろす花折の顔は、何とも言えない困った表情で、俺の方が困惑してしまう。

「なんか駄目だったか?」

「駄目じゃないよ。でもこういう事までしなくていいんだよ」

 まるで子供に言い含めるように花折は言った。

「もう、あんまり意味無いかもしれないけど」

 花折が傘を高く上げて俺をその下に入れる。持ち手を突き出されて思わず受け取ると、花折は笑って手を振った。

「じゃあ、また明日ね」

 そう言って花折は、音を立てて水を跳ね散らしながら走り去っていった。ほんの数歩で肩のラインが分かるほどに濡れていく薄い背中を見送りながら、俺は一度首を傾げた後、もはや何の意味も為さない傘を広げたまま帰路に就く。

 そして次の日の朝。携帯に届いた『なかなか酷い風邪引きました』メールを見て、俺は人間とは本当に良く分からない選択をする、とまた首を傾げたのだった。

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