君の背中を、俺は突き落としたい衝動に駆られながら。 14

 出来上がったのは、俗に言うミステリーサークル。

 我々の遺棄言語は、地球ではそう呼称されていた。

 地球人は、最初こそ宇宙からのメッセージではないか超常現象ではないかと、散々議論を飛ばしていた。我々は、騒ぐ地球人達がどんな結論を出すのか高揚しながら待ち続けた。

 だが、あろうことか最終的に地球人達は自己完結をしてしまったのだ。聞くところによるとイギリスのじいさん二人が製作者だと名乗りを上げて、その現象を人工的なものだと立証してしまったらしい。

悪役気取りで大気圏外からその様子を窺っていた我々は、愕然として地球人達を観察していた。衝撃だった。

そんな馬鹿なと、我々はテレビやインターネットの情報を監視したが、ミステリーサークルの話などすぐに収束し、代わりに殆ど進捗の無い政治情勢についてのニュースが流れるばかりだった。余りの事に眩暈さえし、挙句にこれらは我々に偽の情報を与えるためのデコイなのではないかと真剣に議論されたが、それさえもただの考え過ぎだった。

正直恥ずかしかった。勘繰り過ぎた我々の滑稽さに。

そして次には尊敬の念を抱いた。異常を受け入れ安穏と日々を過ごす地球人に。

 散々話し合った結果、俺たちはこの星に棲む“人間”という半知的生命体を見習うことにした。すべての武力と兵器と能力を放り投げ、この星でイニシアチブを取る生物に寄り添って生きていこうと。少なくともそうすれば後数百年は我々は自滅する事無く生き延びることができる。この星を侵略して自分達のものにするなど二時間もいらないが、その後また生きていくには、我々には思想がたりない。

 曖昧や、臆病、日和見。そんな人の持つ素晴らしい性質から俺たちが学ぶことは、銀河に散らばる星々より多かった。


「何が起きるのかなあ?本当に錬金術師が現れたりするのかな!」

 花折は目をキラキラと輝かせて、来るべきその瞬間が訪れるのを待っている。

 つまらないと泣いたその目を、輝く満点の夜空に同化させながら。

 来いよ。

 俺は空を見上げて口の中だけで呟いた。毎日この時間、透明なレールに乗って大気圏の遥か高みを通過する我々の母船。我々の文明の残滓。

 もう二度と旅立つことも無いだろう、その存在が花折を慰めるのなら、俺は多少のリスクを犯してでもそれを蘇らせようと決めていた。

「あっ」

 一条の光が、蜘蛛の糸のように天上から差し込んだ。ふらふらと頼りなくグラウンドを彷徨う小さな丸い光。見つめているとその点がぴたりと静止し、そして一気に線状に広がった。その長さは、グラウンドの横幅にまで達っしている。

「何……?」

 目の前で、線状の光がゆっくりと動き出す。グラウンドの端から端までを、線状の光が舐めるようにゆっくりと進んでいく。

「これは……確認してるの?」

 花折の言葉は正しい。光は確かにグラウンド上の文字を読み込んでいる。

 まるでバーコードを赤い光で読み込むように、一言一句逃すまいと。

 もう、誰も使うことの無い文字で書かれたメッセージを。  

 光はグラウンドを完走すると、唐突に進行速度を上げて、屋上に佇む俺と花折を照らし出した。花折が身構える。

「うわっ!?」

「大丈夫。ただの光だ」

 スポットライトのように闇夜の中で俺と花折を浮かび上がらせている光は、今まさに解析していた。この文字を描いたのが誰なのかを。

母船が救難信号を拾い、同胞の救護を行うことも使命としていた名残だ。

 数秒の後、光は深海のような夜の空に吸い込まれ消えていった。

「えっ、終わり?何だったの?」

 肩透かしを食った顔で、夜空を見渡しながら花折が呟く。

「まだだ」

 一呼吸ほど空いて、まるで昇った光が火種となったかのように、レースのような柔らかな光が空一面に広がった。

「何!?」

 先ほどの取り込むための強い光ではない、これは伝えるため光。我々の一員である俺のIDが認証キーとなり、地に刻まれたメッセージをできるだけ多くの仲間へと伝えようとする。母船に搭載された装置が発生させた、広域振動信号。

 その信号が視界を得た俺の目に、光のカーテンとして像を結び、空を舞う。

「うわあああぁぁぁぁ!オーロラ!?」

 今度こそ、花折が感嘆の声を上げた。

「すごい!キレイ!すごい!本物だよね?日本で!?そんな」

「おい落ち着け」

 頬を上気させて意味不明の声を上げながら、花折は俺とオーロラとを交互に見る。

 虹を透けるほどに薄く引き延ばして空に流したかのようだ。赤、緑、水色、紫、刻一刻と光の色が移り変わっていく。ゆらゆらと焔のように、もしくは水中を優雅に泳ぐ魚の尾のように、オーロラが揺らめく様は確かに息を呑むほど美しい。まるでヴェールを纏った花嫁のようだ。

 触覚しかない頃、これは只の情報を載せた振動でしかなかったというのに。

「確かに、綺麗だな」

 視覚というインターフェースを通して見たメッセージは、それが只の連絡手段だったとしても、確かに美しかった。

 ほんの数十秒、空を染めた光は、やがて幕を引くようにふわりと消えていった。

 これで終わり。

 母船の解析光に晒された地球人――征木花折は、これで立派な秘匿レベル10ホルダー、排除容認対象となった。俺が大切に育て羽化させた、殺しても罰されない希少な人間に。

 待ちわびた瞬間。だが、不思議と俺の腕が花折の無防備な首に伸びることも、この手が花折の薄い背中を屋上から押し出す事も無かった。

「なんだったんだろ……?」

 花折は光の消え去った空の彼方を呆然と見上げている。彼には見えるはずも無い。大気圏を越えた軌道上を回る、朽ちつつある母船の事など。

「錬金術だろ。きっと」

 俺は投げやりに、だけど今なら信じてもらえそうな嘘をつく。

「お前が魔方陣を用意したから、放課後の錬金術師がそれを使ってオーロラを造った」

 何て夢物語だろう。本の読みすぎだ。

「放課後どころか早朝だけど……でも動機が分からないよ。なんでオーロラを出す必要が……」

「それを言ったら学内掲示板に記事を投稿するっていう手法だって不自然だろ」

「確かに……」

 花折は何度も首を傾げながら、何事も無かったかのように無数の星だけを灯す空を見上げている。

「ん~~~駄目だ!わかんない!」

 花折は頭を掻き毟りながら空に吠えた。

「でも、僕達の行動が、この現象を起こしたってことは事実!」

 空から俺へと向けられた花折の顔に浮かぶのは、俺がおおよそ生きてきて見た事の無い、そんな満面の笑みだった。

「……どうだ、満足したか?」

「うん!」

 聞くことも野暮な問いだった。

 もう役目を終えた、グラウンドに目一杯広がるメッセージを見下ろす。

 結局、放課後の錬金術師は現れなかった。

 現れなくて良かった、そいつはきっと、俺のお仲間だ。それも、凄く寂しがり屋の。

 ああでも、このメッセージは少し泣けたな。

 俺は、ジャージのポケットに突っ込んでいた紙片を取り出した。手に握られた紙片に目を落とす。美しい、銀河系を模したような図形。

 俺たちの文字。もう捨て去ったはずの遺棄言語。

 これを記したやつは、捨て切れなかったのだろう。

 だからあんな風にひっそりと、このメッセージを残したのだろう。

「わたしは、かえりたい」   

「えっ?帰りたい?」

「ああ、早く帰って寝てえなって」

 俺は紙を細かく千切ると、屋上から一気にばら撒いた。

「だけど俺はもう二度と、帰りたくないんだ」

 そう呟いた声は、朝靄の中誰にも聞かれること無く消えていった。

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