第16話 奇形児と山の主
奇形児と山の主の奇妙な話。
※
「どうだ! 綺麗な山だろう! 俺はよくここで蝉を取っていたんだ。ほとんど人も来ないし、こんなに綺麗だからお前にも紹介したくてさ」
「本当に綺麗なところですね。近くにあるのに来たことはありませんでした。ピクニックに最適な場所です」
「今でもこんな自然が残っているなんて珍しいよな~」
「この山には主がいるらしいですよ。きっとこの山を守っているんです。お婆ちゃんが言っていました。たしか今は猫の姿をしているって」
「ああ、その話は俺も聞いたことがあるよ。時間と共に姿を変えるんだってな。俺が聞いた話では――――――――」
この山には人の道から外れたものが稀に訪れる。何年か前に自分を猫だという少女もこの山にふらりと迷いこんだ。自然の摂理、これを守ることのできないものは山に留めておくことはできない。あの少女は意味なく殺しを行った。自然の摂理に背いたのだ。私は少女を追い出すしかなくなった。その後しばらくは山の外れで暮らしていたようだが…………今、彼女はどうしているだろうか? 私にそれを知るすべはない。その後、主の代替わりの時期がやってきて、私はこの山の主となった。この山を守る、主として。そう決意してからまた時が経ち、新たに異形のものがこの山に訪れる。
僕はママを食べたんだ。とてもお腹が空いていたから。ここはいったいどこだろう? ママは死んでしまったのでそのままにしておこう。そう思って薄暗い建物の中から僕は抜け出した。歩いていくと一人の男の人が歩いてきた。僕は質問しようとする。ねえ、ここはどこ? 僕はなに? 僕を見て男は目を見開いて立ち止まった。「バ、バケモノ!!」そう叫んで走り去ってしまった。バケモノ? いったいどこにいるんだろう? 僕はその時は分からなかった。
それからまた当てもなく歩いていると、今度は二人組の女の人が歩いてきたんだ。僕はもう一回質問をしようとする。彼女達は僕を見て立ち止まった。そして…………さっきの男の人と同じ叫び声をあげて走って行った。その時やっと僕は気付いたんだ。バケモノは…………僕だ。
山の主になった、といっても普段の生活と変わるわけではない。私自身は山猫として自然の摂理に従って生きていくだけだ。主は存在しているだけで山を豊かにする。そういうものだ。
主になるには先代の主が死ぬ時、森に住むものの誰かにその意志を託すことによって行われる。その他の方法もあることにはあるが…………滅多に行われるものではない。私の先代の主はネズミの姿をしていた。そのネズミから私は森を守る意志を受け取ったのだ。主になってからは今までよりもっとこの山を理解することができた。まるで山と私が一つになったみたいに。
それでも私はお前が山に入ってきたことが分からなかったんだ。自然の摂理から根本的に外れた存在、お前のことを私はそう認識していた。
それから僕は数日間町をさまよい歩いた。会う人、会う人にバケモノ、と罵倒された。僕とこの人達との違いはなんだろう? 僕には分からない。ここは僕のいるべき場所じゃない。どこか、どこかに僕を受け入れてくれるところはないだろうか。そんな願いを胸にただただ歩く。昼に歩いてしまうと僕のことを気味悪がる人がいる。僕は夜に歩くことにした。その日の夜はお月さまがある方に向かって一晩中歩き続けた。
もう辺りが明るくなった頃に僕が辿りついたのは山だった。緑がきれいな、山だった。
私がいつものように山を歩いているとお前のことを見つけた。たたずんでいるその姿はどの生物にもにていない。かろうじて人型ではある。全身は肉を粘土のように使い固めた姿で、所々に白い骨が見えた。人間の年齢でいうと三歳くらいだろう。いったいお前はどのようにして生まれたんだ? 山に入ってきたことも分からなかった。私はお前の元に近づいていき、話しかける。なぜか言葉は通じるだろうという確信に近い思いがあった。
お前は、何だ?
僕は引き寄せられるように山の中へと入っていく。そこには僕を怖がる人達がいない世界が広がっていた。僕のことを受け入れてくれるかもしれない世界だ。僕は夢中になって山を登り続けた。太陽が真上に上がる頃にやっと立ち止まって辺りを見渡す。やっぱりきれいだ、そう思っているところに突然姿を現した猫さんに声をかけられたんだ。
お前は、何だ? って
予想通りお前は私の言葉を理解した。そしてこう答えたね。僕にも分からない、と。それからお前は生まれてから今までのことを拙い言葉で語ってくれた。母親に食われ、母親を食い、生まれた何か。バケモノと罵られながら辿り着いたのがこの山だったらしい。お前はなぜか嬉しそうに話していたね。
生まれたからには何か理由があるのではないか? お前の存在理由は何だ? 私はそんな疑問を持った。その姿では人間の世界にもいられないだろう。私はお前の面倒をみてみることにした。この出会いにも何か理由があると信じて。
僕にとっては初めてのおしゃべりだったからとても楽しかった。自分の話を終えると僕も猫さんについて知りたくなったからいろいろ聞いてみたんだ。質問すると猫さんは答えてくれた、これも僕にとって初めてのことだった。どうやらただの猫ではなくて、山猫らしい。そしてこの山の主をしているとも言っていた。
それから山猫さんは僕に着いてこい、と言ってくれたんだ。僕と山猫さんの生活が始まった。
お前と暮らしてみて思い出すのはやはりあの少女についてだ。その時の教訓を活かしてお前にはむやみに狩りを行わないように教えようとした、のだが…………お前は何も食べたくないといって狩りの仕方を学ぼうとしなかったんだ。
生きているなら何かを食べていくことでしか生きていけない。「食べる」ということしないお前は「生きている」と言えるのだろうか?
山猫さんは僕に食べ物を得るための方法、「狩り」を教えてくれようとした。でも僕はお腹が空いていなかったんだ。ママのお腹の中にいた時はあんなにお腹が空いていたのに…………。山猫さんは小鳥を取って来て僕に食べさせようとした。こんなもの食べられないよ! 僕は山猫さんに向かって叫んだ。
だってこの小鳥はぼくのことを――――――――
僕は毎日毎日、山猫さんの後をついてまわった。ただ山の中を歩いて山猫さんとおしゃべりするだけで一日が過ぎていった。それだけで僕は楽しかったんだ。
お前と暮らし始めて季節が二回変わった。花が咲き、生き物が産まれる季節になった。相変わらずお前は出会った頃と全く姿を変えていない。人間でいう三歳児のままの体格だ。食べていないのだから成長もしないのだろう。奇妙な姿形をしたお前だが、私はうまく付き合っていけていると思っていた。
そんな中、初めてお前が口にする言葉を聞いた。
お腹空いた。
思わず口にだして呟いていた。山猫さんが驚いたように僕に聞いてきた。お前も空腹を感じるのか? って。ううん、違う、違うよ。僕はお腹なんか空いていない。その時は山猫さんにこう答えた。でも、少し前から僕は確かにお腹が空いていた。ママを食べた時以来の欲求。
そしてまた、僕が食べたくなったのは――――――――
その日は月が大きく、美しく輝く日だった。満月である。寒さ残るこの季節、私とお前は寄り添って眠りについた。それから少したった頃、月が一番輝きを増す頃に、お前は後ろから私に抱き付いてきて話しかけてきたね。要求、といった方が正しいかもしれない。
それは私でないとダメなのかい? 私はお前に聞き返した。
山猫さんを食べたい。
山猫さんじゃないとダメなんだ。僕は山猫さんにお願いをした。今まで仲良くしてくれた山猫さん。僕と初めておしゃべりをしてくれた山猫さん。初めて僕の質問に答えてくれた山猫さん。僕を愛してくれた、山猫さん。山猫さんだから食べたいと思うんだ。僕は後ろから山猫さんを強く、抱きしめた。
お前は言った。自分を愛してくれる存在でないと食べることができないんだ、と。お前はなんと不思議な存在なのだろう。改めてそう思った。自然の摂理から外れた存在だと思っていた。しかし「食べる」という行為は、自分が愛し、愛されるものにのみ行われる。それは自然の摂理そのものであるといっていい。
私は覚悟を決めたよ。だからお前の覚悟も聞かせておくれ。
主を食べると、食べたものが次の主にならなければならない。山猫さんは僕に説明した。普通は主が自然に死ぬを待って、代替わりが行われる。その時先代の主からその意志を受け取るだけでいい。しかし滅多に行われるものではないがもう一つ主になる方法がある。それが主を食べること。
お前は主になる覚悟があるか? この山と共に生きる覚悟はあるか? 山猫さんは僕にこう、聞いてきた。
もちろんだよ。この山には僕のことを気味悪がらない存在がいる。それは僕のことを愛してくれるかもしれない存在がいるってことでしょう? 僕はこの山でしか生きられないんだ。お前がこう答えてくれて安心したよ。
山猫さん。今までありがとう。僕は山猫さんを愛しているよ。愛しているから食べるんだ。
そして私は
そして僕は
お前に
山猫さんを
食べられることにした。
食べることにした。
ヴニャアァァァァァァァァ
ある自然豊かな山。山が眠りについた、その頃に、山猫の叫び声が響き渡った。
「この山には主がいるらしいですよ。きっとこの山を守っているんです。お婆ちゃんが言っていました。たしか今は猫の姿をしているって」
「ああ、その話は俺も聞いたことがあるよ。時間と共に姿を変えるんだってな。俺が聞いた話では今は5歳くらいの子供姿をしているって言ってたけど。主がいる限り、この山は自然豊かであり続けるんだろうな」
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