一也編
第17話 老人と養豚場
老人と養豚場の奇妙な話
※
「豚…………」
私はあなたと出会ってしまった。
ンゴ、ブヒ、ンゴンゴンゴ
出会ってすぐにあなたは存在しているのか、していないのか判断できない存在になってしまった。
ミーンミンミン……ギ、ギィ!!……………………クチャクチャクチャ…………ゴックン…………
友人はあなたを豚と認識しているようだった。あなたは豚になってしまったのですか?
私は花の女子高生。
仲の良い友人や後輩と平凡な高校生活を送っていた。
「吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたか頓と見當がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした…………」
部活もせずに放課後に豚小屋に通うことを除いて
「開けろ!警察だ!!この家で5歳くらいの女の子が虐待を受けていると連絡があった!!」
在学中、何度も何度もあなたに会いに行った。
「あっそうだ! 先生が私の名前を付けてちょうだいよ!」
私が話しかけても、あなたは微笑むだけだった。
「キャー! ねえ! ゴキブリがいる! 気持ち悪~い。一也お兄ちゃん退治してっ!!」
高校卒業と同時に働くことを決意した。子供が好きだったので、児童保護施設で働くことにした。
[ただしプレイヤーの皆様はそのことを忘れてしまいますのでポイントは慎重にご利用ください。]
あなたのことを忘れようとしたんだ。友人が言っていたようにあなたを豚と思うようにした。
「お前豚好きだよな。高校の時豚小屋に女がいるとか変なこと言ってたし。その女に未練でもあんのかよ」
あなたに会いに行くことをやめた。未練なんかないと証明するために…………。私が好きなのは豚だと思うことにした。だから豚を飼うことを夢にガムシャラに働いた。
ああ、どうしてこんなことになってしまったんだ…………たぶん俺はもう長くない…………原因不明の心臓の病だなんて…………
そんな中、友人の一人が結婚して…………死んだ。
ああ、早く、早く、この子に会いたい…………
いつも、この友人が皆で集まる企画をしてくれた。同窓会、結婚式、そして…………葬式。
「ママ。とっても美味しかったよ」
時は流れ、人は変わる。そしていつの日か平等に訪れる死。そんな当たり前のことを意識させられた突然の死だった。
ヴニャアァァァァァァァァ
高校の時から仲が良かった四人組の一人がかけてしまった。残った三人のうち僕を除く二人は付き合っている。仲の良い二人の間に私一人が割って入っていくのも気がひける。そう思うと彼らとも疎遠になっていった。
「おっ! 今動いたな! 本当に元気がいい!」
「ええ、早く元気に生まれてきてほしいですね」
彼らの結婚式を最後に、連絡を取らなくなった。彼らは元気にしているだろうか? そうであることを願っている。
それから数年がたってやっと夢を現実にするための資金が貯まった。懐いてくれている子供達と別れるのは辛かったが、長年勤めた児童保護施設を退職した。
そして
私は――――――――――
※
ある山の外れ。古くから主がいると伝えられている自然豊かな山だ。今、主がどのような姿をしているかは誰にも分からない。人間の大人の姿をしていると言うものもいれば、山に住む他の動物の姿をしているとも言われている。生き物を飼育するには最適の環境。ここに私は養豚場を開き、すぐそばに私が住むための小さな家も建てた。豚についての勉強は怠ったことはない。実際に数頭ではあるが、飼った経験もある。それでもこんなにも多くの豚を見ることは久しぶりのことである。一人が経営することのできるギリギリの頭数ではあるが…………。
豚が運び込まれてきた。私が飼育することになった豚達だ。この豚達は人間に食べられるために生きるのだ。それでも私はこの豚達を愛そう。そして自分でも愛を持って食べよう。
全ての豚が養豚場に運び込まれた。中にいるのは豚だけのはずである。窮屈そうに押し込められた豚だけの、はずである。しかし、そこには
「どうして…………」
あなたがいた。
※
時が流れた。養豚場を経営し始めて、三十年近く経った。あなたと再会してからと言ってもいい。私は老いた。山で豚を飼っている変人、人は私のことをそう呼ぶ。養豚場の規模はさらに小さくなり、豚もかなり少なくなった。
あなたと再会した時、私は泣いた。涙を堪えることができなかった。決して豚を飼うという夢が叶ったことから流れた涙ではない。あなたともう一度会うことができたから流れた涙だ。私はあなたを忘れることなんかできなかったんだ。あなたが豚を愛したように、私も豚を愛そうとした。確かに自分が育てた豚達には愛着が持てた。でも、それは決して、私があなたに向ける感情と同じものではない。結局のところ、私はあなたに囚われ続けていた。どうしようもなく、逃れられず。
朝早く起床する。豚に餌をやるため、あなたに会うため。同じ生活が毎日毎日繰り返される。苦ではない。寂しいとは時々思う。
「おはよう。今日は暑くなるそうだよ」
あなたに向かってしゃべりかける。しかし、あなたは微笑むだけだ。
「あなたはいつも同じ姿だねぇ。美人のままだ。出会った頃は私の方年下だったんだけどねぇ…………」
あなたは年をとらない。私はもうこんなにも老いてしまったというのに。
「じゃあそろそろ行くよ。今日は少し用事があるんだ」
そう言って私は養豚場を後にする。決して返事が返ってくることはない。寂しいとは、時々思う。
あなたに言ったように今日は用事がある。客が来るなんて大そうなものではない。こんな山の外れにある家には滅多に人は訪れない。私もこの山を離れることは少なく、たまに最低限生活に必要な物を買いに山を下りるくらいだ。
用事というのは月に一度行くことにしている墓参りだ。両親の墓ではなく、家から少し歩いたところにある奇妙な墓。
その墓は養豚場を経営し始めて数年が経った頃に私が作った簡素なものである。その日、私は山菜を採りに家を出た。決して楽ではない生活の足しにするため、私はありがたく山から与えられる自然の恵みを頂戴していた。山を歩き始めてすぐのところだ。そこには大きな木があり、その根元に人一人がやっと入れるような洞ができていた。別に何かがあると期待していたわけではない。なんとなく気になって私はその洞の中を覗き込む。中で何かが動く気配がした。ネズミのような小動物の住処にでもなっているのだろうか?
そんな私の予想は見事に裏切られる。
「なぜ、こんなものが…………」
そこにはまだ子供ものであろう小さく白い、骨があった。
名もなき少女が眠る墓。この少女は墓標に示す名前を持たないので、私はこの場所をこう呼んでいる。性別は正確には分からないが、もうボロボロになった白いワンピースと思われるものも骨と一緒に洞の中から見つかったので、少女だろうと見当をつけた。この少女が何年前に亡くなったのかも私には分からない。雨風が防げる場所であったので、風化はあまり進んでいなかった。
こんな山の中でこの年で一人で死んでいった少女に思いをはせる。いったいどんな人生を送ったのだろうか。幸せと思うことができる人生だったのだろうか。なぜか私はこの少女はこのまま、この場所で眠っていた方がいいと思った。だから私は誰にも伝えることなく、ここに墓を作ったのだ。私の身勝手な行動なのかもしれないがこの少女は許してくれるだろうか? 今でも月に一度この少女の墓参りに行く時はそんなことを考える。
世の中には数奇な運命を辿った子供達がいる。そしてこれからもそんな子供達が生まれてくるのだろう。
この少女のことと共に思い出すのは児童保護施設にいた時に特に私に懐いてくれていた少年のことだ。就職して数年たった頃に私が世話をした子供だ。もうずいぶんと前のことになるので名前は忘れてしまったが…………。彼はある朝、突然姿を消した。捜索願いを出したがついに見つかることはなかった。あの少年もこの少女のようにどこかで一人寂しく死んでいったのだろうか。
私もいずれはこの山と共に――――――――――
死後の世界というのがあるならば、どうかそこで幸せに暮らしてほしい。そんなことを願いつつ線香をあげる。その後しばらくの間、綺麗な山の景色を眺めるのがここに来るときの私の習慣だ。
帰ろう。何もすることはない家だけれど。そう決意する頃には線香は燃えきっている。時間はゆっくりとではあるが、確実に進んでいる。
この年になってやっと時間の流れを実感できている気がする。家へ帰りその他の雑事をこなしていると、いつのまにか辺りが暗くなっていた。今日が終わろうとしている。私が向かうのは豚に囲まれて微笑んでいる、あなたがいる場所。
私の一日はあなたに会うことから始まり、あなたに会うことで終わる。
「また、一日が過ぎたねぇ」
山で暮らし始めてすぐの頃、私はあなたがそばにいてくれるだけで嬉しかった。
「今日はお墓参りに行ってきたんだ。私はいつ、死ぬんだろうなぁ。あの少女のようにこの山と共に死にたいもんだよ」
私が死んでもあなたは存在し続けるのだろうか。あなたはいったい…………
「あなたがいてくれて私は幸せだよ。でもなんだか最近、寂しいって時々思うんだ」
せめて、せめてあなたと会話をすることができたら…………。そう思わずにはいられない。
あなたの声を最後に聞いたは何時だっただろう? もう何十年も聞いていないのに、あなたの声だけは鮮明に思い出せる。そう、私があなたと出会ったのはまだ高校一年の時の夏だった。今日のような暑い日が続いていた。
ああ、あの頃に――――――――――
まだあなたと話をすることができた、あの頃にもどれたらなぁ
「あら、今日も来たの? 一也くんだっけ」
「…………あなたはなぜいつもこんな所にいるんですか?」
あなたはいつも、そこにいる。
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これにて完結です。読了してくださった方、ありがとうございました。
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