第十七話 天の柱

 部屋に吹き込む夜風を三途はそっと吸い込んだ。障子戸を開けると、そこに広がるのはいつかのような暗い夜。


 平坂と咲夜が去った後の松江邸には、客人が訪れていた。

 いや、三途はその男を一応は客として客間に招き入れたものの、その人物は左右に控えている三途の部下に挟まれて、拘束されていた。部下たちは、それぞれ白と黒の水干すいかんと呼ばれる装束を身に纏っている年端もいかない少年と少女の姿をしていた。顔の上半分が術式の書かれた白布で隠されている。対照的な姿の二人は、いずれも沈黙を保っていた。

 客の男は正座をした上から、これまた別の術式が書かれた細布を体中に巻かれ、彼の周囲には符が囲むように敷かれていた。すべては三途の使った術を強めるためのものだった。

 正直のところ、端から見れば男は客というよりも虜囚の類に見えると言わざるを得ない。

 随分と念入りな拘束術に、男は内心、どうしたものかと思案に暮れていた。


「抜け出そう思うても、そう易くはあらしませんよ」


 外から目を離して、三途は少し離れた正面から男を見やる。


「そうでしょうなあ。いやあ、流石に参りました」


 困ったような声。


「軍支給の式をダメにされ、加えてこんな厳重な封を受ける羽目になるなんて。ああ、私は実に運がないなあ」


 三途の手元には、男から押収した持ち物に入っていた名刺が握られている。


【日本ノ国 国防軍 第四事象調査隊 第二中隊所属 少佐 藤原朔】


 これが男の肩書だった。肩書自体に間違いないが、その命には別の名が刻まれている。何かを視ることに関しては多少心得がある三途だったが、この男の素性は厳重に隠されているようで視ることはできなかった。男が所属する組織柄、彼が偽名を名乗るのは致し方ないことだ。

 そもそも、三途がこの男と相対しているのは、偽名を名乗ったからなどという理由ではないのだが。

 一先ず、三途は男へ呼びかける。


「少佐さん、ご存じやと思いますけど、坂許町は特別事象基本法における第四事象特別区域です。この町での軍事活動には、松江家当主の許可が必要なのです。無許可でこの町に侵入し式を放つというんは、明確な規定違反とちゃいますか?」

「あ、それじゃ、今いただけますか、許可」


 天気のでもするかのような弾んだ声で男は三途に行った。三途は柔らかく笑みを浮かべる。


「規定は守ってもらわんと」

「ええ、だから、許可くださいって」


 藤原は体をよじった。三途に近づこうとしているらしいが、上半身が僅かに揺れるだけで足の方は微塵も動かない。


「事後承諾になってしまうのは申し訳なく思います。私の落ち度ですよ。面目ないですね。しかし町を見て回ってただけですよ、私。いや、まあ、言い訳だって言われればそうなのですけどね」


 男の他に声を上げる者はいない。軽い調子の声が重苦しい空間で空回る。


「まあ、何でしょうね。そのうち軍属の者たちが生きているだけで軍事活動とか言われてしまうのかな、と思うとやるせなさみたいなものは覚えますね。我々の活動と言えば、戦争だとか征伐だとか殲滅だとかがクローズアップされがちですけど、一応、救助活動とかね、そういうのも我々の仕事なんですよ。まったく広報部隊の職務怠慢としか思えません。最近は予算もカツカツな中で、妖モノやら兵装やらもやりくりしていましてね。……ああ、すみません。ちょっとばかり話がそれましたね。結局のところ、許可はどのように申請すればよろしいでしょうか。持ち物を返してもらわないと、サインとか印とかできないのですけど? まず、持ち物を返してください。あと、申請用紙とかいただけます?」


 男が長々と捲し立てる言葉を最後まで聞いてから、三途は目を細めてみせた。


「分からへんなら、はっきり言わしてもらうわ」

「へ」


 それ以上、藤原は声を上げることができなかった。

 ほんの刹那の内に、客間の温度が急激に下がったように思えた。これ以上何か言えば、これ以上少しでも動けば、ただでは済まない。そんな空気感。

 目の前で立ち上がった三途は女性らしい柔らかな表情を浮かべている。しかし、そこには視線で命の底まで凍り付かせるようなおぞましさをはらんでいて。冷たさに焼かれるような心地でいるだろう男に彼女は口を開く。


「うちがここにおるうちは、あんたらが言うとやらの許可をすることは一切ない。我々は決して忘れはしないから」

「何、を……」


 命からがらといったていで返事をする藤原を意外そうに見下ろし、三途は続けた。


「第四事象調査なんていうお題目で、特にここ数百年何をしでかしている所業。うちらが知らんでいると思うてる? あんたも知らん立場というわけやないやろ? すっとぼけて隠し通せる思うてたんかな?」

「……」


 男の咽喉から変な音が聞こえた。もう言葉を喋る余裕はないらしい。


 三途は思い返す。

 この世に存在するようになって、もうどれくらい経ったか。長い時の間に見たのは、妖モノとヒトの僅かばかりの温かな交流、血塗られた歴史。そして……。


。」


 そう言った後で、三途は内心小さく笑ってみせた。 

 松江家当主になってから自分の感情の扱いは気を付けていたはずなのに、そう上手くはいかないものだ。もう少し抑えて話せると思っていたのに。


「……ま、せやね。努々ゆめゆめ忘れんようにお願いしますよ、軍人さん」


 固まっていた藤原にも、ふふっと笑いかける。春になって雪が解けるように、彼の表情は緩やかに戻っていく。そして、ようやく息の仕方を思い出したようで、大きく息を吐いた。


「はあ……はあ、なるほど。正直、申し上げて侮っておりました」

「見かけで判断するのは早計ですやろ、妖モノもヒトも」

「……あはは、確かにおっしゃる通り」


 やっとの思いで、男は乾いた笑いを浮かべる。冷や汗が背を伝う。


「ヒトは見かけに寄らぬもの、なんて言葉もありますが、妖モノも然りですな。いやはや、貴女のことは少し事前に聞き及んでいましたが、まさか貴女のような可憐な女性が昔は、」

「今の私は、坂許町を統治している松江家当主、松江三途です。それ以上でもそれ以下でもあらへん」

「……本当に許可、いただけませんか?」


 懲りない男に三途は言った。男の質問に彼女は答えなかった。


「今回の件、本営の方に後で連絡入れさしてもらいます。持ち物はお返ししますので、お引き取りを」


 その一言を合図にして、藤原に巻き付いていた細布がハラリとほどけ落ちた。符も効力を失って、ただの紙切れ同然になる。

 拘束で痺れた手足を男が揉んでいる間に別室にあった持ち物を、黒い水干の方の部下が持ってきた。刀や札などといった兵装から、飴玉や財布などといった私物まで、畳に揃う。


「松江さん、飴はお好きですか? これ、この町の駄菓子屋で買った塩飴なんですけど要ります?」

「今は結構です。お気持ちだけ。……卯ノ区にあるお店でしょう? あそこは麩菓子も美味しいですよ」

「そうですか。では、それは次来た時にでも購入させていただくとしましょう。塩飴はね、疲れた時とか良いですよ。あ、でも妖モノにはどうなんだろうな……」


 藤原は独り言をぶつぶつと言いながら、飴玉を拾い上げた。包み紙の両端がよってあり、引っ張れば中身が出てくるようになっている。彼は口に飴玉を放り込もうとして、


「なっ……!!」


 しかし、それは叶わなかった。男は声を上げ、白い飴玉は床を転がる。


 カッと目を焼くような閃光が戸の外に見え、ほぼ同時に、空気がジンと震える衝撃。そして地面を深くから揺るがすような轟音。


 三途は弾けるように外へ飛び出した。障子戸の外は屋根付きの歩廊になっていて、上下の階へと繋がる階段が設置してある。

 空に視線をやれば、そこには青白い光の柱が天高く伸びていた。瞬くように、しかしはっきりとその力を示すように伸びるそれは、ただの光ではない。見るものに畏怖を与える圧倒的な力。

 より上へ向かおうと裸足で歩廊を蹴り出せば、まだ春服では肌寒さを感じるほどに、外の空気は冷たい。


 やがて、三途は松江邸の最上階の歩廊までやって来た。欄干から身を乗り出すように、光の柱の方を凝視した。位置は松江邸からは少し離れていた。


 それは、この世の祝も呪も内包した輝き。

 それは、周囲の空気、生命、存在、何もかもを飲み込まんとする絶対的な脅威。


「おお、あれはものすごいエネルギー体ですね。卯ノ区で見かけた歪みなんかとは全く異質な感じの。いやあ、初めて見ました。何ですか、あれ?」


 後ろから彼女を追ってきたらしい藤原が言った。息を切らし、ハンカチで額の汗を拭いている。その後ろでは三途の部下たちも心配そうな面持ちで佇んでいた。


 これは非常に大変なことになった。

 あれは、ものすごいエネルギー体などといった、そんな生易しいものではない。そんな存在ではない。


「――――」


 焦燥のまま、三途は小さく呟いた。


「あ、すみません。よく聞こえませんでした。もう一度お願いできますか?」


 話しかけられていると勘違いした藤原に尋ねられたが、この期に及んでそれに構っている余裕などなかった。

 三途は二人の部下に呼びかける。


「クロ、シロ」

「はい」「ここに」


 白布の裏から幼い声。


「少佐さんをお客様用の寝室へお通ししはってくれる? くれぐれも結界を忘れずに」

「御意」「御意……あの三途様は?」


 シロの方が心配そうに尋ねた。三途は心配をかけまいと笑ってみせる。少女の小さな頭を柔らかく撫でた。


「心配あらへんよ。少し行って来るだけ。二人は二人の務めを果たしてくれたらええから、ね?」

「はい、三途様」「どうかご無事で。……すべては御身のために」


 二人は藤原の両脇にぴったりとくっつき術を発動する。


「ちょっと、何が何やら、訳が分かりませんよ!」

「大丈夫。寝はってる間に終わります。そのうち陽が昇ってきて、朝は来る」

「え、ちょ、えええ?!」


 直前にそんな言葉を交わし、藤原は三途の前から姿を消した。


 一人になって改めて見上げる、夜の闇を裂く天の柱。

 この光景は初めてではない。

 けれど、この光景に慣れることは、きっとない。これまでもこれからも。

 見るたび、畏怖を覚え、足が竦む。何度でも恐怖を植え付けられ、思い起こす。

 けれど……。


 先に藤原に聞き返された一言を、三途はもう一度だけ呟いた。


「出雲君」

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