第十三話 たとえば、それは紅の栞
二人は噴水広場の梅まで戻って来た。梅はすっかり変わり果てていて、花のみならず、枝も細いものが粗方腐り落ちている。咲夜はあたりを見回したが、先の男はやはり見当たらなかった。
太い幹には大きな
「こんな穴までできてしまうなんて……」
「いや、これは最近出来たものじゃない。大分前からあるものだろう」
そこは粗く千切られた紙片でいっぱいになっていた。手ですくってみると、紙片は比較的新しいものもあれば色あせているものもある。新しいものは、盗まれた記録のようだった。
美玖たちには報告のために式を飛ばし、洞にあった紙切れはすべて回収することにした。
◇坂許町北部 子ノ区 平坂古物店◇
夜も更けて、平坂は古物店の地下の術式を応用して、紙切れを復元する作業をしている。この術式は、平坂が普段写実師として世の歪みを調律する時に使うものだ。なお、気が散るからという理由で咲夜は地下からは追い出されている。
こういうことは初めてではない。古物の復元をする時も、写実師として調律をする時も、平坂は彼女を地下に入れることはない。気が散るというのも理屈としては分かる。
自分は聞き分けのない子どもではない。彼の意図を分かっている。そう咲夜は思っている。そう言い聞かせる。
「咲夜、寝てるのか?」
ようやく地下から上がってきたらしい平坂の声を聞きながら、咲夜は眠ったフリをする。いつも平坂が寝ているソファの上はなかなか居心地が良い。平坂はいつも窮屈そうだが、咲夜にしてみれば手足を目いっぱい伸ばすことのできる、良い大きさだ。
ここで咲夜は秒数を数える。平坂がため息を吐くまで、あと三秒。平坂が声をかけながら肩を揺するまで、あと十秒。
「……咲夜、起きろ。復元が終わった」
まさに彼女が数えた通り、平坂は声をかけた。
それにつまらなさを感じて、咲夜は目を開ける。目をこすって、パチパチと瞬きを数度。目の前には少し疲れた様子の平坂。手には巻物八つに、輪ゴムでいくつかの束にまとめられた書簡。
「何じゃ。騒々しいの。散々待たせおって」
「待っている間、寝てたろ」
「……結局、何か分かったことはあるのかの?」
分かったことがないとは言わせないという言外の圧を出す咲夜に言いたいことは山とあったが、平坂はソファ近くの低い棚の上に巻物を並べながら語り出した。書簡の束は咲夜の膝の上だ。
「紙片からは、盗まれた記録資料……つまり、植樹記録と、その書簡が復元できた。まず、分かったのは、三上農園にあった梅は、学校の木の親株……。つまり、学校のは、挿し木されたものだということだ」
「サシキ……?」
「簡単に言うと、元となる木から枝を一部切り取って、それを別の場所に根付かせるんだ」
本来、根付きにくいという理由で、梅の挿し木は一般的ではない。実際、復元した農園と学校の記録によれば、三上農園が梅の木の挿し木を行ったのは学校の梅の木のみ。それ以降は行われていない。
「つまり、学校の梅と農園のでっかいのは関係があるってことじゃな。あの梅をやった奴はそれを知って……」
「そういうことになるな」
学校の梅の木の下で消えた女生徒、そして歪み。
ブックカフェひだかから盗まれた資料。
三上農園の梅が襲われた事件。
そのすべてが繋がっていく。
「それからこっちは、」
続けて、怪訝な顔をしながら示したのは、書簡だ。僅かに茶色く色褪せている。
「書かれた時期はバラバラだが、送り主と宛先は一緒だった。だが、中身はこれと言って意味が分からない」
「そうか。見ても良いか?」
書簡から二三通、適当に取り出す。平坂は復元したと言っていたが、宛名や差出人は滲んでいてはっきりとは読めず、住所の記載はなかった。ペーパーナイフか何かで綺麗に封を切った跡があり、中の便箋も封筒と同じように変色している。便箋の文字自体は封筒のそれよりもはっきりしていて、読むことができる状態をある程度保っていた。
“×××様
春の香りはまだ遠×、風も冷×さを残してお×ます。
×××様におかれましては、いかがお×ごしでしょうか。
私は、×の手紙を書くことが近頃の生き××となっております。
貴方か×の手紙が来る×びに胸×高鳴り、溢れそう×なるのです。
私の部×からも、満開の梅の花が見え×おり×す。
良い香りを永×に閉じ込めた×て、花一つ栞にし××た。
この手紙と共に、貴×に届けます。
では、×うか息災で。
いつかまた、あの美しい梅の下でお会いしたく存じます。
春子より”
手紙の通り、封筒には栞が入っていた。小さな花を押し花にして作った、何とも可愛らしい栞だった。この手紙と同じ頃に作られたとは到底思えない鮮やかな紅に咲夜は目を見開いた。
「な? よく分からないだろ?」
「大馬鹿ものがああああああ!!!!」
咲夜は腹の底からの大声で怒鳴りつけた。自分もそこまでそういうことに関心があるわけでもないが、それでも流石に今回は分かる。
刀で叩き斬ってやりたいくらいの馬鹿振りに、呆れも怒りも通り越してやるせなささえ覚えてくる咲夜だった。
しかし、一言叫んだところでやるせなさの方が勝ってきてしまった。怒鳴るのも馬鹿らしい。
「うん、何だろう。ここまで来ると流石にちょっと引くぞ……」
「何でそんなに目が死んでいるんだ? 確かにあそこにあったことを考えると無関係なものとは思えないが、だからと言って重要な文書にも見えない。何かの暗号、呪術とも違うしなあ」
本当に、本当にどうしてこうも……。
再び色んなものがこみ上げてきて、咲夜は胸倉を掴みあげた。頭突きをせんばかりに頭を近づけ、平坂を睨み上げる。
便箋に書かれている綺麗に整った文字。
相手を気遣う温かい言葉。
そして、彼への想いを精一杯閉じ込めたであろう紅の栞。
「こいつは紛れもない恋文じゃろうが!! このたわけええええええ!!!!」
坂許町の夜に、その声は大きく響いたのであった。
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