第十話 香りを嗅いだら爆発

 長瀬の名前が出てから、平坂が美玖の身に呪術の痕跡を見つけるまで、そう時間はかからなかった。

 その術のがあったうなじを嗅ぐ平坂は、再び座敷童子の殺意溢れる鉄槌を喰らうはめになったわけだが、その術の正体が判明した時、その殺意は術者に向かうこととなった。


ぼう】の術。

 記憶や判断力を散漫にする術。

 最悪ヒトとしての感情すら失くしてしまう危険な術だ。


「術がそこまで強力ではなかったのと、美玖自身に多少抵抗力があったのが不幸中の幸いだったな」

「しかし、美玖の場合、【茫】がかかってなくともドジなところは変わらんがの」

「あー、あたしでも認めざるをえないわ、それ」

「ちょ、ちょっと二人とも、ひ、酷いですよ……」


 こんな話を笑いながらできたのも、美玖の術を解き終わって、事がある程度落ち着いてからのことである。

 

 平坂は美玖に学校に近づかないよう強く言い聞かせ、カラ子には学校の事後処理関係を退魔師連中に依頼しておいてほしいと頼んだ。彼らは、妖モノ関連の荒事処理が専門の術師集団だ。少し荒っぽく破壊的な連中だが、仕事はしっかりこなしてくる。

 テーブルの上に広げられたままの資料を見つめて、咲夜は腕を組む。


「ふむ。しかし、本当にあの長瀬が写実師とはの」

「いや、それは考えづらい」

 

 と言いながら、平坂は再び美玖の薄い色の髪を手で掬い(そして、カラ子に痛烈な一発喰らい)、項を露わにする。そこには何もないように咲夜には見えたが、平坂とカラ子には何か見えたらしい。一様に顔を顰めている。


「うわあ、何これ。改めて見てみると、痕跡だけとは言え、酷いもんね」

「ああ。術のかけ方があまりに雑だ」

「つまり、写実師と考えるには術の精度が甘すぎるって言いたいわけね」


 カラ子の確認に平坂は神妙に頷いた。平坂に対して当たりが強い彼女だが、彼の言わんとするところは把握しているらしい。椅子にドンと足を組んで座り、いつの間にか淹れていたカフェラテを傾けている。


「大方、記録を持ち去るために騙ったんだろう」

「そう考えるのが妥当かしらね。それにしても、腹が立つわ。うちの記録を勝手に持ってったり、みっちゃんに手出したり」

「ててててて、手???! 出されてないよ!!!」


 首筋を晒したままの美玖は顔を真っ赤に叫んだ。


「あああ、あの、平坂、さん、もうその、良いですか? えと、首、あの、もう髪をはな、離していただけると……」


 さて、平坂は、右手で美玖の髪の毛を持ち、左手の指先で彼女の首筋をなぞっていた。時折、そこに顔を埋めて残り香を探っている。

 術の痕跡から少しでも術者の手がかりを得ようとした行動である。


「平坂?」


 黙ったままの平坂を咲夜が伺えば、その返事はこうだった。


「もう少しで術の型が、ある程度分かりそうなんだ。しかし、衿のあたりが見えづらいな……少し捲るか」

「あわわわわわ……ひひ、平坂さん、ややめ、」


 ここで残り二人の女子が、


「平坂、おぬし……」

「あんた……」

「ん?」


「「このスーパーハイパー朴念仁があああああああ!!!!!!!!!」」


 猛烈に爆発した。



 ◇



 ◇坂許町北部 子ノ区◇



 昨日、平坂古物店を訪れた長瀬は、平坂から見ても咲夜から見てもただのヒトに見えた。妖モノなどとは無縁そうな、普通のヒトだ。

 そもそも、本当にその写実師が長瀬だったかも怪しい。


「おお、平坂。さては怒っておるのではあるまいな?」

「……」

「あれはお前が悪い」

「……」

「それとももっと別のことを怒っておるのか?」


 平坂はどう答えたもんかと悩んだ。どうやら自分は気遣われているらしい。あれだけした後で色んなことがしてみれば、残ったのは、未だ解決していない紅梅の女生徒の謎と、写実師を名乗るの少年の謎。

 自分が抱いているのは怒りではない、はずだ。別にそこまで怒っていない。だが、やはり写実師として、それを騙る存在は確かにあまり良い気分ではない。とりあえず軽く肩を竦めてみせた。


「……して、これからどう動く?」


 あの後、二人は平坂古物店まで戻ってきていた。

 梅の木に関する記録の写しは持っていかれてしまった。原本も、美玖が写し作成時に施していた術式によって、何者かに持ち出されたことが確認できている。恐らくそれらの原本を持ち出したのも長瀬を名乗った奴だろう、と二人は予想していた。いずれにせよ、二つの謎には関わりがあるのは間違いないだろう。


「美玖に記録術の型を教えてもらった。それで写しの所在は割り出せる。探しに行こう。恐らく、持ち出した奴はまだ記録を持っている」

「ん? 何故じゃ? たぶん知られたくない情報じゃから盗んだんじゃろ? 早急に捨て置いておるのではないのか?」

「記録の処分も持ち出し理由の一つだろうが、恐らく本当の理由は別だろう」

「ほう。して、その理由とは何じゃ?」


 話しながら平坂は、何かいつも通りだな、と拍子抜けしていた。昼間にあんな顔をしていた彼女は今となってはすっかり元通りに見える。

 彼女がへこんだままで良いというわけでは、もちろんない。彼女の機嫌が悪くなると、自分もあまり良い気分ではなくなるのだ。だから、彼女には笑っていてほしい。

 分からないことが多い中で、それだけは確かなのだ。


「おい、平坂、【茫】にでもかかったか?」

「……本当の理由は恐らく“知られたくない”じゃなくて、“知りたい”だ」

「む? 何故そうなる?」


 咲夜が考えている間に、平坂は店内の古物を移動し始めた。積み重なった古本に、ゴシック調のクローゼット、足が一つ折れてしまっている炬燵に、何なのかも分からない木箱。

 空いてできた広いスペースに符を円形に敷いていく。ある種の法則性をもって敷かれたそれらを見下ろして、平坂はその前で両手を打った。


 パンッ……


 乾いた音が響き、共鳴するように符が光る。何枚かの札が、その場でゆらりと揺れて立ち上がった。ふむ、と平坂は唸る。


「方角は辰巳たつみで、距離は……」

「あー分からん!! ちっとも分からん!!」


 説明がないまま放置されていた咲夜がそう叫ぶ。


それを店内で振り回すのはやめろ。危ないから。……場所は割り出せた。行くぞ、咲夜」

「ちょっと待て! 分からんまま行くのは何かモヤモヤする! もったいぶらず教えるのじゃー!」

「そして、切っ先を他人に向けてはいけません。……あくまで俺の憶測だぞ。当たっているかは、記録を盗んだ奴に直接尋ねれば分かる」

「はあ、なるほどの。とにかく行くしかないということか。場所は?」


 平坂は麦わら帽子と杖を手に取って応える。


「卯ノ区、三上農園」

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