第八話 ココアと珈琲とパフェと
坂許町は日本唯一の古書店街だ。
故に日本中の全ての古書がこの町に集まってきていると言っても良い。古書店は町のあちこちに軒を連ね、その様相は様々だ。
その理由は、扱っている書物の種類、古書店自体の建築様式や棚の色合い・デザインなどが関係しているが、その店の店主の性格的な面も大きく影響している。
「えっと、まさか平坂さんがいらっしゃるなんて、えっと、お茶請けは、ああ、どうしましょう」
「どうもこうもないっしょ。咲夜ちゃんならともかく、野郎にお茶請けなんていらないわ」
ここ、ブックカフェひだかは、東坂許中等教育学校の裏門前にある小さな古書喫茶である。おっとりとしたヒトの店主、
店内に入ってすぐ、右手にカウンターがあり、左手には本棚と飲食できるスペースがある。小洒落た彫り物で装飾された丸テーブルの一つを挟んで、平坂は座っていた。その周りには、これまたお洒落な濃い茶色の本棚が難しい顔をした男を窺うように並んでいる。
「それで?」
平坂の正面にはカラ子が、ゴミを見るような目で平坂を睨んでいた。
抹茶色の着物に黄色の帯、そしてその上に白いフリルのエプロンをしている。服装は清楚そのものなのに、その表情と椅子に跨るように座っているせいで台無しになっている。
「あ、あの、注文はっ……」
「コイツのような腐れ野郎に出すものなんて無いわ、みっちゃん。良いからちょっと奥で休んでて」
「でも、でも、カラちゃん……お客さんに、平坂さんに失礼なことは、」
「しないわよ。良いから任せて」
それでもなお、美玖は心配そうに二人を交互に見つめていたが、やがて、
「あの、一応、私の方で符を敷いてあるし、カラさんの祝も効いているので、怪しいモノは来ないはずで、えっと……ごゆっくり!」
どもって言いつつ店裏に走って行ってしまった。
「それで?」
座敷童子は仕切り直した。
「甲斐性無しの朴念仁、何だってあたしらの休日の午後を台無しにしてくれたのかしら?」
「そんなつもりはない。頼みごとが少しばかりあるだけだ」
「だぁかぁらぁ! それが台無しにしてるってのよ! せっかくみっちゃんとまったり過ごそうと思っていたのに。何なの、頭に蛆でも詰まっているの?」
眉をきつく釣り上げつつも、カラ子はテーブルの水差しからグラス二つに水を注いだ。そのうちの一つを勢いよく煽る。
「……さっきまでやたら外がざわついていたのは、あんたのせいよね。咲夜ちゃんもいる感じだったのだけど、気のせいだったかしら?」
「さっき、ここに来るように式を送った。そろそろ来る頃だろう」
「じゃあ、ちょうど良いわ。咲夜ちゃんが来店するまでの間にきっちりその頼みごととやら、伺おうじゃないの。それから、状況説明もしてもらうわよ」
やたらと凄みの利いた笑みはカラ子の業腹具合を表しているようで、平坂は身震いし、密かに苦笑をかみ殺した。
どうも彼の周りには、恐ろしい女性が多いようである。
◇
公園で式を受け取った咲夜が長瀬と別れてブックカフェひだかに来てみれば、そこには不機嫌な表情でいるカラ子、それを諫めている美玖、そして左頬を真っ赤に腫らしている平坂がいた。ついでに言えば、彼の顔はびしょびしょに濡れてもいて、傍には空になったグラスが置かれていた。美玖がタオルを渡している。
「さびゃ、」
「あー咲夜ちゃーん! 聞いたわよ。このアホ外道野郎のせいで大変だったんだってね」
腫れのせいで上手く話せないらしい平坂を押しのけ、お品書きを持ったカラ子が走り寄る。
「大丈夫? 怪我とかしていない?」
「お、おう、私は大丈夫じゃ。何というか、その、平坂が世話になったようじゃな……」
「あ、あの、咲夜ちゃん、ごめんね。えっと、まさか平坂さんがこんなことになるなんて、本当にごめんね!」
美玖は哀れなくらいに何度も頭を下げていた。何があったのか咲夜にも薄々理解できていた。
「いや、なんかこちらこそすまん」
「ううん、大したことないわ。そんなことより、疲れたでしょ。ここから好きなの選んでね。個人的にはスペシャルモカチョコレートイチゴパフェのホイップクリーム増し増しがオススメよ。ま、めっちゃカロリーお化けだけど。あ、その前に飲み物?」
「ああ、うん。そうじゃの。アイスココアと……平坂に珈琲を」
「……まあ、そうね。咲夜ちゃんの頼みなら。そこに座って待ってて」
本当はこんな奴にうちの品を振舞いたくないけどね。
そんなことを渋々呟きつつ、カラ子はパタパタとカウンターへ走っていった。
「あ、改めまして、カラちゃんがご迷惑おかけして、その、本当にごめんなさい」
「ひいんです……えっと、良いんです。美玖さんが謝ることじゃないですから」
どうにか口を動かし、平坂は言った。
事情を説明した。梅の下で女生徒が消えて歪みが生じた。そしてその調律のために動き、先程桜と一戦交えた、と。
そしたら、カラ子に頬を殴られたのだ。グーで。
「そうじゃ。そもそも平坂が何か余計なことを言ったんじゃろ。カラ子は理不尽にキレることはまずないからの」
咲夜はグラスに水を注ぎ、平坂の頬に当てた。平坂はそれを受け取り、そのひんやりとした心地よさにしばし目を瞑る。そして、改めて咲夜のことを見たのだが、目を逸らされてしまった。
最後に彼女の姿を見たのはほんの数十分前のこと。彼女が迷い、狼狽え、失望したのはついさっきのはずで。けれど、そこにはもう先までの後ろ向きな彼女はいなかった。むしろ、目を逸らしたこと以外はいつも通り過ぎて、逆に違和感すら覚える。
「そ、それでも殴っていい理由にはなりませんから。だから、えっと、せめて平坂さんの頼みごとのお手伝いをさせていただければと……」
「頼みごと、とな?」
「え、ええ、うちはブックカフェだけでなく卯ノ区の記録保管も担っているんです。こ、ここ数十年くらい征伐だの戦争だの軍事関係が何かと物騒で、記録喪失もあったりしますから。そ、それを、防ぐ役回りでして……。ひ、平坂さんは、その記録をお調べになりたいと伺ったんですけど……その、私もまだ詳しくは、」
「それに関しては、さっきあたしがこの朴念仁にまとめさせたわ」
カランと氷が鳴りテーブルの上にココアと珈琲が置かれた。カラ子はそこに小さなワッフルを乗せた皿を差し出す。ホイップクリームとブルーベリージャムが添えてある。無論、平坂の分はない。
美玖には小さなメモを差し出した。
「ここに書いてあるけど、結構量があるみたいなのよね。みっちゃん一人だときつくない? あたしも手伝おうか?」
「ううん、大丈夫。ありがとう、カラちゃん。そ、それに、あの、」
美玖はメモを胸に抱き、顔を真っ赤にして平坂を見ていた。心なしか目が潤んでいる。
「平坂さんもあ、ありがとう、ございまっす。ちょ、ちょちょちょっとお待たせしますが、あの、お待ちになってください」
平坂は無言の会釈でそれに応えた。
裏返った声で叫んでいた美玖は、カウンター裏にある地下階段へとあたふたしながら降りて行く。
「はあ、本当に朴念仁ね」
珈琲は香ばしい湯気を立てていた。二人の間、持ってきた椅子の背をテーブルに向けて再び座ったカラ子は、渋い表情をして、平坂を睨んだ。
「甲斐性無しの朴念仁だわ。気遣いの欠片もない」
「そこまで言われる筋合いはないだろ」
「あるわよ。大ありだわ」
カラ子はおかっぱ頭を振りながら、テーブルを掌で叩いた。どうやら平坂を殴ったところで、機嫌は直っていないらしい。
「そっちと違って、うちは普通の古書店兼喫茶店。みっちゃんはちょっと術が扱えるだけでお人好しなだけのヒト。そのお人好しにかこつけて、ややこしいことにいきなり巻き込むのはやめろって、あたし再三言ってるわよね」
「……すまない、カラ子。迷惑をかけたの」
「ああ、違うわよ。咲夜ちゃんに謝ってほしいわけじゃないの」
咲夜の謝罪にカラ子は首を小さく振って一瞬だけ笑ってみせた。しかし、次の瞬間、平坂に向いた顔はまた厳しく歪んでいる。
「その上、咲夜ちゃんに謝らせるなんて、女の子何人困らせたら気が済むんだか」
「困らせているつもりはない」
「自覚がないのが一番タチ悪いわよ! 大体ね、咲夜ちゃんに何で何も言ってあげないわけ?」
「……あえて何か言うことがあるか?」
カラ子はとうとう頭を抱えて喚き散らす。
「あああああ、何なのこの最高に鈍感な男は!!! あのね、友人を傷つけるってのがどんなにショッキングなことなのか分からない?」
ああ、そんなことか、と平坂は思った。
そんなことは、自分にはどうも分からない。
さっきだっていくら考えても分からなかったから考えるのを止めてしまったくらいなのに、また改めてカラ子に言われたところで分かりっこないのだ。
思考は前に進まない。心なんて尚のこと。
「……気味が悪いわ。何で笑っているの?」
もはや彼女は怒るのも忘れてしまったらしかった。そして、どうやら自分は笑っているらしかった。何故かと言われれば、これまた“分からない”だ。
「カラ子、それはの、もう良いのじゃ」
優しく、しかし毅然とした声が言った。
「私はの、平坂」
その声は平坂に呼びかける。顔を上げれば、咲夜の目は平坂を射貫いていた。
「すまなかったと思う」
「……何が?」
「あの時、ためらったことをじゃ」
ああ、なんて目だろうか。
ここまでまっすぐで純粋な目を今まで見たことがあったろうか。平坂が分からない分、彼女はどうやら分かっているらしかった。
「もう迷わん、とは言わん。迷うかもしれん。だけど、お前を守るという一点をだけは、もう迷わない。もう、お前を傷つけさせない。じゃから、安心するのじゃ」
桜は友人だ。ヒトになじめているとは言い難い自分の、学校内の数少ない友人の一人で。だからこそ、桜があんな状態になっても躊躇した。太刀筋は迷ってしまった。けれど、それで結局桜も平坂も傷つくことになった。それは事実だ。消すことはできない現実だ。だからこそ、次は必ず。
「でも、この朴念仁を守るときに、またお友達を傷つけなきゃいけないことになったらどうするの? お友達を傷つけたくないっていうのは当たり前の気持ちじゃん。何でも斬れば良いってもんじゃないし。そういうことになっても咲夜ちゃんは同じこと言えるの?」
咲夜が視線を動かすと、カラ子の強い瞳とぶつかった。
それは図らずも、しばらく前に平坂に言われた言葉と同じで、咲夜は眼鏡の奥の瞳を大きく見開いた。
「もう私は斬ることをためらわない」
それでも、咲夜はそう言い切った。
カラ子は目を伏せた。でも、その口元は微かに笑っている。
「流石、咲夜ちゃん。あたし、咲夜ちゃんみたいな子好き。ますますこんな朴念仁のところにいさせるのが惜しくなっちゃったわ。こんだけ決意表明したってのに、こいつってば、だんまりなんだもの」
「いや、俺が口を挟む方が野暮だったろ」
カラ子は再び平坂へと目を向ける。
「あんたが写実師である以上、厄介事に巻き込まれやすいってのは分かるわよ。けどね、毎度言葉が足りないんじゃないかしら。あんた一人で写実しているんじゃないってこと、彼女も一緒なんだってこと、忘れないことね」
ついでに一般人であるあたしらも手を貸していることも覚えておいてほしいものね、とカラ子は皮肉たっぷりに言ってみせた。
言葉が足りないとは言われたが、何を言えば良いのだろうか。
平坂は首を軽く傾げた。正直よく分からなくて、やはり女性は苦手だ、と思っただけだった。
カラ子はため息を盛大について、頭を抱えた。
「あーあ、ダメだ、こりゃ。こんな男のどこが良いんだか、理解に苦しむわ」
「流石に失礼な言い草だな」
「失礼上等。座敷童子的観点から言えば、アンタにこの店の敷居またがせるだけでも背筋に悪寒が走るのよ。当店は災厄・呪詛・怨嗟っぽいものの持ち込みはかたーくお断りしておりまーす」
「あ、カラちゃん、ダ、ダメだよ。平坂さ……お客さんをいじめちゃ……」
カラ子が大仰に腕で大きく×印を作ったところで、ちょうど美玖が地下から戻ってきた。腕に巻物をたくさん抱えていた。
「お、お待たせしましたああわあああわわ」
そして、階段の最後の段で盛大にずっこけた。巻物をいくつか取り落とす。自身は、ビターンと妙な音を立てながら、地面に顔から突っ込んだ。
「お、お騒がせして申し訳ありません……」
皆で巻物を拾い、鼻をさすって痛がる美玖をなだめた後、四人は改めてテーブルを囲む。巻物はかなり傷みがある古そうなものから、明らかにここ数年で作られたであろうものまであった。
「えっと、こちらは東坂許中教学校の敷地管理記録、その写しです」
古そうな巻物を手で指して、美玖は言った。
「こっちの方は、この町の植木販売業者“三上農園”の植樹記録です。こっちも写しですけど……」
「そんなもの、私たちが見ても良いのか?」
「え、えっと……だ、だだ大丈夫だと思うけど……」
「そこの写実師に訊いた方が良いかもね」
何で俺が、と平坂の顔が顰められるが、カラ子は容赦なく言い放つ。
「言葉が足りないって話したでしょ。もう忘れたわけ? ここで練習しときなさいよ」
「……写実師とその随伴者は、世の中の一切を記録するという職業柄、あらゆる記録管理者にその記録の開示を求めることができる、という規定がある。有名無実化している古い約定とは違って、こっちは妖モノとヒトの規定としてしっかり決まっている」
「なるほどの」
ならば気兼ねしなくても良いってことじゃな、と咲夜は三上農園の巻物を適当に手に取った。
「それじゃない。年月日を見ろ。たぶん、もう少し古いのだ」
「古いの?」
平坂は平坂で、学校の記録の方を手に取ったが、中を見る前にカラ子の意味ありげな視線を感じた。というか、ほとんど殺気に近い。
ここは黙りこくって敵を作るよりも、空気を読んだ方が得策か。
「あの梅の木の記録が知りたいんだ。一緒に探してくれないか」
言葉が足りないのなら、言葉を発すれば良いのだろう。果たして、これで正解なのかはさておいて。
そんな平坂の内心など知る由もない女性陣、カラ子は咲夜に耳打ちをした。
「ここで“パフェをおごってくれたらやってやらんこともないな!”って攻め込むのよ。ついでに“私以外の二人も食べたそうにしておるぞ”とか付け加えると最高ね」
「え、いや、確かにパフェは食べたいが、自分で、」
「あら、意外に殊勝ね。このおバカに奢らせたってバチは当たらないわよ。
「よ、よく分かりませんが、その、咲夜さん、頑張って」
咲夜の目の前で、耳打ちの内容が丸聞こえだったらしい平坂があからさまに眉根を寄せていた。
「そうじゃのう……」
多少ぎこちなく言葉を発した唇は、次の瞬間には不敵に笑みを浮かべた。腕を偉そうに組み、お品書きを指す。
確かにたまには平坂に甘えるのも悪くはないかもしれない。
顔を顰めたままの写実師に妖刀使いの少女はこう
「私たち三人に、キングジャンボ特盛EXイチゴ&チョコレートパフェのホイップクリーム増し増しをおごってくれるのなら、お主の望み、考えてやらぬでもないのう」
呆れながらも、平坂は思わず口元に手をやって笑いを噛み殺した。何時だってこの少女には思い切りがあって、何時だってこちらが空気を読もうと思案する間にそれをぶっ壊す。なんだかんだ、自分はそれに救われている。守られている。
「仰せのままに……お嬢様方」
平坂は、そう言葉を口にしたのだった。
◇
結果から言えば、梅の木の記録は見つけることができなかった。大食い用メニューである高さ3mのパフェに苦戦して記録探しどころではなかった、ということではもちろんない。(ちなみに最初に出されたワッフルも含めて、ものの15分ほどで完食している)
そもそも、その梅の木の植樹記録を含む巻物が、一切なかったのである。
「ああ、えっと、そう言えば、今朝方に来店された方に記録をお貸ししたんでした……」
「はあ? 何でそれもっと早く言わないのよー!」
「う、うわわ、ごめんなさいっ! 今思い出してっ! カラさん寝てる時に来店して……」
「言い訳無用!!」
「うっ……カラさん、くるし……」
「借りて行ったのは誰なんじゃ?」
カラ子に締め上げられている美玖に咲夜は尋ねる。
「けほっ……あ、えっと、写実師の男の子です。たぶん咲夜ちゃんと同い年くらいで、というか、教育学校の制服着てました」
「名前は? ちゃんと記録してるわよね!?」
「も、もちろん。名前は確か、」
その口から出てきた名前に、平坂も咲夜も目を見開いた。
「な、長瀬彰さんという方です」
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