第六話 偽りは花を枯らし

「その女生徒が消えた時にはオラ、出かけていたからよく分からないんだけどさ、梅の木氏なら随分前から、あちこちウロウロしてたよ」


 頭から桜の花の蕾を生やした小太りの男は言った。タンクトップに短パン、鼻眼鏡という奇抜な容姿だ。おまけに鼻眼鏡の髭部分は電気仕掛けで、ウィンウィンと音を立てながら上下する。鼻の部分からコードが伸びていて、手でボタンを操作するタイプらしい。


「随分前とは、どれくらいじゃ?」

「うーん、オラは梅の木氏よりもちょい後にここに植えられたから、詳しいところは分からないけどね、たぶん植えられてからずっと」

「つまり、その頃からここは歪んでおったというのか?」


 咲夜の驚く声にウィンウィンという音が応えた。鼻眼鏡の髭が動く音だった。男は首を横に振っている。


「歪んでおったわけではないが、梅はどこかへ出かけていた、とな?」

「そうそう。オラ達のような植物の妖モノは、植えられた場所、つまり本体からはあんまし離れて動けないでしょ? だから、おかしいなって思って行き先を聞いたりもしたんだけどね、秘密にされちゃってさ」

「ふむ。一体、どういうことじゃ……? どう見る、平坂?」


 いたって真面目な顔で振り返る咲夜に、平坂は慌てて目を向けた。


「ああ、えっと、そうだな……」


 校門傍に咲いている植物はたくさんあった。先の軍人と別れてから二人は彼らに話を聞いて回っていたのだが、若い草花だと言葉を話せなかったり、話せても事情までは把握していなかったりして、歪みの情報を彼らから得ることは困難だった。

 そこで咲夜が考え付いたのがに助けを求めることだった。

 その友人というのが、学校の植物たちの中でも古参のこの桜である。

 桜はちょうど梅の木のはす向かいに生えていた。ヒト払いの術で閑散としている校庭を静かに見守っている。


 咲夜に話を振られたものの、平坂は鼻眼鏡に気を取られて話が入ってきていなかったのだった。


「ああ、えっと……その鼻眼鏡どちらで手に入れました? ヒトの店?」

「生徒が捨ててった奴を拾ったんだよ。かけてみる?」

「じゃあ、少しだけ、」

「真面目にやらんかい!」


 ウィンウィンと髭が上下する音の中、咲夜は妖刀の柄で平坂の顎下を突き上げた。


「痛い……」

「まったく……。すまんの、桜。此奴は、ヒトと接するのが苦手なくせに、興味だけはあっての。そういう時は気持ち悪いくらい饒舌になる。特にヒトが作った変わった物品には目がない」


 だから、古物店なるものをやっておるんじゃがな、と咲夜は平坂の脇腹、帯の少し下ををグリグリと抉った。


「謝らないで、咲夜ちゃん。この学校の妖モノはオラも含めて、割とヒト好きが多いんだ。彼の気持ちはよく分かるよ」


 結局、鼻眼鏡に関する話は歪みを直してからまた後日、ということになり、平坂は咳払いを一つ。話を仕切り直す。


「植物系の妖モノが本体から離れてしまえば本体の成長が停滞する。だが、あの梅の木はその様子は全くない。むしろ、一般的な梅の木よりも随分立派だ」


 桜の髭が、またウィンと一回動いた。平坂はそれを見やるが、ぐるぐると渦を巻いている眼鏡のレンズの向こうは計り知れない。春の香りは歪みの傍で、世界を補うように香っている。麗らかな太陽の日差しもまた同じように。


「それは妙じゃの」

「多分だが、ヒトを喰らっているんじゃないか」

「そんな馬鹿な。梅の木氏は、ヒトのことが大好きなんだ。この学校の生徒たちの在り様は好ましいっていつも笑ってた……」

「歪みというものは、世界を歪めるだけではありません。ヒトであれ妖モノであれ、その在り様すら歪ませる。貴方のおっしゃることは理解しますが、歪みがこの場に存在する以上、写実師としては色んな可能性を考慮しなきゃいけないんです」


 桜はしばらく頭の蕾と腹の肉をプルプル震わせていたが、それ以上平坂の言い分に言い返すことはしなかった。


「……桜さん、確認したいのですが、梅はどれくらいの頻度で本体ここに帰ってきますか?」

「うーん。数時間で帰ってくるときもあれば、一か月くらいいない時もあったかな。梅の木氏もヒト好きだから、外のヒトに会いに行っているのかもしれないね」


 ふむ、と平坂は唸る。桜の木はまだ緑がかった薄桃色の蕾を膨らませるばかりで花は咲いていない。静かに花開く時を待っているようだった。


「では、消えた女生徒、河西春香のことは何か知っていますか?」

「うん、まあ、彼女は何の変哲も無いヒトさ。人気者ではあったみたいだね。ああ、そういえば梅の木の下で告ってる人もいたね。みんな断られていたけど」


 なんでも、梅の木の下での告白は永遠になるって噂があったみたいだよ、と桜は激しく髭を上下させた。


「そうじゃったのか。知らんかった」

「え、お前、ここの生徒だろ?」

「そうじゃけど、そういうものには興味ない」

「あはは、確かに実際は、あの梅の木にそんな祝はないよ。……そうだ。その河西さんについてはもう一つ。彼女、最近よく一人で梅の木を眺めていたんだ」

「一人で?」

「うん、放課後とか休み時間とかね。誰とも連まないでさ。まだ、花も咲いてない頃からずっとさ。まさか彼女が消えちゃうなんて物騒な話だね」


 桜は首を横に振り、消えた河西を憐れむ様子を見せた。


「なるほど……。行くぞ、咲夜」


 平坂はしばらく思案顔で桜を眺めていたが、もう用は済んだとばかりにあっさりと踵を返した。


「お、おい、平坂!!」


 いきなり歩き始めた背中に咲夜は慌てたように叫んだ。手は平坂の黒い羽織をつかんでいる。平坂は顔だけを咲夜に向けた。


「どうした?」

「どうした、じゃない! 何にも解決しとらんではないか!」

「ここで訊くことは、もうない」

「だからって……。大体、お主、礼を弁えろ! 桜は私たちに助力をしてくれたというのに、礼の言葉一つも言えんのか!?」


 咲夜は言い募る。最初、その顔に宿るのは平坂への不満だったが、


「平坂……?」


 ハッと息を飲んだ少女は、今度は恐る恐ると言った声で、目の前の男に呼びかけた。麦わら帽子の下から咲夜を見る目は、複雑な表情を湛えていた。それはやがて言葉からもにじみ出る。


「おい、平坂……何を、考えておる?」

「……確かにお前の言う通りだ。じゃあ、お礼がてら一つ忠告を」


 それは、明らかな憐憫と静かな怒り。

 平坂は桜を見て言う。


「“偽りは花を枯らし、嘘はまことに至らず。空事そらごとは地中の根から廃すべし”……ある古き書に書かれた一節です」

「ふーん、知らないなあ。生憎僕は字が読めないんだ」


 嘘が花に、葉に、幹に、実に、如実に表れてしまう。それは、草木を司る妖モノだからこそ。

 ウィンウィンウィンと鼻眼鏡が動作した。小太りの男は首を傾げ、腹をボリボリと掻き毟る。


「いくら香りで誤魔化そうと、嘘というのはそれ以上に匂うものですよ」

「……まあ、そうだね」


 二人の声はやたら落ち着いていた。しかし、のんびりとした声を余所に、平坂の声には僅かに険が混じる。


、俺は貴方の嘘に振り回されているような暇はない。今からでも遅くない。どうか知っていることを正直に話してください」

「待て、平坂! 桜はいつも私と語らってくれる良き友人じゃ! そんな此奴が虚言なんぞ吐くわけがなかろう!! 妙な言いがかりはよせ!」


 平坂は桜の目の前まで歩み寄った。咲夜はまだ羽織の端をつかんでいる。平坂と桜、互いに互いを見合い、叫びを無視する。


「確かに俺はヒトに興味があります。だから、

「……まあ、そうだね」


 辺りは静かで、鼻眼鏡の駆動音だけが響く。


「妖モノとして存在する以上、腹は空く。ヒトが食えない時勢では、多少、ヒトの生気を拝借することもあるでしょう。それは別に構いません。だけど、貴方たちはやりすぎだ」


 妖モノはヒトから多少の生気を分け与えてもらう。

 ヒトは妖モノから適度な祝と呪を受ける。どちらが多くても少なくてもいけない。

 妖モノとヒトの共存とは、本来そういうもの。ここ坂許町もそれは変わらない。どころか、松江家が率先してそうあろうと他の妖モノたちに働きかけている。


 桜は眼鏡を外した。小さな目がつぶれるように細まって下卑た笑いを浮かべていた。


「……まあ、そうだね。春休み中は少しヒトが少ないけど、おいしいよ。特に若い生気はね」

「桜、貴様……」


 咲夜の声に平坂は僅かに肩を落とした。桜の嘘を許せない思いはあっても、咲夜のことを傷つけたいわけではなかった。


「土と日の光、水。お前たちにはそれで十分なはずなのに何故……。歪みの影響を受け過ぎたか」

「おいしいものが目の前にあったら食べるよ。当たり前だろ?」


 目がギョロギョロと忙しく動き、手に持ったままの鼻眼鏡も激しく動いていた。桜の体全体が妙な具合に痙攣し、歪む。歪んでいく。

 悲痛な叫びがそこに刺さった。

 

「桜、どうしてっ!!」

「おいしいおおいしいおしおししいおおいいしおいいしよよおよよよよ」


 叫びは奇声に半ばかき消される。

 桜の体はとうとう完全にひしゃげていた。手が地面を掻き、脚が宙を蹴る。口は首を這いながら金切り声を撒き散らし、目玉はころりとずり落ちる。

 そして、本体桜の木から何本もの枝が鋭く伸び、二人を捕らえようと迫った。


 空気を切るそれは、咲夜をかばって立ち塞がった平坂の頬を掠めた。逸れはしたものの、大きくしなり、また背後から迫る。


「−−−−っ!」

「咲夜、走れ!!」


 平坂は杖を構えて、枝をいなす。


「で、でも、平坂」

「良いから行け!」


 有無を言わさぬ語調に咲夜はそれ以上言葉を返すことはできなかった。一度ぐっとこらえるように平坂の羽織を握り、そして放す。そして、とうとう刀を抜く。平坂が捌き切れなかった枝に、続け様二太刀ほど浴びせると、踵を返して外へと走り出した。


 胸が苦しい。

 多少刀を振り回したくらいで、多少走ったくらいで、息が上がるほど柔ではない。けれど、今は……


 咲夜は振り返ることなく、学校の領域、その境目である校門を駆け抜ける。

 それを横目に、平坂は杖を振り回しつつ自らも走り出した。幸い、桜の木から校門まではそこまで距離があるわけではない。桜も本体も動きは素早いが、攻撃の精度はそう高くない。十分逃げられる。

 枝は鞭のようにしなりながら平坂を狙う。桜自身も今尚歪みながら地面をずるずると這う。平坂は懐に手を突っ込み、いくつかの札を取り出した。それぞれ、文字や紋様などが刻まれている。


「おいいしいしおいしいいいしししいいいしおしいしおしし」


 桜の木は原形を留めないほど、枝葉を伸ばし、周囲の他の植物をも巻き込んでいた。木を花をへし折り、引き千切る。校舎へと続く道すら、抉れていく。


 駆ける背後で再び、ビュッと風を切る音。平坂は右手に杖を構えたまま、人差し指と中指で札の一つを挟み、校門から出る手前で一度振り返った。


「【ばく】」


 掲げられたその札に桜の枝がぶつかり、青く光が刺すように灯る。青い光はそのまま枝から幹へと伝い、本体を縛り上げる。

 断末魔のような叫びが響く。平坂は男に向けて別の札を投げ、同じように唱えた。男はその場でのたうち回るばかりになった。

 そして、校門を越え、学校内外の境界となる地面にもう一枚札を設置する。


「【かこい】」


 コンクリートの地面に貼られた札に杖を突くと、カーンと甲高い音が響いた。地面に札と同じような紋が青く浮かび、波紋のように広がっていく。それを繰り返すこと三度。術をもって、平坂は校門から校舎にかけての道だけを領域として囲った。よほど強力な妖モノでない限りは、この中では満足に動くことはできないだろう。

 これでしばらく彼も歪みも抑えておけるはずだ。

 平坂は小さく息を吐き、乱れた着物を軽く整える。


 彼女はきっと……


 麦わら帽子を被り直しながら彼はそこまで思考して、やめてしまった。

 あの娘が何を思ったのか。悲しかったのか、それとも怒ったか。それとも別の思いか。

 それを考えたところで自分には分からないだろうから。


 ただ、友に向けて放った咲夜の叫びが、まだ平坂の耳に残っていた。



 ◇



 中等教育学校の屋上、雨水用の貯水タンクの上に座り、写実師たちの攻防を眺めているモノがいた。咲夜と共に妖モノを倒して回っていた狐面の少年だ。

 ヒトガタどもを蹴散らした後、学校まで来てみれば、先の少女ともう一人の男が桜と話しているのが見えた。本当に何をするでもなく、足をぶらつかせながら、それを見下ろしていたのである。

 状況によっては介入もやむなしかと思う少年だったが、そんなことを考えている間に着物の男によって事態が収拾していたのだった。


「まあ、俺が出るまでもないのが一番か。一応、あまり首突っ込むなって言われてたしな」


 少年は一人ごちた。

 既にヒトガタ退治で首は突っ込んでいるわけだが、それは脇に置く。


 ホーホケケケケ


 下手くそな鶯の鳴き声が春の風に混じって聞こえてくる。まだ肌寒いが、春はすぐにやってくる。


「さて、どうするかなあ……」


 少年は腕を上げ、体をぐっと伸ばした。先の攻防とは裏腹に今は静寂が戻っている。【縛】の術と【栫】の術は対処としては適切で、あの桜の妖モノが学校という領域の外に出るのを完全に防いでいる。


 そう。防いでしまっているのだ。困ったことに。


「どうするかなあ……」


 とばっちりで外に出られなくなってしまった少年は、途方に暮れたまま、のんびりと流れる雲をしばらくじっと見上げていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る