第四話 刃が示す先に花はない
◇坂許町東部
春の陽光を見上げるように、平坂は杖を突いていない方の手で麦わら帽子を少し上げた。
「その帽子、あまりに季節外れじゃなあい? センスないわネ」
「……別に良いだろ」
その視線の先には太陽と住宅地。そして、その住宅地の塀の上を歩くセーラー服の少女、咲夜。
上に羽織った赤いカーディガンに隠れてはいるが、彼女の腰の部分にはベルトがしてあって、その左側には妖刀が提げてある。黒い柄と鞘。鞘の方には赤と言うよりはもう少し濃い目、
塀と一口に言っても色々で、竹やら木やら石やら材質は様々。それらを猫のように抜き足差し足で、またはスキップで、または跳ねながら進んでいく。
「それにしても、オタクの子ネコちゃん、見込みあるわネエ?」
「食うなよ」
「アラ、失礼なオスね。いくら約定で生きた
「難しいってことは……たまには食っているってことか?」
「ウフフ、イヤね。オンナに対して根掘り葉掘り聞くオトコは嫌われるわヨ」
少し先を行く咲夜の後ろで、平坂が会話していたのは橙色の
ずんぐりむっくりとした丸くて明るい茶色の体形。そこにフサフサの尻尾が二本生えている。顔は控えめに言っても、ブサイクだ。平坂の足元を、かなり短い脚でちょこちょことついてきている。
「それにしても、ウワサは聞いてたけどホントに写実師さんが来るなんてね」
「噂?」
「そう。ここ卯ノ区にかなりの歪みがあって、着物の優男とセーラー服の可愛い子ちゃん、二人組の写実師が調律しに来るっていうウワサ」
「厳密に言うと、写実師なのは俺の方だ。あいつは違う」
「アラ、そうなの。まあ、何でも良いけど、早くあのウザったいのをどうにかしてくれるとありがたいわネ。歪みのせいで、アタシの毛並み、乱れちゃってるのヨ、ホラ」
正直言ってどうでも良いと思いながら、平坂は頷く。
「ああ、嫌になるな」
「そーよ。おまけに、マズそうなモノやヒトもうろついているし。アタシのようなレディにとって過ごしにくくなっちゃったワ、この町」
「ちょっと待て。お前、今何て、」
マズそうな、ヒト?
「平坂っ!」
猫又の言葉を平坂が聞きとがめた時だった。先行していた咲夜が鋭く声を上げる。
気づけば、歪みがあると思われる中等教育学校が視界の遠くに見えてきていた。木造建築の校舎は平時なら趣があるものなのだろうが、今は違っている。
歪みに引き寄せられたらしいヒトガタなどの呪をまとった妖モノが、校舎の屋根の上を旋回していた。そして、旋回していたそれらは平坂たちの存在に気づくと、群れを成して迫ってくる。
「キャアァァア! もう何! ヤメてえええ!!」
猫又が踵を返して、走り去る。
「危ないからお前はそこにおれ!」
咲夜は平坂にそう言い置くと、近くの民家の屋根に飛び乗った。まっすぐ滑空して迫りくるヒトガタの群れを正面に捕らえ、体勢を低くし、妖刀に手をかける。
眼鏡越しに向けられた眼光は鋭く先を見定め、相対する脅威を待ち受ける。ギリギリまで引き寄せ、手繰り寄せる。そのために神経を張り詰め、研ぎ澄ます。そして、その距離がある程度詰まったところで、黒い革靴は屋根を蹴り上げた。
高々と、体は地上を背に宙を跳んだ。咲夜が首を捻り下を確認すれば、先程のヒトガタがちょうど真下に来るところだった。
「もらった!!」
鯉口が切られ、妖刀は群れを鋭く薙ぐ。
一瞬にしてバラバラになったヒトガタは、妖刀が巻き起こした風で空へと舞い上がる。霧のようなそれに紛れ、先の
咲夜は眼鏡越しにそれを視認、鼻先で笑った。
着地ざま、左手を屋根に着き、ヒトガタに向けて蹴りを右脚、左脚と続けて二発。そして、勢いを殺さず下から斜めに斬り上げる。手応えはない。が、確かに斬られた黒いそれは散り散りとなっていく。
妖刀を鞘に収め、咲夜は振り返った。風に流されるのは、呪も祝も喪ったヒトガタの黒い残滓ばかりだ。
咲夜は思う。斬る瞬間は好きだ。
妖刀に自分の意志を乗せる時、僅かでも斬られまいと抵抗し、咆哮するその命、魂の奔流が好きだ。そして、それはとても美しい。この美しさを感じることができるのは、刀を振るう者の特権だ、と。
「さて、まだまだ、斬り足りないのう……」
咲夜は、そう
学校の方へと向き直れば、性懲りもなく下級の妖モノが群れているようで、またこちらに向かってくるようだ。眼鏡の奥の眼光を鋭く光らせて、その唇はきつく弧を描く。
少女はさらなる妖モノを斬ろうと妖刀を再び構えた。が、
「目標捕捉。交戦を開始」
その声にハッと顔を上げた。黒い人影が太陽の光を遮ってこちらに落下して来る。その刹那、その黒い影が白い狐面をしているのが嫌に目に焼き付いた。
「邪魔」
低い不機嫌そうな声に考える間もなく横に飛び退いた。間を置かず、少年が放った重い衝撃が足元を、そして迫っていたヒトガタを砕く。
そこから少し遅れて着地した何者かは、チラとこちらを振り向いた。
黒い軍帽と詰襟の軍服の少年。術を使うときに札などを使っていない様子から見て、妖モノなのは間違いなさそうだ。表情は見えないが、その姿で彼がどのような立場の者なのかまで咲夜には当たりが付いていた。しかし、それに付いて言及するよりも、
「な、何なんじゃ!! いきなり突っ込みよって! あぶないじゃろが! 大体、貴様……」
「良いから、刀を動かせ。まだ来るはずだ。手伝ってやるから、片すぞ」
文句を言い募る咲夜に少年のため息交じりの台詞が返った。咲夜は何度か口を開いて、また閉じてからようやく少年の言葉に応える。
「そんなに言うなら、」
「ん?」
和やかな小春日和、穏やかな昼下がり。それを塗り潰すような黒の群れ。
確かに一人では、手に余る。
「手伝わせてやらんでも……ない、かの」
「良い子だ。じゃ、行くぞ、お嬢さん」
お嬢さんなどと呼ばれるのはどこか釈然としなかったが、それを言う前に少年はとっとと先に行ってしまう。
遅れを取るのも癪じゃし……と、咲夜もまたその後を追った。
◇
先行した少年はあらゆる術を駆使し、ヒトガタを片っ端から処理していた。燃やし、凍らせ、刻み……普段通学路となっている狭い道を駆け抜け、一体一体を着実に仕留めていく。
少年が捉え切れなかった範囲を咲夜が屋根の上から一薙ぎで数十体をまとめて掻っ攫う。それでも取り漏らした分は、近づいて袈裟斬りに。
「年頃のお嬢さんにしては随分と野蛮だな」
ちょうど視界を遮るようにやってきたヒトガタを回し蹴りで破壊した咲夜に剣呑な声が放られた。
「うっさい! 余計な世話じゃ!!」
「少しは気にしろ。あんま動くと下着が」
「たたたたたた、叩き斬るぞ、貴様!!」
強いて考えていなかったところに、出会ったばかりの少年が無遠慮に踏み込んで来るのはやはり聞き流せない。
見下ろした先で少年が笑うように肩を震わせたのも。
「笑うでないわ!」
「あーはいはい。こんなのはただの軽口だって聞けば分かるだろ。いちいち突っかかるな。アンタ、そういうタイプか」
「うるさいって言っているじゃろ! 軽口なんぞ言ってる場合か!」
「へえ……」
狐面がこちらに向いた、と思った瞬間、咲夜の眼鏡のフレームを何かが掠めた。ジッと滲むような熱さが耳元を過ぎて、
「……あ」
咲夜が反応した時には、背後から迫っていたらしいヒトガタが燃え落ちているところだった。少年の右手人差し指と中指が射抜くようにこちらを指していた。
しばし静寂が訪れる。
「さっきもお嬢さんのこと見てたけどさ、アンタ、向いてないよ」
「何が、」
「何であれ、何かを殺すって行為に対していちいち思考や感情を向けない方が良い。作戦にしろ戦術にしろ、快楽にしろ悲哀にしろ、そんなものは殺す
少年はしっかりとその視線を咲夜へと向ける。狐面の奥から射貫くようなそれは刺さるようではあったが、少年の言葉の意味を咲夜は図りかねてただ当惑し、言葉を返すことすらできなかった。
「まあ、こう見えてアンタよりは長く生きてる身だ。これは年寄りの戯言ってことで、さ。頭の片隅にでも閉まっておけ」
噛んで含めるような口調ではあったが、少年はどうやら自分の言葉を咲夜に理解させる気はなかったらしく、そう言うだけ言って、今度は空を仰いだ。
「さて、お嬢さん。もうひと踏ん張りだ。大して残っていないし、分担していこう。アンタはここらで俺はあっちの川の方で」
「お、おう……そうじゃの。ぶっちゃけ、貴様が傍にいてはさっき言ってた思考やら感情やら?で気が散るしの」
いっそ清々するくらいじゃ、と咲夜は笑みを浮かべて言ってみせた。
「ははっ、良い笑顔だな」
狐面の奥で少年も気持ち良いくらい声を出して笑う。
「じゃあ、健闘を祈るよ、お嬢さん」
「お嬢さんではない」
だがやはり、だからこそ、呼び名については一言言っておきたくなった。
「咲夜じゃ」
「……へえ、サヤか。良い名だ」
少年はこれまた愉快そうに小さく咲夜の名前を呼んだ。
「では、健闘を祈る、サヤ」
「貴様もな」
少年と少女はそれぞれ別の方向へと駆け出した。
眼前に迫る敵を斬るために。
殺すために。
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