第二話 妖刀少女と写実師
「人が消えるなんて。そんな馬鹿な」
そう言ったのは、僕と同い年くらいの女生徒だった。
春よりも長い黒髪は先まで綺麗に整っていて、前髪は綺麗に切り揃えられている。黒縁の眼鏡をかけた双眸は手にした文庫本の文字をひたすら追っていた。見た目は、まるで清楚を体現したような女子だ。制服は僕の学校のものだし、セーラー服の胸に付いている校章も同じ色なので同学年には違いないが、言葉を交わすのは今日が初めてである。にも関わらず、ここまで不躾に言われると少し腹も立つ。
「そんな非常識で奇々怪々、不可思議かつ超常現象じみたことなんて、起きるわけないじゃないの。いくら、ここ坂許町が多少そういう曰くがある場所だからと言っても、ね。限度があるんじゃないかしら?」
「でも、間違いない。僕は春が……河西が消えるのを見たんだ」
「そもそも、彼女の下着が消えるとかならまだしも、河西さんごと消えたという話でしょう? 大した話ではないと思うけれど?」
そんな意味不明なことを言いつつ、女生徒は手に持った文庫本の頁をめくった。
「まあ、そうね。消えたというのは貴方の単なる錯覚で、実はどこかに隠れているだけというオチではなくて?」
「そんなわけない。周囲はちゃんと探したんだから」
僕達が言葉を交わしているのは、本が詰め込めるだけ詰め込んだらしい木製の本棚の前である。
その複雑な木目をチラと見てから、彼女に向き直る。
「というか、さっきからその言い草は何だよ。“うちの学校の人よね。顔色が悪いけど、どうかした?”って君が聞いてきたんだろ! それもかなり殊勝に!」
まったく理不尽なことこの上ない。
僕が見かけた、学校で人が消えたなんていう一大事。とにかく誰かに話をしないと、色々溜め込んでしまった頭が混乱でおかしくなりそうだった。だって、人が忽然と、前触れもなく、消えるなんて。話している僕自身も信じられない。けど、確かに見たのだ。まるで神隠しか何かのように消えてしまったのだ。
「そうね。で、私は貴方の事情を聞いて、見解を述べたわ。そして今、何故か貴方はそれに対してキレている。まったく理不尽なことこの上ないわね」
女生徒は涼しい顔のまま、頁をめくり続ける。今時古臭いという理由から学生たちから不評の膝丈のスカートを、折り目正しく着ている。そんなことすら、今の僕には憎らしかった。
「何なんだよ! 春が消えたことをまるで他人事みたいに! どうしてそんな顔してられるんだ!! 二度と彼女に会えないかもしれないのに」
「そもそも人が消えたくらいで、そんな大袈裟な……。悪いけど、他人事なのは間違いないもの。少し、落ち着きあそばせ」
落ち着け? 落ち着けだって?
この期に及んでまたそんな軽口じみたことを……!
「貴方の説明は不可解なのよ」
「……は?」
「消えたのは分かった。でも、貴方、それしか見えてないんじゃなくて? 消えた消えたと騒ぐばかりで、“春にはもう二度と会えない”なんて喚き散らして。まるで赤子のようだわ。春さんを探すのを初めから諦めて、駄々をこねてる」
「そんなことな、」
「ある」
気づけば、眼鏡越しの黒い目が鋭くこちらに向けられていた。不思議なことに、その目は冷ややかなようにも燃えているようにも見える。
「ああ、その様子からすると、もしかして貴方、」
ふいに、女生徒は大仰な動作で文庫本で口元を隠す。本の影で彼女の口の端が僅かに上がるのが見えた。
「河西さんが好きなのかしら?」
頬がカッと熱くなり、思考が一瞬どこかへ飛んだ。自分でもよく分からないまま彼女に向けて口を開く。
「……」
が、すぐに閉じた。僕は何を言うべきなのか。何か言うべきなのか。熱くなるのも早かったが、それと同じくらい早く冷めた自分がいるのも、また事実だった。
「随分と騒がしいな」
ふと、本棚の陰からそんな声がした。人がいたのかと驚きつつも、それにホッとする。
声の主には申し訳なさを感じて、僕は女生徒を放って本棚を回り込んだ。
「すみません。申し訳ありません」
「店の中であまり騒がないでくれ……」
本棚の木の香り。そして、本自体の紙の香り。少しばかりカビ臭いような、ホコリっぽいような、懐かしいような。
言われて、改めて自分がいた場所を思い出す。
平坂古物店。
今となっては日本唯一の古書店街、
ここは、その隅に存在する小さな黒い洋館。町の景観にあまり合わないそれは、しかし、不思議と目立つことはない。
古書店街にある古物店ということで、品揃えも本に関する物あるいは本自体を扱っているようだ。そこまで品物は多くないものの、他所の古物店とは違って、外国の変わった物品や絡繰もあり、なかなかで僕は気にいっている。あまりお客もいないので、僕としては穴場だと思う。思っていた。だが、
「あー平坂さん。そんなところにいたんですか? ほら、そんな格好してずっと寝ていては、黴やらきのこやらニョキっと生えてしまいますよ」
それもこの黒髪の女子学生の所為で、今日限りかもしれなかった。うんざりしている間に、棚の間から顔を出した彼女は、さっきの文句の主に声をかけていた。
本棚で入り組んだ中に出来たかなり狭い隙間に古ぼけたソファが置いてあって、声の主はその上で窮屈そうに横になっていた。
平坂さんと呼ばれたその男は、群青色の着物の上に黒い羽織を着ていた。
着物はからせみ小紋だ。横になっているのに、不思議と着衣の乱れた様子はない。切れ長の目が気怠げに僕と女生徒を交互に見ていた。
それにしても、迷惑をかけたのはこちらなのにこんな軽口を叩くなんて、この女子学生は節操というものを知らないらしい。
納得はいかないが、同じ学校の者としてこの女生徒の分も謝っておくべきだろう。
「改めて、騒がしくして申し訳ありません。彼女も悪気はない……と思います。えっと、平坂さん、ということは、ここのご店主でしょうか? ご迷惑おかけしたこと、お詫びします」
「そんなに謝ることないですよねー、平坂さん」
古物店にはこれまでも何度か足を運んでいたが、店主を見るのは初めてだ。こう言っては何だが、男に店主らしさはない。
平坂さんは、表情を少し険しくして女生徒の方を見た。そして、すぐにこちらに視線を戻す。
「いや、こちらこそ悪かった。確かに俺はここの店主だが、その子は店の手伝いをしている顔馴染みなんだ。むしろ非礼の詫びを何かさせて欲しい」
咄嗟に断ろうとした。平坂さんは何も悪くない。
だが、次の瞬間、彼が発した一言で僕は彼の詫びを受け入れることになる。
「詫びと言っても些細なことだ。その消えた女生徒について、助けになれるかもしれない。詳しく話してもらえるか?」
◇
平坂古物店を退店する男子学生の後ろ姿を女生徒は見送った。そして、彼の背中が通りの角を曲がって見えなくなると、店内へと踵を返した。スカートの裾が翻るのも御構い無しにバタバタと忙しく古物の間を走り抜け、
「さっきの私、普通の生徒っぽかったじゃろ! どうじゃ、平坂!?」
古物店の店主、
対して、平坂は先程までの気怠げさをそのままに頭上の少女を見上げた。黒髪が夜の闇のように落ち、眼鏡の奥で光る瞳は無邪気そうでいて、実はそうでもないことを彼は知っていた。大きく息を吐きながらソファから身を起こせば、その体はミシミシと軋むようだった。節々をほぐすように動かしつつ、目の前の少女に応じる。
「俺にそんなことを聞かれても困る。生憎、真っ当な女生徒とは縁遠い身で、基準が分からない」
「釣れない奴じゃなあ。何ともつまらぬ答えよ。まあ、良い。それよりも先の話じゃ」
老獪な言葉遣いで、腕を組み仁王立ちをした少女は何故か得意げで、平坂は顔を顰めた。この少女がこういう表情をしている時はろくな事が起きないのを彼は知っていて、今回もとてつもなく嫌な予感を覚えたのだ。
「どうした、
「うむ、そうか? やはり、そう見えるか、平坂?」
だが、その嫌な予感を少しでもマシにする方法を彼は心得てもいる。それは、彼女の機嫌を損ねない事。そして、その為に彼女の話をなるべく早い段階で聞いておく事。
少女、咲夜は、フフンと鼻を鳴らし口を優雅に笑みの形にしてみせた。
「まあ、何せ、お主があんなに積極的に私以外のヒトと言葉を交わし、その上、仕事まで引き受けおったのじゃ。楽しくなるのは道理であろう」
なるほど、と平坂は内心頭を抱えた。確かに咲夜と出会ってから何年も経っていたが、彼が彼女以外の人間と話をしたのはごく僅か、それも彼の仕事の関係で仕方なくだった。それを咲夜は日々揶揄しており、今のこの得意げな顔に繋がっていた。
平坂の仕事というのは、古物商ともう一つ。
「最近、古物にかまけて写実師の方が疎かになっておったじゃろ。やっとやる気になったかの?」
写実師。
実在を写す者。
この世の中を記録する者。
別名、調律師、記録屋などとも呼ばれるそれこそ、彼の本当の仕事だ。
彼にとっては、古物商こそ物のついで。
「“写実師が世の中を観測・記録しなければ、世界は泡沫のように消えてしまう”じゃったか? そのくせ、随分と余裕ではないか。
世界は遥か昔から、非常識で奇々怪々、不可思議かつ超常現象じみたことばかりだ。
妖モノはそういった現象を引き起こすモノ。あるいは現象そのものだ。ヒトが超常現象だと思っていることのほとんどは、妖モノの仕業と見て間違いない。
ここ坂許町には、様々な事情が折り重なり妖モノが多く住んでいる。ゆえに、ヒトからしてみれば多少そういう曰くのある場所と見えるわけだ。
「観測も記録も術式がやっているから、何も問題はない」
自分の言葉が詭弁であることもまた、平坂はよく分かっていた。
店の地下には彼が編み上げた術式があった。符や札で設えられたそれは観測・記録をするだけならば、誰がやっても同じだ。陣の敷設をしてしまえば、ただの赤子にでも管理は出来る。が、それだけで収まるような世界ではないから、写実師などというものが存在している。
そして、それが写実師が調律師とも呼ばれる由縁。
「ははっ、戯言を。術式で拾うのが難しい細かな事象を余すことなく拾い上げ、記録の調律を行うのが写実師の本分だった、と私は記憶しておるぞ」
「……出かけるぞ、咲夜」
「三途のところへか?」
「ああ」
平坂はソファから立ち上がった。近くのハンガーラックに掛かっていた麦わら帽子と傍に立てかけてあったT字杖を手に取る。
咲夜は肩をすくめてみせ、背後にあった傷だらけの白い洋箪笥の上にある刀掛けへと手を伸ばし、そこにあった刀を手に取った。黒塗りの鞘に収められた刀。朱色の下緒が揺れている。
「ところで、咲夜」
「ん、何かの、平坂?」
店先に閉店の札を提げながら、咲夜は尋ねた。
今度は平坂が肩を竦める。
「俺は確かに真っ当な女生徒とは縁がないが、これだけは言える。さっきの下着云々の件は流石にない」
咲夜がこの後、平坂に小言を色々浴びせたのは言うまでもない。
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