第1話

私の人生は何だったのだろう。

昔から何の取り柄もない私。他人に優しいと評価されようが、努力家であると誉められたところで私より更に優しく努力を怠らない人間はごまんといるわけだし、本来人間に備わっている最低限のスペックを持上げられたところで私の取り柄とはならないと思っている。いわば人並み以下。

普通の小中高の課程を修め、普通の学力の大学に進む。自分から行動を起こす人間ではなかったため、何かに対し本気を出す、死ぬ気で努力する事はなく、時の流れに身を任せていたら、己の才能を開花させないまま大学も卒業していた。探求心もなく、目の前の課題をこなすだけ。

体験が知識に変わるわけもなかった。

将来の夢も成し遂げたい目標もない私が卒業後就職したのは中小企業。職種は事務。貴金属を扱う会社なのだが、私は別に貴金属に対し熱い情熱も思い入れもないし、事務作業に高い志を秘めていることもない。ひたすら事務机にかじりついて作業をするだけである。

するとどうだ。私は気がつけばこのような歳になっていた。驚いた。気のあう友人と夜通し語り合い、気付くと何時しか外が白んできた時のような、あっという間であった。何一つ波乱もなく凪のような人生。はっきり言って無駄でしかなかった。

私は何をしてきたのか。


会社帰りに通りかかる大通りは苦手だ。都会の夜の顔は金の顔だ。成功している人間にしか微笑まない。ブランド物のブティックにクラブ、キャバクラに高級レストラン。業務疲れでよれたスーツに着られた白髪混じりの乾いた髪に実年齢より大分更けて見える面を引っ提げた男が入る場所ではない。皆が皆、私を避ける。私は風の悪戯で転がされる道端のゴミだ。


同僚の伊藤くん。最近支部長になったんだってね。一回りも後輩の石部くんは総務部長だ。そして今年新卒で入社した花山くんは即戦力の大物だ。彼らは今の仕事とは畑違いの大学を出て、手に覚えのない業務をこなしている。何故だ。何故皆ができて、私にはできないのだ。道端のゴミだからか。

私は頑張りが足りないのか。


仕事が溜まりに溜まって残業に追われる私を余所に定時で帰って行く同僚の背中が憎い。


私とあいつらはなにが、なにが、違うのか。



羨ましい。


今まではプライドが許さず目を背けてきたが、今、はっきりと、そう思った。


その途端にぐちゃ、と耳の奥、いや脳の中で柔らかい何かが弾けた音が響いた





ーーーーーーーーーーーーーー



そこは夜闇にネオン瞬く繁華街。七色に光を着飾ったビル群は月光に負けんとばかりに闊歩する雑多な人々を見下ろしていた。真昼のように明るく、眠ることを知らない街【南区第2エリア】と呼ばれている。軒を連ねるのは来るもの拒まぬ出入り口がシャッター型の店達。客足は途絶えることなく繁盛しているようだ。

人々が歩く音、車のエンジン音、店内から流れる流行りのアイドルグループの曲やビルに取り付けられた巨大モニターから流れるCM、その喧騒はひとつに混じりあい都会のBGMとなっていた。


騒然たる大通りから離れると、落ち着いたバーや赤提灯を提げた昔馴染みの小料理屋、そこから更に離れると日常の光が漏れるアパートなど幾分かだが暗闇が濃くなる路地に行き当たる。

規則的に建つ電灯の光は白く冷たく、一点だけを照らしている。電灯の下に立つと、暗いステージ上でスポットライトを浴びているようにただ自分だけが照らされている。そこから視線を前に移すと、そこは何かが潜んでいるかもしれない、そんな恐怖を掻き立てられる暗がりが待ち受けている。


人通りはほぼ無く、ごくたまに残業帰りのサラリーマンやOL、夜遊び帰りの大学生が帰路につく程度だろうか。それ以外何か理由があってこの路地を通る様子はない。


大通りの賑やかさを遠くに聞く暗い路地の真ん中に堂々と一人の男が立っていた。

ある帰宅途中のサラリーマンが、自分と似たようなスーツを着た男にすれ違い様ちらりと目線を寄越した。帰るようでも大通りに向かうようでもなく、ただ道路の真ん中で何かを待ち構えているような佇まいにサラリーマンは怪訝そうな顔をしたものの、そのまま歩いていく。


「さあ、仕事だ。」


すれ違った顔も見えない男がそう呟いたのもしらず、歩いていく。靴底を減らすような足を引きずる歩行で、段々と男から遠ざかっていく。電灯の下に差し掛かり中年期を迎えたくたびれたサラリーマンの姿が照らされる。伸びた影は揺らぎながらサラリーマンの足元まで伸びている。


影は光の中を名残惜しそうにたゆたっている。サラリーマンは更に男から距離を離しているというのに、影は一向に薄れる気配はない。とうとうサラリーマンの足音が消えたその時には、未だブロック塀にぼんやりとしたサラリーマンの輪郭を保ったままの影が張り付いていた。人の形を辛うじて保つそれの口許らしき場所が忙しなく動いている。


『ひーー…めを』


大通りからの音にさえ掻き消されそうなほど酷く掠れた声は暗闇に散っていく。


『ひー……めを』





「……お前みたいなのが、『日の目を』ねぇ。」



そう呟いた壁を見つめる男はサラリーマンが去っていった方向とは真逆の大通りからやってくる足音に気付いた。

軽やかで跳ねるような走る靴音は影の声を散らしながら段々とこちらに近づいてくる。


はた、と男の後方近くで止まった靴音の主は、緊張感を感じさせながらも凛とした雑味のない低音で男の名を呼んだ。


「烏丸さん!ここにいたんすか!」


名を呼んだのは発達した男性の身体つきが漸く身に付いてきた位の体躯をした、まだ少年時代を抜けきれないあどけなさを残した男だった。

キリとした眉に芯の強い瞳をしているが、少年ぽさを感じさせるのは学ランを着ているからだろうか。


「おっせーぞ!!今まで何してやがったんだ!!」


烏丸と名を呼ばれた男は白い光を放つ電灯とは裏腹な深紅の瞳に怒りを宿した。


「俺この辺の事全く知らないのに置いていくのが悪いじゃないですか!近くに目印もねぇし!こんな夜中に未成年を連れ出した挙げ句目を離すなんてサイテー!保護者失格ー!保護者のモラル低下についてPTAに相談だー!」


「自分から勝手に着いて来てる身で保護されてる気になってんじゃねーよ!!」


名は体を表すとは彼の事をいうのだろう、喪服のような真っ黒のスーツを纏っている。闇に溶け込む黒髪はロングのソフトモヒカンにスタイリングしており、それをぐしゃぐしゃと乱暴にかきながらやいのやいの文句を垂れる少年にローキックをかます。


「いってぇ!」


「お前が、俺の華麗に異形を処理する仕事が見てぇ見てぇしつけぇからこうして課外授業に連れてきてやってんだろうが!おら、見ろ。」


烏丸は少年にブロック塀を見るよう顎で塀を差した。


しかし、そこには先程まで確かに存在していた影の姿が忽然と消えていた。


「……あー…確かに華麗な……仕事ぶりっすね。」


少年の呆れと馬鹿にした抑揚のない声が路地に溶けていく。その言葉にハッとした烏丸は只でさえつり上がった目を三角にして少年に喰いかかった。


「てめぇがチンタラしてっからだろうが!!くそ、追うぞ!」


「場所わかるんすか。」


「あの異形はまだ産みの親から離れられねぇ!産みの親の居場所は調査済みだ!急ぐぞ!」


そう言い少年からの返事を待たずして、走り出した烏丸。少年も後を追う。





ーーーーーーーー


*


「小野田辰彦。」


「そうだ。ヤシマ金属っつー中小企業に勤めてる男でな。まー見たところ冴えない奴って感じだな。」



烏丸は路地を駆け足で巡りながら電灯の光に照らされるブロック塀や地面に目を光らせていた。その後ろを安定しない早さで追う少年は烏丸の目線の先を追うだけで、何がなんだか分からないといった様子である。気にせず烏丸は言葉を続ける


「奴の異形は『一段階内向ヒト型』だろうな。」


「えー、と人に対しての負の感情が自己嫌悪に変換されて生まれた異形でしたっけ。」


「おぉ、よく勉強してんな。調査隊によるとな、奴は自分に不満を持ちながらもその不満を解消する努力をしないまま、成功している人間に嫉妬しているらしい。」


「…………そんなちっぽけな感情でも異形は生まれるもんなんすか…。」


「…ちっぽけな感情ね……。」


烏丸はふと足を止め少年に向き直った。


「悲しい事に小さい大きいは関係ねぇんだ。ま、異形の危険度には差が出るがなぁ……嫉妬や怨みを抱いた瞬間に、異形は生まれるんだよ。」


そう語る烏丸。スーツの右襟には精悍な狼の顔が彫られた銀色のバッヂがつけられていた。

月夜に照らされたそれは少年の瞳を銀色に染めた。


「人間の感情をちっぽけとか言ったらなんねぇ。負の感情は凶器だ。お前もなるんだろ若虎。」


独立特務機動隊『ケルベロス』に。



.

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

金眼のアギト 原ともし @karinsanlove

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ