生誕~幼体期編
第一話「生誕」
四方に広がる黒。その上に無数に散らばる、砂金の如き光。そこに、遥かに巨大な光が侵食を始める。光は暖かな色を滲ませ、広げ、黒も砂金も区別なく喰らっていく。黒は白と橙のコントラストに変わっていき、黒に隠れていた雲も姿を現す。雲は跳ね起きるかのように風に身を任せ、風もまた、夜明けを報せようと音を奔らせた。
風と雲の行く先のひとつに、島があった。島の下部には、ところどころ樹木が岩壁にしがみつくように生えていた。そしてその枝には、やはり振り落とされないよう、しかと枝にとまる鳥たちがいた。
夜が明けると共に鳥たちは翼をはためかせる。空を打ち、身を風に滑らせ、島の表層を目指す。彼らと同じように、夜明けと共に活動を始めた獲物を狩るために。空を昇るさなか、鳥たちは世界を見下ろし、見渡し、見上げる。その視線の先には、雲と星と太陽と、島と大陸とがあり。そしてそれらを包む蒼が、どこまでも広がっていた。
獣たちが目覚める頃、その島の住民も忙しなく動いていた。
しかし住民、とは言ってもその島に人の住んでいる形跡は、猟師の住むような小屋一軒のみだった。小屋は島の最も高い山の麓に建っており、その傍には洞窟が大きく口を開けていた。煙突からは煙が立ち上り、アヒルの子に混ざった白鳥の子のように、雲間に割って入っていく。
さて、小屋の中ではその主が足音を響かせていた。
忙しなく右往左往を続けるのは長身の男。作業用の簡素な衣服は筋肉質なその身体にぴったりと着られている。むき出しの肩や腕には少なくない傷跡が見え、傭兵やその手の仕事をしている人間だと察せられる。
それほど広くない部屋の中を、男はなおも動き回り続ける。床板を靴が叩く音と、時折薪が爆ぜる音。それだけがこの空間を満たしていた。
しかしそこに、もうひとつ音が響いた。人の声である。
「……ねえグランツ。落ち着かないのは分かるけど、夜が明けてもそうしているのは流石に堪えるだろう。主に僕が」
それは往復する男からではなく、暖炉の傍に腰かけた青年から発せられたものだった。落ち着きのない男と対照的に、ソファーにゆったりと腰かけ、片手にはティーカップを持っている。身なりは白をベースにした清潔なもので、細身に端正な顔立ちと、多くが対照的である。
「お前こそもっと緊張感を持ったらどうだ、ジェイド。もうすぐ生まれるって時に、医者であるお前がそんな調子じゃ安心できん」
男――グランツ――は硬い声で応じた。しかしジェイドと呼ばれた青年も肩を竦めるだけで、取り合おうとはしない。
「さっきも言ったけど、心中はお察ししてるさわが友よ。けど、あんまりガチガチに固まっているとそれこそいざって時に動けない。君だって戦う時はもっと冷静だろうに」
「それとこれとは話が別だ。自分の子供が生まれる時と、敵の命を奪う時なんぞ、星と地ほどの差だ」
また大げさだなぁ、とジェイドは苦笑し、テーブルの上の”それ”を見る。
「……何度も言ったとけどさ。確かに僕は出産の時にも出向く。出向くけど、これは流石に専門外じゃあないかなぁ。むしろ君や君の奥さんの方が知識があると思うし」
「こちらも何度も言うが、俺だってこんなこと初めてなんだよ。信用できる医者はお前くらいしかいないしな」
互いに一晩中繰り返したやりとりと分かっていても、言わずにはいられなかった。しかし、そこにもうひとつ、声が届く。
『まだやっていたの、グランツ。あなたたちの声で目が覚めてしまったわ』
部屋にいるのはグランツとジェイドの二人のみ。しかしその落ち着いた女声は、外から聞こえてくるのではなく、明らかに室内に響いていた。
「おはようレィ。すまねえな、騒がしかったか?」
『いいえ、グランツ。単に私はこれから父親になるのにみっともないと言いたかっただけよ』
レィと呼ばれた声の主は意地悪そうな笑いを含ませて言う。グランツはそれを聞いて渋い表情を浮かべるしかなかった。
『ごめんなさいジェイド。うちの人が迷惑かけているみたいで』
「慣れているから大丈夫さ。それより、もうそろそろ生まれそうだが――」
ジェイドの言葉はひとつの乾いた音に遮られた。それは卓上から発せられ、同じ音がさらに連続していく。自然、部屋にいる二人の視線はそこに集中し、先ほどまであれだけ騒いでいたにも関わらず、無言で”それ”を見守る。
そこにあるのは卵だった。人間の頭より一回りほど大きなそれは、毛布の上に載せられ、揺れ動きながら殻に罅を入れていた。
罅は卵の頂点から見る間に広がっていき、音が一回、二回、三回と重なり、そして四回目でついに殻が破られた。
そこから覗いたのは小さな竜の頭だった。白銀の鱗に覆われた子竜は、初めて眼に入れる外界の光に頭を振るい、しかしすぐに全身に力を込め、今度は前脚で殻を破った。そして自由になった体を全て外界へとさらけ出す。子竜は大仕事を終えたとばかりに未熟な翼を広げ、身を震わせた。
「……生まれた」
最初に言葉を発したのはグランツだった。その事実を確かめるように、噛みしめるように言葉とし、息を吸う。そして、
「生まれたぞレィ、ジェイドぉお! 俺の娘が! ああだけど一応本当に娘かチェック――ぁああああああああチンコ生えてるぅううううううう!!」
一瞬のうちに子竜を抱き上げ、狂喜しながら下半身を仰ぎ見、そして絶望した男がそこにはいた。子竜は何事かと首を傾げ、しかし抱き上げられて悪い気はしないと短く鳴いた。
「ああそういえば生まれてくる子は絶対に女の子だとか言ってたな君。それにしたってそこまで嘆くことはないだろう」
「馬鹿野郎! 俺は竜族の娘に「おとーさん」か「パパ」って呼んでもらうのが夢だったんだよ! それなのに、こんなのって……うぅ」
激昂し、泣き、くずおれるグランツ。子竜はその背中に乗り、興味深そうに周囲を見渡している。
いつも以上に言動が危険なグランツに異物を見る目を向けながらも、ジェイドは友人として慰めようと努力してみることにした。
「いや、だったら二人目頑張ったらいいだろ? 家族多い方がいいって、君も言っていたじゃないか」
『次は早くても百年後よー』
レィが一瞬で前提を潰してきたのでグランツがさらに泣いた。
『はいはい、分かったからその子をこっちまで連れてきて。あ、ジェイドも一緒にね』
「……はい」
流石にこれ以上騒いでも構ってもらえないと悟り、グランツは立ち上がると子竜を胸に抱え、歩き出した。ジェイドも哀れな友人を見ながら後に続く。
二人と一匹が向かったのは洞窟だった。その巨大な横穴の内部では、露出したエーテルライト鉱石が青白く光り、足元を照らしている。時折響く水の滴る音と、抜けていく風を除けば、全くの静寂。そんな中を行く。
しばらく進むと一際強い光を湛えた広間に出た。天井には夜空のようにエーテルライト鉱石が輝き、そこから発せられる光が地面に転がる武具に反射している。
「……何度か来ているけど、やっぱりいかにもって感じだね」
周囲を見渡しながらジェイドは呟く。するとそれに応える声が、頭上から降ってきた。
「あら、あなたなら少しくらい持って行っても構わないわよ」
一行が見上げた先には、力の象徴が座していた。周囲の鉱石と同じ色の鱗と甲殻。半透明の爪と牙と角。長大な尾と巨大な翼。誰もが知る、ドラゴンの姿がそこにはあった。
「ジェイドにはお世話になっているし、お礼としては心もとないくらいだわ」
光竜レィ・シエル=エーテルワイズ。この島の主であり、グランツの伴侶でもある彼女は、冗談めかしてそう言った。
「ありがたいけど遠慮しておくよ。呪いや怨念がエンチャントされてそうだし」
ジェイドも冗談半分に手を振りながら申し出を断った。それより、と隣に立つグランツに視線を向ける。
「ほらレィ。お前の息子だ」
レィの眼前にまで進み出て、子竜を掲げる。子竜は己よりも遥かに巨大な存在に臆せず、曇りのない瞳で母親を見上げている。レィは我が子にゆっくりと鼻先を近づける。そして牙の間からちろりと舌を出し、舐める。子竜はくすぐったそうに高い音で鳴いた。
「頑張ったわね。ありがとう、生まれてきてくれて」
言って、頭を離し、そのままの動きでレィは天井に視線を向けた。
「さて、じゃあ命名といきましょうか」
「え、でも占術師は呼んでいない……」
子が生まれた時には占術師にその真名と前世を見てもらい、それを踏まえて新たな名を与えることが習わしとなっている。しかしここにはそんな人間はいない。
「おいおいジェイド。俺の嫁はお前に劣らず博識だぜ? 占術のひとつくらい覚えてるんだよ」
なぜ自慢げに……とは思ったが口には出さず、ジェイドはレィに確認する。
「本当なのかい?」
「興味本位でね。まさか自分の子供のために使うとは思ってなかったけれど」
言いながらレィは子竜と天井を交互に見る。その様子にジェイドはひとつの気づきを得た。
「もしかして、この場所……星図になっているのかい?」
「当たり。私の旦那様が頑張ってここの鉱石を削って星図にしてくれたの」
随分器用な……と思い当人の方を見てみると、歯を剥いてサムズアップしていた。途端に調子に乗るなこいつ。
「グランツ。その子を降ろしてあげて」
レィが儀式を始めるための指示をする。言われるままグランツが足元に子竜を降ろすと、子竜は落ち着きなく地面を嗅ぎ始めた。
「次はどうすればいい? 術式陣を描くとかか?」
術式。それはあらゆるものに宿る”エーテル”と呼ばれる力を用い、己の描いたものを現実とする技術である。そのひとつとして、方陣や絵、式を描くものがある。
「いいえ、そのままでいいわ。それほど時間はかからないから」
言い、レィは静かに我が子を見つめた。特に興味を惹くものがないと分かった子竜は座り込み、母親に視線を合わせた。
「……! ……これは」
「どうした?」
驚嘆とも、戸惑いとも取れる声を上げたレィに、グランツが問う。レィはしばらく沈黙し、しかしゆっくりと顎を動かした。
「まず、この子の前世は人間よ。それも特に力を持たない普通のね」
「! そいつはかなり珍しいんじゃねえのか?」
グランツもレィの反応の理由を察し、眼を見開く。
「ええ。でも決してこれまでなかったわけでもないわ。問題は出自よ」
それは、
「生前の名はワジマカズキ。この子はかつて神殺しの世界に生まれ、そこで若くして亡くなった。けれど死後の世界にて、自らの記憶と引き換えに、この世界へと転生してきたようだわ」
普段あまり耳にすることのない言葉の羅列に、男二人はしばし硬直し、しかし思考を再び動かして。
「ええと……神殺し? 転生? おとぎ話か?」
「いや、神殺しの世界って? 異世界から来たってことかい?」
結局混乱したままだった。そんな二人にレィは詳しく説明していく。
「まず、神殺しの世界というのは、どうやらその世界では神への信仰が薄れ、ヒトが自ら創り出した都合のいい神によって発展を遂げているみたい。そしてこの子はそこで死に、強い願望を持っていたために、その世界の魂の行きつく場所で、私たちの世界へ生まれ直す道をつけたということよ」
そこまで言ってようやく二人は整理がついたようで、何度も頷く。その上でグランツが疑問する。
「レィ、若くして死んだ、って言ったが、戦か何かで死んだのか?」
「いいえ、それは私も詳しくは分からないけれど、前世でこの子を殺したのは空からの鋼鉄と炎、そして爆圧ね」
ふむ、と腕を組むグランツ。ジェイドも考え込んでいる様子だった。自分たちの知らない別世界から転生してきた元・ヒトの竜と人の子。それこそおとぎ話のような内容である。にわかには信じがたいが、レィほどの竜の行った占いが間違っているとも思えない。
「もう、考えるのはよしなさい。何か得るものがあるわけでもないのだから」
それより、とレィはジェイドの方を見て続ける。
「ジェイド。この子の名付け親になってくれないかしら?」
「え、僕が!?」
名をつける時は、前世での名前――真名――を知られないようにするため、直接の親以外に名をつけてもらう。真名にはその者の本質が含まれるとされ、知られれば支配も契約も思うがままとなるからだ。
「あなたなら教養も知識もあるし、安心して任せられるって、グランツが」
ジェイドが横を向くと親友は口笛を吹きながら謎の踊りを始めていた。誤魔化し方下手だなぁ、と呆れながらも返事をする。
「分かった。承るよ」
ありがとう、とレィが首を下げ、グランツもふざけながらも礼を言ってくる。それを受け止めながらもジェイドは足元の小さな竜の名を考えた。
「この子は前世で空からの炎に殺された。竜としてそれはあまり嬉しいことではないだろう。だったらそれを逆に力とすればいい。そうだな……」
空、炎。そういえばレィの名にも空という意が含まれていたはずだ。ならば彼女の名の一部を貰い……
「よし決めた! この子の名前は――」
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