我竜転生~果てなき空を求めたけど質問ある?~

門松明弘

序章「ヒト族・輪島一樹」

 輪島一樹かずきはごく普通の青年である。一般的な家庭に生まれ、都市部に近いベッドタウンで育ち、そこそこの進学校を出たのち、大学もそれなりに名の知れたところを出た。その後多少の就職難を経験したが、ここもやはり無難な中堅企業に新卒採用される。

 何かを極めているわけでもなく、特筆すべき趣味もなかった彼だが、就職してからひとつの趣味に目覚める。

 中堅企業と言っても、新人を酷使する近年の風潮からは漏れていなかったようで、その会社は法令に定められた残業時間の臨界点を超えるか超えないかのチキンレースに挑んでいた。日を跨いで帰宅することは珍しくなく、定時退社を試みようものなら上司と同期総出でパニックホラーが展開される。休日出勤も当たり前。そのくせ代休はあったりなかったり。これは限りなく、否、完璧に黒と言ってもいい企業である。

 そんな毎日深夜に帰宅し、出迎えてくれる家族も恋人もいない一樹が持った趣味は、ある意味当然と言えば当然のものだった。それは、

「『はぁ~、ハートがにゃんにゃんするんやぁ~』」

 深夜三時。アパートの一室にて。そこにはデスクトップに流れる文字列を打ち込みながら音読する部屋の主がいた。

「……ふう。やっぱ癒されるなぁ『Orderメイド・キティ』は」

 『Orderメイド・キティ』とは、去年の冬に深夜放送していたアニメである。ファンタジーな世界観で少女たちの日常を描くという作風から、特定層からの絶大な人気を誇ったことで有名である。ちなみに今夏、二期の放送が決定している。今一樹が観ていたのは動画サイトでアップされた、二期決定記念の再放送である。

 一樹がこの作品に出会ったのは、職場の同僚がいわゆる”オタク”であったため、その同僚に勧められ、その日帰宅して偶然つけた番組がそれだったこともあり、そのまま観ていると――

「ショコラちゃんかわいいよショコラちゃん。缶コーヒーの好みがMOSなのもかわいいよ……!」

 こうなったという次第である。

 エンディングと次回予告まで観終わり、一樹は改めて一息を入れる。

「さて、もう一周……いや、そろそろ近所のコンビニが一番くじの景品を入荷する頃か。そちらを優先しなくては」

 以前はオタクという文化に全く興味がなかったというのに、今では立派な消費型オタクである。軽く着替え、最低限の荷物を持って部屋を出る。部屋は二階にあるので、階段を降りる際は他の住人の迷惑にならないよう、足音を忍ばせる。決して後ろめたいことをしているわけではないのに、一樹は自らがこれから行うことが背徳的であるかのような錯覚を覚えていた。実際、オタクという趣味は最近でこそ日が当たるようになったが、未だ一般にはアングラな扱いであるため、あながち間違いでもないだろうか。そう自問しながら、一樹はコンビニへ足を進める。

 深夜の住宅街は、虫の音も聞こえないほど静かだった。付近に基地があるのだが、その方面からも大した音は響かない。夜空の光は数えられる程度で、暗幕があらゆる音を吸いこんでいるようであった。

「……空を見上げるなんていつぶりだろうなぁ」

 最近は外に出ても見るものは手元の液晶か、昼食に選ぶ店の看板くらいなものだった。そんな意味で、一種の懐かしさと新鮮さを一樹は感じていた。

 そう思っているうちに、コンビニの明かりが見えてきた。さて、いよいよか、と一樹は深く息を吸い、吐く。周りの光景とは裏腹に、彼の心は高揚していた。

 だからだろうか。

 近づいてくる音と、光に気がつかなかったのは。

 ィイイイ――、と風が鳴くような音が一樹の背後から響く。正確には、背後の、上空から響いてくる。

 やがて音はゴ、と勢いを変え、光と熱を伴った。そこに至り、ようやく一樹は後ろを振り返った。しかしその時には、彼の視界は鉄の塊で埋め尽くされていた。

 爆風と熱と重圧とが一斉に彼を呑み込み、その意識をこの世から削り取った。

 何かを残す間も、思う間も、彼にはなかった。


 翌日。朝刊の一面は、基地近くの住宅街で起きた輸送機の墜落事故で埋められていた。

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