第4話小さな好意

 学校に着いて毎日する日課がある。それはトイレに行く事だ。そう、ただトイレに行く事だ。その時間に倍率の更新がたまたま被っているだけで、主の目的はそこではない。うちの学校の男子トイレには四六時中人が集っている。その為、入る度に野郎の野太い声を嫌でも聞かなければならない。ここでしか話せない事もある訳だから仕方ないと言えば仕方ない。

 いつもの様に用を済ませると、手を洗いスマホを取り出した。そして毎日ログインしているサイトを開き微塵の期待も抱かず《表示》のボタンをタッチする。そこには初めて見た時から変わり映えの無い数値が表示される。

「はぁ......。」

 そろそろ変化があってもいいんじゃないか。そう思ったりするが現実はそんなに甘くない。


「暮林ってさ、トイレから戻ってくると毎回暗い顔してるよな。この間笑顔でいようって話したのにさ。」

 後ろの席の浦智はいつも笑顔だ。正確にはヘラヘラ笑ってるだけで、爽やかなそれではない。それでも印象としては良いのだろう。だから倍率も上がる。何だろう、世の中不条理な気がする。

「そうやってまた顔をしかめる。元が面白い顔なのに、これ以上面白くしてどうするだよ。」

「それも確かにそうだな...。」

「どうした?今日はやけに大人しいな...。てっきりまたアイアンクローでもされるのかと思ったぞ?」

 そんな元気すら今の俺には無い。

 よく考えたらこんな俺に「0.6」も倍率があるのが不思議なくらいだ。今まで生きてきて告白された事が無いのは勿論、親しい仲になった女子なんていた覚えがない。いったいどこの誰が俺に対して好意を抱いてくれているのだろうか。

「おい...暮林?あんまり気にしすぎるなよ?」

 担任の雛菱ひなびし先生が来るとホームルームが始まった。


 今日の一時間目は数学だ。正直言って退屈でしかない。俺に言わせればこの程度の問題は教えられなくとも出来る。けれどそんな事を口にするほど俺も馬鹿じゃない。だから週に四回もあるこの数学の時間が退屈で仕方ない。

「前回もやったと思うが、こうやって括弧内の式を計算する。分かるか?」

 二十代後半くらいだろうか、若い男の教員が教壇に立って黒板の式を展開している。仕組みさえ分かってしまえばパズルみたいなものじゃないか。そう思いながらもノートに式を写す。

 けれどいくら手を動かしていても退屈な時間は退屈でしかない。そろそろ眠くなってきたし寝てしまおうか。

「これがこの式での公式になる。分かるか?そしたらそのページに載ってる問題やってみろ。」

 人が折角寝ようとしている所に邪魔が入った。流石に言われた事をやらずにただ寝るのも癪なので問題を解いてから寝ることにした。とは言っても初歩的な問題、解答時間はそれほど無くすぐさま答え合わせとなってしまい目を閉じるだけの時間になってしまった。

「眠い...」

「暮林授業聞いてるのか?」

 後ろから浦智の小声が聞こえる。

「聞いてる聞いてる。ただ、眠い。」

 そう言うと頬づえをついた。何とも態度の悪い生徒だろう。ただ、授業開始からうつ伏せで寝ているあいつよりは良く見えるだろう。あいつの名前何だっけな。

「それじゃ、右羽うわ。問いの1の答え言ってみろ。分かるか?」

 名指しで指名されたのは右隣に座る右羽さんだ。肩にかかるくらいの茶髪混じりの黒髪で、大人しい印象の彼女は突然の指名で動揺している。手をわたわたしながら勢い良く立ち上がる。そこまで焦る事は無いだろう。

「どうだ右羽。分かるか?」

 こいつの口癖結構気になるな。

「えっと......え...」

 ちらっと彼女の方を見ると視線が泳ぎに泳ぎまくっている。見ているこっちが目が回りそうだ。手に持っているノートに書いたであろう答えを言えばいいのに何をそんなにもたついているんだ。そう思いノートを覗くとそこには板書のみで、問いが書かれていない。

 なるほどそういう事か。

 俺は彼女に聞こえる最小の声で答えを呟いた。

「えっ?あ...───です...」

「正解。良く出来たな、座っていいぞ。」

 極度の緊張から開放されたからか安堵の息すらついている。そして自分の行動を振り返り恥ずかしくなったのか顔を真っ赤にしている。何だろう、見ていて楽しい。

「ありがと...」

 気のせいだろうか、今小声でお礼を言われた気がした。けれど誰も俺の方を見ていない。俺は小さく笑うと心の中でどういたしまして、そう応えた。


 昼休み、飯を食べる前にトイレに行き倍率を確認する。するとそこには初めて見る数値が表示されていた。


 暮林 明

 0.61


「誰だろうなこれ。」

 そう笑いながら言うと浦智を待たせるのも悪いと思い教室に戻った。

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