第1ー5 私、ヤスナ、慈雨吾

ヤスナは無事だろうか?

あれからもう、一週間くらい経っているか?

自分の価値観が、凄まじく変わった出来事ばかりが、立て続けに起きてしまった。

この心境を言葉に表現するのも、とても難しく…、

自分の感情を持て余す日々が続いた。

この世界に戻った時は、時間は既に深夜を回っていた。

出来事が大き過ぎて、中々寝付かれず、手持ち無沙汰で困っていた。

「?」

目の前にいいものを見つけた。

体少し傾けて、こちらを見る黒い物体。

時間を潰すのには、最適なモンだと1人で頷いた。

(眠くないと言うか、寝たくないと言うか…?そうだ!いい事を思いついた!)

自分を食ったジェノ・カナ類は、自分を元の世界に戻してくれると、自室の机に座らせて色々話を聞いた。

その話は意味が分かるものと、そうでないものが極端であった。

「おいらはディアブロ・慈雨吾(じうご)。慈雨吾でいいよ?ジェノ・カナの上位変換種で、11と12を管轄してるよ。あのヤスナに沢山仲間がやられた。だから、許せなかったんだ…」

「あなたは、ジェノ・カナと同じじゃないの?やっぱり本と言う人を食べるのかな?」

「あそこは人型が多いんだ。いつもの場所の本は草木型だよ。おいらはそれ喰べてるけど、本なら人型でも喰べるよ。喰べるけど殺したりしないよ?一ヶ所に集める為に、おいら達は食べるんだ」

机でピョコピョコ跳ねる慈雨吾を、軽く指で小突きながら話を聞いた。

手のひらサイズの慈雨吾は、かなり高性能な印象だった。

声も少年っぽい。

コミカルな動作も可愛い、

指を退けながら話をする慈雨吾が、次第にペットのように見えてくる。

「お得意の空間移動ってやつね?一ヶ所に集めてどうするの?食べて吐き出すって事?本は色んな形があるの?」

ウンウンと頷くように、体を2つに折りながら、慈雨吾は話を続けた。

「空間移動じゃなくて、多世界移動だよ!こういうの、回帰ラウンドって言うんだぁ!一ヶ所に集めるのは世界の為で、進化発展し続ける為にも、本は集めないといけないんだ。沢山集めると、おいらはまた上位に変換して貰えるんだ。だから、頑張るんだ」

慈雨吾の言葉に、思う事があった。

本は集めなければいけないと主張する慈雨吾、それを阻止して守ると主張したりヤスナ。

どちらも正しいと思う。

この意見の差は、立場や思想に於ける差なんだろうと解釈した。

自分は、どちらの立場で、どちらの考えになるんだろう?

兄もどちらかの趣旨に賛同した結果、罪とか罰と言われてるんだろうか?

浮かび上がる疑問の答えは、推測の域を脱する事は無く、今の自分には、その結論は出せなかった。

そんな大層な意見や思想なんて、自分は持ち合わせてはいなかったからだ。

その事は触れずに、慈雨吾の話を進めた。

「進化かぁ。進化と言う割には、ジェノ・カナの行動は残酷で、高等だとは思えなかったよ?血も沢山出て、凄い音までしていたし」

「あれは下位種だよ。野蛮で粗野で嫌な奴さ!おいらはそれが嫌だ。だから早く、上位変換種になりたいんだ」

「変換種って何?いつから、自分のポケットにいたの?あなたもジェノ・カナみたいに沢山いるの?この角みたいなの、触ってもいい?」

両手で触ろうとしても、慈雨吾の動作は素早く、中々捕まらない。

慈雨吾は何度も『やめてー!』と訴えていた。

触っても、特に問題ないらしいが…。

「種は色々あるよ?上位天種とか、原亜種とか変種とか。おいらはロッシャンは嫌いだ。立法主義は好きだけど、律法主義者は苦手なんだ。でもキリコの事を教えてくれたのはロッシャンだ。キリコの聞いたら、自分で行くって言ってたよ。おいら次の変換で、4.3になれるんだ。でも、今日はいっぱい働いたよぉ、凄く眠いィ。ムニャ、ムニャ…」

「え?寝ちゃうの?は、早って。ここ机だよ?」

体上半分を前後に揺らし、スヤスヤと寝息を立て始めた慈雨吾。

(布団はどうしたら?えっと…、立ったまま寝るのかな?でも一応…)

近くあったタオルを折り畳み、慈雨吾に座布団代わりとして、敷いてやろうとした時だった。

慈雨吾が大事な話と言って、再び喋り始めた。

「あ、そうだ!今日のこの会話は内緒だよ?おいらの事も内緒だよ?おいらは絶対、キリコの役に立てるよ?おいらは自分の意志で、ここに来たんだ。誰にも気兼ねはないんだ。でもキリコが喋ったら、何も出来なくなる。約束守ってくれたら、おいらはキリコの言う通りに、何でもするよ?」

まん丸い目が、独特の輝きで光っていた。

鋭くもあり、思惑ありげとも取れる目。

人の言葉を飲み込む程、強い眼差しに圧倒され、ただ頷くしかなかった。

「わ、分かった。約束する」

「ありがと、おいらは当分動かないけど、心配しないでね。放っておいていいからぁ、ムニャムニャ…」

大きな横長の口端を、軽く上げて笑う慈雨吾。

その途端に、早くもスースーと寝息を立て始めていた。

「寝るの早いんだな。役立つかぁ。ま、ロッシャンや、ジェノ・カナの話よりは、数段分かりやすかったね。世界ってより、自分的には兄の事が、早く解決すればいいだけなんだけど…」

兄の居場所の特定。

罪や払うべき責任とやらの意味。

例え帰ってきたとしても、また行くつもりなのか?確かめたいけど、その術が無い。

その他諸々、言い出したらキリがない程、疑問や不思議が出てくる。

(兄貴に関わると、本当にロクな事が無い)

深い溜息つこうとした時だった。

「キリーツ!礼!掃除当番しっかりやれよ」

「ガヤガヤ」

(そうだ!今は終礼で学校にいるんだった。ずーっとあの出来事ばかり考えて、授業聞いてなかった!)

声の大きな担任のおかげで、ハッと我に返る事が出来た。

「はぁ、授業にも身が入ってない、ほんと情けないなぁ…」

みんなに合わせるように慌てて起立し頭下げ、帰り支度をしていると、友人の紗凪(サアナ)が肩を叩いて言った。

「みんなでカラオケ行くんだけど、桐子も行かない?」

「今はちょっといいかな?用事あるから」

「なんかあった?元気そうじゃないけど?」

「少し疲れてるだけ、寝たら治るよ。ありがとう、心配してくれて」

今出来る精一杯の笑顔を見せて、早々にその場を駆けて行った。

(紗凪、勘がいいからバレてるなぁ。明日からは、ちゃんとしよっと)

何もかもが中途半端で、何も手がつかない自分にイライラしているようだった。

兄捜査の加担も、正直疲れてきていた。

何度も自分に、自問自答を繰り返しても、はっきりさせる事が出来なかった。

もう一度、あのパソコンに触る?

そんな勇気、今の自分にある?

いや、行くしかないだろ、もう一度あの世界へ?

行って何になる?

ヤスナのように、ただ恨みを買うだけかもしれないのに?

答えは分かりきっている。

確かめたら済む話だ!

(ブルブルッ!)

家路の途中でたち止まり、激しく左右に頭を振って、その答えを無理矢理否定した。

「ダメだ!もう嫌だよ、あんなとこ。怖くて行けない。戦争みたいな事の片棒も担げない」

帰宅道中、何度も溜め息を繰り返し、空を仰ぎ見ては目尻に涙を溜めた。

(本当に何にも出来ないもん…。ヤスナみたいになれたらいいけど、そんなの無理だし。銃とか扱いたくないけど、でも、自分にも何か出来る事があればいいな!とは思うけど)

少し歩いては、また立ち止まる。

そんな事を繰り返しながら、無駄に時間を費やしていた。

嫌なはずなのに、あの日の出来事は鮮烈で、無かった事にも出来ない。

心の片隅ではあの世界に惹かれ、心を掴まれ、どうしても離せずにいた。

時間があれば、あの世界の出来事を思い起こし、知らずと没頭していたようだった。

未だかつて味わった事のない、自分にとって強烈な人生の輝きを秘め時間でもあった。

再び足を止め、また思考を巡らし、独り言を漏らしていった。

「ヤスナには嫌われてしまったけど、いつか誤解が解けるといいなぁ。違う形で会ってたら、仲良くなってたかもしれない。ヤスナも頑張ってたのは事実だし。言ってる事も理解出来る」

立ち止まっては、息吐く事を繰り返す。

我に帰ると、今の自分の行動がこっぱずかしくなるのだった。

(一人で何やってんだろ?何回も立ち止まって首振ってバカみたい。もう無理なんだから、諦めなさいよ、私も)

「ジャストで家に着いてた。こんな事してたら疲れたよ。誰もいないよね?」

(カタッ)

門に手をかけながら、左右後方を見渡す。

ご近所さんに自分の変な行動を見られていないか?一応チェックしておくのだった。

こういうチェックは余念がないが、割と大ボケするのは自分の愛嬌だと思ってる。

「ただいま〜」

「桐ちゃん…」

「ママ?どうしたの?」

玄関を入ると、ママが縋るような目で自分を見つめ、飛び掛かる勢いで抱きしめてきた。

突然のママの衝動には、正直困惑した。

「ママ、苦しいって」

「桐ちゃんなら出来るんでしょ?お兄ちゃんを助ける事が?」

「え?ど、どうして?そんなの出来ないよ?何処に居るかも知らないのに…」

「お兄ちゃん、元気にしてるって。桐ちゃんを待ってるって!ねぇ、お願い。桐ちゃん、お兄ちゃんを迎えに行ってあげて。もう半年も経ってるの、心配で、心配で…」

「…ママ」

ママは自分の両腕をガシッと掴み、前後に激しく揺さぶってきた。

ママにこんな力が出せるとは、今まで思っても見なかった。

(普段は、蟻1匹でもオロオロしてるのに…)

ママのこういう姿を見るのは、本当嫌だった。

自分には見せない、時折見せる、兄への異常のように思える行動の一つだから。

いつも平等なママでも、兄に事があったら、ママは常に体を張って庇っていた。

パパと喧嘩してた時も、兄を探す時も、人様にも土下座してお願いしていた。

(ママはあいつの事だから必死なの?もし、私が行方不明なら、同じようにしてくれるの?)

ママへの疑問、いつか、尋ねてみたいと思う。

兄だから、長男だからこの態度なのか?

こんな自分だから放置気味なのか?

思う事は沢山あるが、優しいママだから。

お菓子を分ける時も、洋服買ってくれる時も、数も回数も平等にしてくれてた。

兄に黙って、美味しいモノを食べた事もある。

でもママの本音は?

それ以上、聞くのも言うのも怖くて、苦笑いするしかなかった。

これは緊急事態で、家族の問題なんだから…と、何度も自分に言い聞かせて。

「ママ、誰がそんな事言ったの?本当に私は知らないの、居場所もその行き方も」

「確かに聞いたの。あの子は生きてる、元気にしてるって。今じゃもう、あの子を探すところも無い、やり尽くした…捜査をただ待つだけなんて、ママには無理なの。ママは行けないらしいけど、桐ちゃんは行けるって。お願い、ママにあの子を返して!」

「…ママ」

もう何も言えなかった。

「ママ、本当に知らないの。ごめん…」

必死なママの思いにも応えられない、自分も歯痒かった。

どうあっても助けたいと、母親だからこその感情だろうと察した。

項垂れて、唇を噛み締める。

拳に必要以上の力が入り、体がワナワナと震えた。

言いたい事は沢山あったか、口にするのは憚られた。

言ってしまえば楽にはなるだろうが、もっと悲惨な事が待ち受けている!

そう思うと怖くて…。

(どうすればいいか?何となく分かるし、今ならその手段もあると思う。でも、敵が強大過ぎて、こんなの本当に無理ゲーなんだ。分かって欲しいよ、ママ…)

ママも少し肩を落とし、自分に背を向けた。

そして出た言葉が、自分の耳を鷲掴みにする!

「保名さん、あの人…嘘は言わないと思うの。そんな事は聞いた事がないもの…」

「え?」

(な、何故、保名?どうして彼の名が?)

ママの蚊の啼くような声が、木霊の如く、何重にも響いて聞こえた。

『ヤスナ、保名、やすな…』

下がった頭を上げると、今度は自分がママの両腕を鷲掴みにしていた。

ママは自分の勢いに押されてたじろぐ。

「今、ヤスナって言った?なんで知ってるの?彼と会ったの?いつ、何処で?彼はげッ!」

「キ、桐ちゃん!い、痛い…」

「ご、ごめん…なさい。勢い余って、エスカレートし過ぎた。大丈夫?ママ」

力み過ぎた手を離し、ママの両腕を柔らかくさすった。

何度もママに謝った。

ママは苦笑しながら、なんでもないと言ってくれた。

自分は咳払いし、少し気持ちを落ち着かせて同じ質問をした。

「ヤスナと知り合いなの?ママは」

「いつからかしら?ずーっと前からよ。前は良く二人のお守りしてくれたのよ。久しぶりなのに、変わらないわね。保名さんと会って、一週間も経ってないわ。すぐに桐ちゃんに教えてあげたかったけど、寝込んでたでしょ?具合悪そうだったから…」

「ご、ごめん。最近調子悪くて」

(幼い頃、三人で遊んだ?全然覚えてない。ヤスナがそんな年?嘘でしょ?それにママがヤスナと会った頃、ちょうどあの世界に行った日の後。どういう事?)

ママが嘘を言ってるとも思えなくて、釈然としない悶々としたものが心を占めた。

「桐ちゃん、大丈夫?顔色悪いわ。ママ、言い過ぎたみたい…桐ちゃんに負担になるのは辛い。でも、ママはもう桐ちゃんにお願いするしか、方法は無くて…。桐ちゃんもお兄ちゃんに会えなくて辛いでしょ?ママと同じでしょ?」

か細いママが、心許ない不安げな声を出すと、悲愴感が更に増幅される。

知ってか知らずか?ママはそんなの気にもせず、静かに泣いていた。

(ママが泣くなんて、滅多にないのに。そんなに心配なんだね。ま、そうなるかなぁ…)

確かに兄の事は心配だが、ママのような心配とはちょっと違う気がしていた。

心が揺さぶられ、覚悟の決まらない自分は、棒立ちになっていた。

どうしても自分には、あの世界に行くという選択しかないのか?

『嫌だ!』と言う言葉が、頭の中を埋め尽くし、今にもパンクしそうだった。

(兄は望んで向こうへ…と言っても、逆効果になりそうな雰囲気だ。本当に嫌なんだけど…、ついてないと言うか…、仕方ないと言うか…)

出てくる言葉は、自分の意に反した、ママが喜びそうな単語ばかりに思った。

「ママ、ヤスナとはいつどこで会ったの?」

「桐ちゃん、やってくれるの?」

「…まだ出来るとは言い切れないよ、でも話は聞いてくるよ。何とかできたらいいけど、努力するよ。家族だもんね、私達」

そうママに答えると、ママの顔は突然明るくなって、きつく抱き締め、はしゃぐように言う。

「そうよ、みんな大事。家族ですもん。桐ちゃん、お願いね。ありがとうね、これでやっと帰って来られるのね、あの子は」

少女のように賑やかしく喜ぶママを見て、これで良かったと思い込むようにした。

(何だろう、この違和感。関係ないのかな?ま、失踪した子供の親なんて早々いないから、こんな感じなんだろ)

自分の言葉で、ママは凄く元気になったと感じた。

これで良かったと思う事にした。

どんな理由にせよ、ママが心労で痩せ細るのだけは、見たくはなかったから。

自分のわだかまりは消えず、ただ下火になっただけだったが…。

歯車は思っているよりも高速に、狂い始めているよも知らずに。

また流されていると分かっていても、どうしようもなかったんだ。

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