【晴れた朝に】2

 驚くほどに静かだった。

 嵐の中を飛翔するのは暗灰色の"竜公ドラクル"。蝙蝠の翼と頭部を持つ獣人、と言った外観を持つ1万トンの巨体は、音速の三倍で飛翔していた。大気をかき乱すことなく。

 高出力の電磁流体制御は、衝撃波のほぼ完ぺきな抑制を可能とする。

 この人類製神格は最短距離を進んでいた。一直線に。高いステルス性を備えたドラクルならば見つからずに目的の海域までたどり着ける可能性はある。だが、神々とてさんざん自陣営の領域を荒らしまわった人類製神格部隊を取り逃がすつもりはないはずだった。

 だから、これはミカエルたちが目的地にたどり着けるのが先か、神々がこちらを補足するのが先か。そういう勝負だった。

「―――前方三十キロ。敵反応。四」

 ミカエルの言葉に、周囲へと出現したのは三つの巨体。蠅の王。虹蛇。斉天大聖。

 対する敵勢もこちらを捉えたか接近してくる。共に最大戦速。三十キロの距離も接敵するまで十五秒の猶予しかない。

 蠅の王が先行。航空戦型であるこの機械昆虫は、チーム中最大の飛行速度を備える。

 それを、虹蛇ユルングの首が。瞬時に伸長した頭部が十五キロの距離を超え、敵神に食らいついたのである。

 ボース=アインシュタイン凝縮。たった一つの量子と化した虹蛇は、その取りうるあらゆる形態へと瞬時にすることが可能となる。流体で出来た巨躯を伸長した状態に置き換えることができるのだ。人類側神格ヘカテーの複製。いや、発展型であるこの神格は、ヘカテーの弱点が改良されてもいた。

 肩口を食いちぎられた眷属が振り上げたのは火球。容赦なく振り下ろされた攻撃は確かに虹蛇の頭部へと命中。しかし相手が悪かった。大型化されたアデレードの拡張身体は、その巨大さ故に耐久力に余裕があったからである。

 わずかに損傷しただけのあぎとは、眷属を今度こそ食い殺した。

 その横を白銀の槍が飛翔していく。黄金の猿神が切り込む。

 激突は、一瞬で終わった。すれ違い、人類製神格が飛び去っていく。残された眷属側に追尾できる余力はもはやなかった。

―――このまま行けるか。

 皆がそう思った時だった。天より、強烈な閃光が撃ちおろされて来たのは。

 それは、先頭を行く蠅の王の巨体に潜り込むとを開始。質量を失う代償として巨大なエネルギーを吐き出していく。

 はやしもの体内でマイクロブラックホールが爆発するまで、わずかな間しか要さなかった。

 光が膨れ上がり、すべてを呑み込んでいく―――


  ◇


―――ああ、戦っている。

 皆が。敵中を突破するために、あのひとたちが戦っている。

 動けないでいる自分が情けない。彼らの盾にならなきゃいけないのに。

「……心配かい?」

―――誰、ですか?

 声をかけて来たのは何者なのだろう。ここは私の中なのに。どうしてこの人は私の中にいるんだろう。

「勝手に入ってすまない。けれど、君だって私との約束を勝手に破ったじゃないか。だから無理やり約束を履行させにきたんだ。死んだら駄目だよ」

―――ああ、ごめんなさい。満足しちゃって、それで……

「そんなに、彼らを助けたいのかな」

―――分かってるくせに。ずるいよ、ドナ……

「そうだね。友達を助けたいときに助けられるのは、この世で最高の贅沢だ」

―――わたしを、あそこにつれていって、ください。

「思えば、あの嵐の夜にすべてが始まったんだな……

分かったよ。麗華。一緒に行こう。そして、この長く続きすぎた嵐の夜を、終わらせよう」


  ◇


「―――はやしも!」

 ミカエルは。眼前で起きつつある爆発に、停止を余儀なくされたのである。他の仲間たちもそうだった。盾を構える。流体の原子間結合を強化。

 光に飲み込まれるまで、ほんの一瞬だった。強烈な熱が全身を溶かそうとしてくる。遅れて来た衝撃波がこちらを木の葉のように吹き飛ばそうとする。電磁流体制御最大。受け流そうとする。

 永遠にも感じられた時間は、しかし現実には瞬時に終わった。

 半ば溶融した盾を降ろす。センサーを復元する。周囲の状況を確認する。

 世界は、一変していた。

 嵐が消滅。天を覆っていた厚い雲は吹き飛び、満天の星空が広がる。下に目をやれば今の爆発で生じた巨大なが、海面に生じていた。

 アデレードと呂布ルゥブゥの無事を確認。ふたりの巨神はさしたる被害を受けていなかった。ミカエルと同様に。

 そこまで確認した段階で、ミカエルは何が起きたかを思い出した。攻撃を受けた。はやしもが。彼女はどこだ!?

 はやしもの蠅の王は、すぐに見つかった。元と同じ場所に、半身を失った姿で。

「―――!?」

 溶融し、大きさが半分以下となってもまだ。彼女は生きていた。虫の息だろうが。だが、彼女の肉体がいかに群体と言えども巨神を丸ごと蒸発させられれば死ぬ。そのためにはもう一発先の攻撃が撃ち込まれれば十分だ。

 周囲を探す。敵はどこだ。

 探し物は、すぐに見つかった。

「―――戦略級神格」

 上空より強烈な砲撃を撃ちおろしたのは、長槍を構え、兜で顔を隠し、純白の衣を纏った戦天使像。幾つもの神像を従えた彼女は、第二射の構えだ。それも、目標はまだ健在な人類製神格に対してではない。

 蠅の王だった。

 防ぐ手段はない。はやしもが死んでしまう。

 "ドラクル"は、虚空より槍を。だが駄目だ。間に合わない。敵は第二射を放った後、こちらの攻撃を容易くかわすだろう。

 極限まで集中力を高めていたミカエルは、だから次の瞬間に起こったことが理解できなかった。自らの至近の空間より飛び出したエメラルドグリーンの物体が、命運の尽きようとしている蠅の王に向かっていくところを。

「―――え?」

 戦天使像が閃光を放つのとほぼ同時に、それは蠅の王に激突。照準をほんの少しだけずらした。

 第二射は外れ、海面近くで。先と同様の爆発を引き起こす。

「……だいじょうぶ。はやしもさんは、私が守ります」

 その声に、ミカエルは振り返った。自らの肉体の視界で、自らの拡張身体の内部を走査したのである。

「―――!」

「心配かけてごめんなさい。でも、今は」

 そこにいたのは眠っていたはずの麗華。彼女が"デメテル"を操りはやしもを守ったのだと、ミカエルは悟っていた。

「分かった。積もる話は後にしよう。みんな!」

 仲間たちが動く。自らも槍を構え直す。大丈夫。奇襲でなければ戦略級神格と言えども、人類製神格の敵ではない。マイクロブラックホールの蒸発ですら、直撃でなければ巨神を破壊することはできないのだから。

 無事な三柱が襲い掛かり、そして哀れな眷属どもはたちまちのうちに致命傷を負った。

 砕け散っていく敵神の亡骸を背に、一行はその場を飛び去っていった。人類の領域に向けて。

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