【第六章 晴れた朝に】

【晴れた朝に】1

「酷い嵐ね。おかげで助かるけど」

 アデレードは呟いた。

 そこは小さな建物の中。石で土台を組み、丸太で組まれた小さな家屋である。入り江のやや高台に設けられたここは避難小屋らしい。恐らく作ったのは、この世界に連れてこられた人間たちだろう。

 外の様子をうかがっていたアデレードは、中へと視線を向けた。

 土間との境に設けられた囲炉裏を囲んでいるのはミカエル。はやしも。呂布ルゥブゥの三名。

 そして、部屋の隅に寝かされているふたりの女性。

 麗華と、そしてデメテル。いや、ドナだった。

 敵を突破した一行は海岸線を南下。味方との合流はひとまず中止である。敵を引き連れたまま潜水艦までたどり着くのは危険が大きすぎたからだった。相当数の眷属は撃破したが、神々はこちらを探していることだろう。消耗しきった一行はひとまず発見したこの建物へと避難したのだった。嵐にも助けられた。自然のものらしいこれのおかげでひとまず敵の捜索の目は避けられているのだから。このような気象異常はここ数年特に多い。激化していく戦争の影響だろうと言われている。

 もっとも、いつまでもここにいるわけにはいかない。四人の人類製神格たちだけならばいい。しかし眠っている二人。麗華とドナは、早急な医療措置が必要だったから。

「……で、どうだった?」

「再合流地点を指定された。ここから南に艦隊がいる。私たちが接触するはずだった潜水艦の本隊。そこで回収してもらう。神格の処置ができる医者もいるって。

四時間後に出発」

「唯一の明るいニュースだな。とはいえ間に合うかどうか」

 先ほどまで通信機と格闘していたミカエルに呂布が続ける。上に国連軍の艦隊がいたおかげで味方に衛星通信が繋がったのはありがたい。今後の予定が立ったのも。

 眠っているふたりの女性に目をやる。

 ドナは重体だが助かりそうだった。体がほぼ停滞モードに入っている。神格の作用によって仮死状態になっているのだ。あの状態なら、思考制御が施されていようとも暴れ出す心配はないだろう。

 だが、麗華は違った。

「何とかなりそう?」

「……」

 問われたはやしもは首を振った。彼女は麗華の容態をモニターしていたが、しかし状況はお世辞にもいいとは言えない。

「神格が、損傷、しています。厳しい、かと」

「そっか……」

 神格は生命維持の要だ。過剰な強化を施された肉体が安定していられるのは神格があるからだった。神格同士のリンクを通してもうんともすんとも言わない以上、"ブリュンヒルデ"の機能は瀕死と言っていいだろう。もちろんそうなれば麗華の生命も危うい。ただでさえ彼女も重傷を負っているというのに。

「……できたぜ。ひとまず食っとけ。力をつけとかないと、いざというとき動けんぞ」

 火から鍋を降ろすと、呂布はそれぞれの器に中身をよそおい始めた。中身は中華スープである。この人類製神格は洋の東西を問わずあらゆる料理をマスターしていたが、こういう時は母国の料理が一番安定する。

 皆がそれを受け取った時。

「ぅ……」

 寝床からうめき声を上げたのは、瀕死の麗華。

 皆が視線を集中させた。

「……いい匂い」

「麗華」

「おなかがすきました……」

 腹部を失った少女は、力なく微笑んだ。かすれるような声だった。

「わたし、一体……」

「……敵の包囲を突破したところで意識を失ったの。巨神が維持できなくなって。慌てたんだよ?」

 ミカエルが答えた。なるべく平静に。わずかに返答が遅れたのは止むを得まい。

 だが、麗華が状況を悟るにはそれで十分だった。

「……私、もうダメなんですね……?」

「そんなことない。大丈夫だから」

「……ドナは、どこに……」

「あなたの横で寝てるよ。彼女は大丈夫。停滞モードに入ってる。助かるよ」

「よかった……」

 麗華は手を伸ばした。ミカエルは、それをドナの手に重ねてやる。まだ残っている側の手へと。

「樹海を一人で歩いてた時……思ったんです。このまま誰にも看取られることなく、私は死ぬんだって……けど、こんなに大勢の人に囲まれて。ドナだって助かって。そんな中で死ねて、私は幸せだったんだ。って……」

「死なない。あなたは死なないよ……」

「……ありがとう、ミカエルさん。皆さんも。私の人生、捨てたもんじゃなかったです……」

 その言葉を最後に、麗華の手は力をうしなった。自発呼吸が停止。心臓が止まる。

 臨終だった。

 知性強化動物たちの鋭敏な感覚は、それをたしかに捉えていた。

「……麗華」

 沈黙が訪れた。知性強化動物たちは若い。彼らは生まれて四年で実戦投入される。最年長の呂布ですらまだ十七歳だ。肉体的には成熟していても、人間を凌駕する知能を備えていようとも、多感な若者であることに変わりはない。いずれは神格が、戦場のストレスからくる脳神経の負担すら癒すとしても。

「やり切れねえな」

 呂布が呟いた。麗華とは何日も一緒に過ごした。言葉を交わした。親しくなった。彼女のような人間を連れ帰ってやってこそ自分たちの仕事の意味があるのだと思った。

 果たせなかった。

「……せめて、故郷に連れて、帰って、あげたいです」

「そうだね。それにドナは生きてる。彼女だけでも―――?」

 はやしもに答えようとしたミカエルは、怪訝な顔をした。何故ならば、あるはずのないものが目に入ったから。

 それは、蝶。ドナの耳孔より這い出してきた翠のそれに、ミカエルは動きを止めたのである。

 神格、"デメテル"。ドナの脳に寄生。いや、共生していた機械生命体の、それが本体だった。

 皆がその光景に絶句した。通常、神格は肉体が死亡した時に離脱し、自らを保存材に包んで眠りにつくものだったから。

 知性強化動物たちを無視して"デメテル"は這っていく。その目指す先は、もう一つの耳孔。たった今、その生命を終えた麗華の脳を、は目指していたのである。

 やがてたどり着いた目的地。麗華の内側へと、"デメテル"はもぐりこんでいった。誰も阻止できなかった。いや、阻止しようと思わなかったのだ。

 皆が茫然としていた。

「何が……」

 ドナを見る。そこにあったのは仮死状態になった冷たい肉体。いや。神格を失った今、その状態を維持できるのか?このまま死んでしまうのでは?

 分からない。誰にも、どうすればよかったのかは分からなかった。

 どれほどの間茫然としていただろうか。

 とくん。

 。心臓の脈打つ音が。

「―――!?」

 皆が、麗華に視線を向けた。つい先ほどその生命活動を停止した少女。その胸がわずかに上下し、自発呼吸を再開していたのである。

「……生きてる」

「ドナが、麗華を助けた……?」

 分からない。神格にはそのような機能はないはずだった。だが、そうとでも考えるほかはない。目の前で起きた事象を受け入れるには。

「―――どうする?」

「二人とも連れて行く。予定通り、出発は四時間後。そしたら、味方と合流するまで休めないよ。しっかり休んでおいて」

「了解、です」

 リーダーの言に、皆が頷いた。

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