【獣神らとともに】6
強烈な衝撃が、大地を揺らした。
麗華の身に襲い掛かったそれは眷属の激突によるもの。強烈な体当たりによって、崖に叩きつけられたのである。異常な強度を持つはずの紅の巨神のそこかしこがひび割れ、脱落。腹部には大穴が空いた。
それで終わらない。五十メートルの"ブリュンヒルデ"を一回り以上も上回る土色の敵神は、麗華の拡張身体を抱きしめ、締め上げ始めたのである。兜以外は一糸まとわぬ上半身。筋骨隆々とした眷属の体躯が生み出すパワーは"ブリュンヒルデ"の耐久限界を越えつつあった。
空母でも一瞬でへしゃげ、破壊されるであろう剛力に、しかし麗華は耐えていた。巨神を構成する流体の分子間結合は神格の集中力によって維持されていたからだった。麗華の眷属としての膨大な戦闘経験はそれを可能としたのである。
「―――っ!!」
麗華が呼んだのは、渦。自らの構成原子を励起させ、高まったエネルギーの焦点を敵の中心に向ける。物質の安定を司るエネルギー障壁の準位が引き下げられる。
眷属の内側から、破壊が始まった。
巨大なエネルギーがたちまちのうちに膨れ上がり、眷属を内側から食い破り、そして麗華自身をも飲み込んで、そして天まで届く竜巻と化した。暴風が巻き起こる。いや、それはもはや天災だった。
強烈なエネルギーの奔流は数十秒間も続き、そして唐突に止んだ。
恐ろしい威力であった。周辺の地形が変わり果てていたのである。崖が大きく削れ、周囲の木々は根こそぎ消滅し、そして麗華自身も無事では済まなかった。
ボロボロに損壊し、もはや原型が残っているのが不思議とすら言える有様の女神像。彼女は、剣を支えに立ち上がろうとした。
「……行かなきゃ」
ほんの数百メートル先。巨神の体躯ならば一跨ぎともいえる稜線の向こう側で、仲間が戦っている。敵勢は多い。彼らがいかに強くても、勝てるかどうかは分からない。手助けせねば。
そのための一歩を刻んだところで、前進は阻止された。新たな敵が立ちふさがったから。
知った顔だった。
「……ドナ。会いたかったよ」
「ああ。私もだ。決着をつけよう」
いつも通りの姿。戦衣を纏い、翼を広げ、手には
相手は無傷に見える。対するこちらは既に重篤なダメージを負っている。それでも勝たねばならない。それが、二人の間で交わした約束だったから。
"ブリュンヒルデ"の兜を消去。最後くらいは相手に素顔を見せたかった。気持ちが通じたか、敵手。"デメテル"の仮面も消失し、素顔が露わとなる。
麗華が踏み込む。同時にデメテルも。
二柱の武器が激突しあった。
◇
「―――!!」
不気味な爆音が響き渡った。
山間を低空飛行してきたそれは最後の瞬間エンジンを大きく噴射。高度を稼ぎ、大きな位置エネルギーを獲得。重力を味方につけて急降下した。
不気味なほどにゆっくりに見えたそいつは、現実には恐るべき速度で防御姿勢を固めたアデレードの体躯へと直撃。内臓する大量の化学的エネルギーを炸裂させて消失した。
代わりに出現したのは、プラズマ。爆発で生じたそれは磁場によって束ねられ、一方向に向けられ、そして激突。更にはキノコ雲が生じ、衝撃波が広がり、谷間をすさまじい威力が駆け抜けていく。
それは神格であるアデレードの巨体にも決して浅くないダメージを計上している。飛来した対神格用の巡航ミサイルの威力だった。
「アデレード!?」
「まだ大丈夫。何発も喰らえばきついけど」
アデレードの
戦場はいつの間にか、やや開けた地形。谷間の出口に移っていた。やや、とはいってもそれは巨神たちの感覚であって、人間ならば広大な空間と評したであろうが。
こちらを取り囲む眷属どもの数は十近い。姿も色も様々ななそいつらは攻めあぐねているのか距離を取ったままだ。黒。白。青。橙。古代ギリシャ風の戦神像もいればアステカ文明をモチーフとしたのだろうか、ジャガーの頭部を備えた戦士像もいる。あちらのハヤブサの頭部と人間の肉体を模した像はエジプト神話のホルス神だろうか。いずれも偽物に過ぎぬ。神々が、地球に連れ去った人々を支配するためにこしらえた紛い物の神。
奴らは特にミカエルを警戒しているのだろう。対する獣神たちも身動きが取れない。隙を見せた瞬間敵勢は襲い掛かってくるだろうから。
「どうする?このままじゃあ麗華を助けに行けないわよ」
「だいじょうぶ。敵の陣形が乱れたら、わたしが行きます」
「―――分かった。頼んだよ、はやしも」
打ち合わせが済んだのを見計らったように、敵勢が乱れた。眷属の一体が突如として溶けたからである。
動揺する神々の軍勢のさらに外側から飛び込んで来たのは黄金の猿神。敵の背後に回り込んでいた
ミカエルの盾から幾つもの円筒が飛び出す。アデレードの尾が伸びる。はやしもが槍を投じる。幾つものことが同時に置き、眷属が砕け散る。
「行って!はやしも!!」
切り込みながら、ミカエルは叫んだ。
◇
「おおおおおおおおおお!」
全身の熱量を剣に注ぎ込み、分子運動を束ねて加速。
振るわれた一撃の速度は、音速の六十倍にも及んだ。爆発的な衝撃波は谷間で乱反射し、破壊的なエネルギーを上空へとまき散らす。残った木々が消し飛び、クレーターすら生じた。
受け止めた戟は弾き飛ばされ、無防備になったライムグリーンの女神像が後退する。そこへ慣性を無視して返す刀が振るわれた。分子運動方向を正反対に捻じ曲げたのだ。
生じた裂傷は、恐ろしく深い。切っ先が掠めただけだというのに。
にもかかわらず、ダメージの大きい側は"ブリュンヒルデ"の方だった。限界以上のパワーを絞り出したがゆえに。剣が砕け散る。腕が破断。構わない。もう一本ある。左腕で剣を掴み出し、踏み込む。生じた隙に捩じり込む。
致命傷となるはずだった刺突は、しかし空を切った。麗華の踏み込みが阻止されたからである。
ドナは間合いを広げて戟を再召喚。
麗華が足を見れば、そこに凝集していたのは大気からなる球。見覚えのある技だった。術者を探す。―――いた。
―――邪魔をするな!!
全身の構成原子を励起。残り僅かな力を注ぎ込む。渦が爆発的に広がっていく。それに巻き込まれて行く黄色い巨神を無視し、麗華はドナへと向き直った。
足に力を込める。凝集した大気が粉々に砕け散った。翼を広げる。力はほとんど残っていない。ダメージを負い過ぎた。麗華の生命の灯はもうあまり長く持たないだろう。
構わなかった。
―――私は長く生き過ぎた。
今年で麗華は七十歳になる。デメテル―――ドナは七十一歳のはず。今の平均寿命がどれくらいか少女は知らなかったが、それでも理不尽に短いという事はあるまい。不満ばかりの人生だったが、それすらも生きられない人々がいたのだ。自らのせいで。
青春時代を―――その生涯の大半を神々に奪われた。それ以上に、多くの生命を奪った。こんな殺人マシーンの化け物を、誰が許してくれよう?
時間がない。敵が集まってくる。速やかに決着を付けなければならなかった。
あの新たな仲間たち―――人類製神格たちのおかげで、人生の終わりに素晴らしい体験ができた。人間扱いしてもらえた。せめて彼らが生き延びられるよう、この命を盾にせねばならない。
ドナの操る"デメテル"は動かない。待っているのだ。麗華を。
だから麗華も、それに応えた。
全速で飛び込む。刺突を放つ。対するドナも、カウンターで戟を振るった。
間合いの差で、まず戟が"ブリュンヒルデ"の肩口に食い込んだ。半ば両断されるほどのダメージをものともせず、紅の女神像は左腕を伸ばした。"デメテル"の胸を貫く長剣。
それが柄まで深く突き刺さった時、二柱の神像の間合いは限りなく無となっていた。
ドナの―――その神像の口が、最期に動いた。
「……ありがとう。そして、ごめんなさい……」
と。
構造を維持できなくなった、宝石の巨神が崩壊を始めていた。麗華は思わず手を伸ばす。
ライムグリーンの霧が晴れた時、赤き女神像の掌には、金髪の少女の半身が残されていた。
頭部。胸部。左肩。
残っていたのはそれだけ。下半身も、腕もない。
赤の女神像は、口を開いた。
けれど、なんと言おうとしたかは分からない。
―――真横から叩きつけられた杵によって、致命傷を受けたから。
頭部が潰れた紅の女神像は動きを止めた。間もなく崩れるだろう。そのように見える。
それを為したのは、複雑な意匠の仮面をつけ、腰を布で覆った以外は逞しい裸身を晒す黄の巨神。オニャンコポンであった。
彼は渦を受けながらも生きていたのだ。
「―――やってくれたな……」
彼は止めを刺すべく、手にした杵を振り上げる。
その時だった。
「―――え?」
オニャンコポンは、腰に衝撃を感じていた。茫然と目をやる彼が見たものは、自らを貫通する白銀の槍。
どこから飛来したのか。投射したものは―――
「……なんだよ、ツイてねえ……」
周囲を見回す。敵はすぐに見つかった。白銀の機械昆虫。既に二本目の槍を掴み出していたのは、蠅の王だ。
重傷だったが、彼は諦めが悪かった。槍を引き抜き、敵へ向き直ろうとしたのである。
そこまでだった。
オニャンコポンの胴体を、赤の剣が両断したから。
死の間際、彼はかつてデメテルと交わした言葉を思い出していた。
―――もしそうなったら、最初に殺されるのは私だ。お前じゃない。だからそこは安心していいぞ
―――だからそういうのやめろよ、お前は愛するブリュンヒルデに殺されて本望かもしれんが、俺は二番目だろうが死にたくねえ
予言は成就したのだ。
頭部が潰れ、胸部まで被害が及んだ女神像。されど、麗華は生きていた。
今は、まだ。
彼女は微笑むと、辛うじて守った手の中の少女を収容。まるで泉の中に沈み込んでいくかのようなその様子に安堵して、そして立ち上がった。
―――まだ、生きてる。
ならばやるべきことはひとつ。
彼らを助けるのだ。
半ば崩壊した肉体に鞭打つ。四肢は断裂し、頭蓋も陥没。下腹部に大きな穴まで開いている。この分ではさほど長くは生きられないだろう。一時間か。半日か。だが彼らの盾にでもなれればいい。
巨神の損傷を復元しつつ、麗華は"蠅の王"へと歩み寄った。
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