【間章】

【化け物と呼ばれて】

「化け物って……そう呼ばれたの」


【四十八年前 遺伝子戦争期 西暦二〇一六年六月十八日

  オーストラリアシドニー跡 十四番門防衛仮設陣地】


 少女は、力なく笑った。

 エキゾチックな雰囲気を漂わせる美しい少女だった。肌はチョコレート色。どこで生まれた肉体なのか聞いた時、彼女はかぶりを振って黙っていた。

 彼女の名を、ヘカテーと言った。


  ◇


 広いが殺風景な廊下だった。

 白いタイルで化粧された内装は実用性一点張りのシンプルなもの。仮設の施設だからやむを得ないとはいえ。

 メディカルチェックを終えたブリュンヒルデは、検査室のプレートを見上げた。

 以前はここまで頻繁な検査はなかった。神々も、信頼できなくなっているのだろう。自分たちのような眷属の事を。やむを得なかった。既に何体もの眷属が反乱を起こし、神々に対して想像を絶する被害を与えていたのだから。特にその第一号。神戸で反乱を起こしたという"天照"は、甚大な被害をもたらしただけではない。人類に対して神々のテクノロジーの全てを教え、どころか神格を斃す手段すらも与えたのだ。それによって生じた混乱はこの二か月でもよくなるどころか、ますます悪化の一途をたどっているようにも見えた。

 自分の身に置き換えて考えても、恐ろしい。今支配している脳が反乱を起こせば、最初に殺されるのはデメテルだろう。この肉体の本来の持ち主———蛭田麗華の身になって考えてみればわかる。デメテルが使っている体は麗華の親友なのだ。私にとってのデメテルがそうであるように。彼女をこの手で殺すようなことがあったら耐えられそうにない。メディカルチェックを真剣に受けよう、ともなる。

 窓から外を見回す。

 破壊し尽くされた市街地を埋め尽くしているのは、仮設の戦闘陣地と様々な戦闘機械。輸送機。その他さまざまな施設や設備。この戦争は巨大な事業だ。億近いヒトを連れ去り、そして惑星の生態系を復活させられるだけの遺伝子資源を運ばねばならなかったから。

 それも、人類の妨害によって著しく困難になりつつある。自分のような眷属や各種ロボット兵器。戦闘艦や航空機。あらゆる兵器を持ち出し、活用して技術者や科学者、資材等を守り通さねばならなかった。ヒトはもはや無力ではない。

 自分の宿舎に戻ろうとして、ブリュンヒルデは向こうから歩いてくる顔見知りに気付いた。

「おや。ヘカテーも検査ですか」

「ええ。あなたも?」

「私は今終わったところです。

—――顔色が悪いですよ。大丈夫ですか?」

 神格は病気にならない。とは言えベースは人体のために限界はある。それに起因する不調であるならば、急いで対応したほうがいいだろう。

「うん。ちょっと嫌なことがあっただけだから」

「嫌な事?」

「化け物。そう呼ばれたの。遭遇した相手を撃墜する直前に」

 ヘカテーは哨戒に当たっていたはずだった。その過程で敵と遭遇したのだろう。

「相手はヒトです。好きに言わせてやればいい。私たちは、彼らより遥かに優れた生命体なのですから。

人間の肉体などしょせんは、私たちにとって交換可能な衣装に過ぎない」

「そうね。あなたは交換したことが?」

「いえ。ですが知り合いに交換を経験した者もいます。使い物にならなくなれば捨てればいい。簡単な事―――とまでは言いませんが」

「そっか。素敵な考え方」

「恐縮です」

「ありがとう。吹っ切れたわ」

 告げると、ヘカテーは今来た道を引き返していく。

「ヘカテー?検査はいいのですか?」

「腹ごしらえしてからにするわ。まだ時間には余裕があるし。

知ってる?"腹が減っては戦はできぬ"。東洋のことわざらしいんだけど」

 振り返ったヘカテーは微笑んだ。

「ええ。知っています。この肉体は日本人でしたから」

「そうなんだ。ねえ。食堂、今日は何がお勧めかしら」

「それなら、料理長が新しいパフェのレシピを手に入れたそうですよ」

「いいわね。何年も食べてない。

あなたも一緒に食べる?」

「遠慮しておきます。読みかけの本があるので」

「そう。じゃあね、ブリュンヒルデ」

「ええ。また後程。ヘカテー」

 ふたりは別れた。

 ブリュンヒルデが眷属としてのヘカテーを見たのは、これが最後だった。


  ◇


【一日前 樹海】


 意識が混濁していたようだ。昔の―――自分ではないものの昔を思い出すとは。

 麗華は、松葉杖を駆使して進みながら苦笑。

 あの日、ヘカテーは反乱を起こした。陣地に甚大な被害を与えて逃走したのだ。食堂でパフェをたっぷり食べた後で。まさしく腹が減っては戦はできぬ、だ。

 彼女が何を考えていたのか、今ならわかる。あのやり取りで、"ブリュンヒルデ"が———眷属が人間と相容れない怪物どもなのだ、と彼女は確認していたのだ。あれはヘカテーにとって、神々との戦いを始めるための儀式だったのだろう。

 それですら、最期の瞬間彼女は言っていた。ブリュンヒルデたちをも救いたかった、と。

 そんなヘカテーももういない。彼女は死んだ。私が殺した。

 ヘカテーだけではない。"ブリュンヒルデ"に支配されるまま、麗華はその力を容赦なく振るった。都市に"渦"を使ったこともある。もちろん跡形も残らなかった。住民ごと、消し飛ばしたのだ。何万、何十万という命を簡単に奪うこの力。今の戦争でもそうだ。人類製神格を何人も殺した。はっきりと覚えている。自分の意思でやったことではなかったが、しかしこの手でやったことなのは間違いない。

 こんな化け物の体。血塗られた両手。ヘカテーは、どうやって自分と折り合いをつけていたのだろう?どれほどつらかったのだろう。孤独だったろう。

 地球に戻れたとして、こんな己を受け入れてくれる人はいるのだろうか?そう思うと、心が折れそうになる。

 あの後輩も、きっとこんな心持ちで戦っていたのだろう。もはや自分の方が後輩だが。

―――私も彼女の後を追う事になるかもしれない。

 それでも、精一杯あがく。

 それが、ヘカテーを殺してしまった自分の贖罪だから。


 少女は知らない。親友の想いも。己に差し伸べられる救いの手の事も。

 今は、まだ。

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