【旅立ち】4

 殺し合う少女たち。その様子を監視する、幾つもの視線があった。

 それは音響を拾うレーザーであり、付近を飛行する偵察ドローンであり、単に優れた視力と望遠鏡の組み合わせである。

 それらの主が交わすのは低強度の暗号通信。自然のノイズに偽装された電波を解析するのは数時間で十分であろう。だがそれでいい。後ほんの数分解読されなければ用は足りるのだった。

 監視されたふたりの更に外側。彼女らに迫る危機こそが、視線の主たちの真の目標であった。


  ◇


 銃声が響いた。

 麗華の手にするナイフが弾き飛ばされ、そしてドナの命を奪う機会は失われた。

「―――!?」

 反射的に飛び下がった麗華は、見た。いつの間にか上空に顕現していた幾つもの神像の姿を。更には木々の合間より現れた、ロボットの兵士どもを。

「やれやれ、デメテルが長話しててくれて助かったぜ。逃げられる前に間に合った。しかしお前スゲェ事すんな、ブリュンヒルデ。普通思いついてもやんねえぞ」

 包囲網を形成する眷属の一柱。黄の巨神から、不気味な声が広がる。麗華には聞き覚えがあった。あの陽気な黒人―――オニャンコポンのものだった。

 状況が悪すぎる。ロボットは神格の敵足りえないが眷属は別だ。巨神を呼ぶ素振りを見せた瞬間に殺されるだろう。

 絶体絶命だった。しかしそれでも、約束したのだ。彼女を。ドナを殺すと。殺したうえで、自らは生き延びると。

 だが、少し前へ進めば手が届く距離にいる彼女は。

 ゆっくりと、立ち上がりつつあった。神々の操り人形にされてしまった彼女。可哀想なドナ。彼女を殺してあげられる機会が遠ざかっていく。今度はもう奇襲は通用しない。いや。それ以前にダメージは麗華の方が上だった。今の少女の身体能力は人間より少しマシ程度でしかない。自らの首を刎ね、繋ぎ直したばかりだから当然だった。

—――どうすればいい?

 その時だった。

―――羽虫?

 視界の隅を飛び去ったのは、この寒さだというのに飛翔する銀の羽虫。川の自然環境が再生されている以上、虫がいたとしてもおかしくはないが。

 それは、麗華の眼前で大きく旋回。思わず目でそれを追った黒髪の少女は―――


 天を見上げた。


 それは、衝撃波を伴ってやってきた。

 暗灰色をしたその長槍は、六百トンの質量と音速の二十四倍の速度をもって飛翔。麗華を包囲する巨神の一体の背から胸へと貫通する。

 致命傷だった。粉々に砕けた眷属の亡骸は、後からやって来た衝撃波によって吹き散らされていく。

 巨神の残骸を薙ぎ払ったそれは、まず木々を揺らした。ついで、葉が消し飛び、あるいは木がへし折れ、根こそぎ吹き飛んだ。もはや爆風だった。

 大混乱が起きた。自己防衛プログラムに従って被害を軽減しようとするロボットたちは、まるで逃げ惑う群衆だ。

 その中で、麗華だけが降り注ぐ災厄から身をかわし、冷静に巨神を召喚することができた。

 赤い霧が立ち込める。自己組織化を開始する。麗華の肉体を呑み込む。

 歩兵型ロボットをながら顕現した赤の巨神は、腰から剣を抜き放つと、即座に精神を集中。その構成原子を励起させた。

 焦点を眷属群の中心に設定して解放されたアスペクトは、物質を破壊。連鎖反応的に拡大を開始したそれは、渦を為し、見る間に成長。巨大な竜巻を作り出した。それはたちまちのうちに天を衝くようなサイズとなり、全ての視界を覆い隠す。

 そして。

—――まるで竜巻から生まれたように、そいつが現れた。

 眷属の一体を砕いたのは、帯。まるでそう見えるが上空から、竜巻に沿って伸び降ろされているのだ。

「ヘカテー……?」

 もちろんそんなはずはない。彼女はもういない。だからそれは、この世に残されたヘカテーの名残。

 麗華が見上げた先にいたのはとぐろを巻く、巨大な蛇だった。虹色にきらめくその尾が伸長し、敵を貫いていたのだ。

 即座に消滅する眼前の尾。いや、一瞬で引き戻されたのだということを、麗華は知っていた。無時間での挙動を可能とするアスペクトを備えたそいつの名は、虹蛇ユルング

 麗華が茫然としていたのは一瞬。されどそれは大きな隙だった。それに気付いた赤の女神像が身を捻るのと、周囲の大気が凝集していくのは同時。

 女神像の動きは中断を余儀なくされた。大気が凝集してできた巨大な球体が、左腕を呑み込んでいたからである。動かせぬ。

 そこへ迫るのは、巨大なきね

 麗華は腕を諦めた。右手の剣を一閃すると、左腕を切断したのである。無様に転がる女神像の上を、杵が通り過ぎていく。

 なぎ倒す木々すら吹き飛んだ大地から勢い任せに立ち上がった麗華は、反撃に出た。杵を振り切った敵に対して強烈な斬撃をのである。

 敵手の黄色い巨腕が宙を舞う。手にしていた杵ともどもに。

 そこへ突き込まれた刺突は、急所をわずかに逸れていた。

 大きく脇腹を貫通された黄の巨神。ひび割れが拡大した巨体を操るオニャンコポンは瀕死に違いない。そこにとどめを刺そうとして。

 衝撃。

 翼で自らを庇った麗華は、しかし何百メートルも吹き飛ぶ羽目になった。巨神のダメージも軽くはない。女神像の翼は砕け、各所がひび割れていたのである。

 起き上がった少女は、見た。こちらに向けて長柄の刃を構える、戦衣に身を包んだライムグリーンの女神像を。今の攻撃は彼女のミサイル。

 もはや語るべき事は残っていなかった。左腕の復元が間に合わぬ。この距離では相手の方が有利。まだ残存する眷属。上空の蛇。様々な要因を意識の外へと締め出す。些末なことだ。彼女とした約束に比べれば。

 敵手は、最適な戦術を選択した。その豊かな髪より幾つもの円筒を飛び出させたのである。これが人間だったならばちょうど水筒ほどの大きさと形状のそれらは、強力な電子励起爆薬を内蔵した誘導弾ミサイルだということを麗華は知っていた。先ほどの一発ならともかく、すべてを受け止めれば生命はないということも。親機であるデメテル———ドナの管制を受けたこの知能機械どもから逃れる術はない。剣を構える。間近に迫ったものから切り払う構え。

 そして。

—――麗華の眼前に、銀色の槍が突き立った。

 次の瞬間に槍を掴んでいたのは銀の昆虫。

 一万トンの質量が、忽然とそこには出現していた。蠅の王ベルゼブブ。最初の晩、麗華と死闘を繰り広げた怪物がここにいた。

 誘導弾ミサイルは、そこへ降り注いだ。麗華の盾となった銀の巨体がひび割れる。砕け散る。腕が脱落。下腹部が吹き飛んだ。半透明な羽根が四散する。

 最後の誘導弾ミサイルが爆発した時、その姿は無残な残骸に過ぎなかった。

 されど。

 それで終わりではないことを、麗華は知っていた。

 破片が浮かび上がる。流体がる。損傷部位が融合する。自己組織化を再開する。

 たちまちのうちに、銀の昆虫は元の姿を取り戻していた。

 蠅の王ベルゼブブ級。人類製神格としては第四世代に相当するこの神格を眷属が撃破するのはほとんど不可能に近い。全身を丸ごと消滅させない限り、いくらでも再生してくるからだ。

 復活した銀の巨体は、大地から槍を引き抜いた。その切っ先が向くのはデメテル。

 己を庇った人類製神格の背が語る言葉を、麗華は確かに理解した。

 対するデメテルは、周囲を一瞥。こちらを圧倒する敵勢を認めると、その身を翻す。残った眷属も後に続く。

 麗華を救った神格たちも、あえて追いはしなかった。


  ◇


 戦いが終わり、麗華の周囲に集まって来た人類製神格の数は四。彼ら―――彼女らかもしれないが―――のうちの一体。蝙蝠の顔と翼をもつ"ドラクル"は、麗華に手を差し出した。

「来て。私たちはあなたの敵じゃあない」

 疑う理由はなかった。だから差し出された手を、赤い女神像は掴んだ。

 冷たいはずの流体の手から感じられたのは、温もり。

 それは麗華にとって五十四年ぶりの、地球からやってきた暖かさだった。

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