【旅立ち】2

 寒い。

 惑星の南半球に位置するこの地域の季節は現在、秋が終わりかけ、特に深夜には気温が急低下する。ほんの数日前、北上していたころはもっとずっと暖かかったというのに。もっとまともな装備があったというのもあるが。

 薄絹一枚。歩き続けているとはいえ、麗華の肉体は冷え切っている。常人ならばとっくに凍え死んでいるはずだった。

 本来なら火を起こし、休養せねばならない状況。だがそれはできない。樹海は捜索を困難とするが、徒歩での移動距離はたかが知れている。急いで移動しなければ、追手がかかる可能性は高かった。

 飢え。脱水症状。寒さ。

 まるで、この惑星そのものが彼女を殺そうとしているかのようだった。

 これが地球であれば、野生の動植物を捕らえて飢えを満たす事は容易だったろう。麗華の脳内に刻み込まれた情報は多岐にわたる。自然環境についても同様だ。彼女の身体能力と組み合わせれば不可能などない。

 だが、そもそもこの世界の自然界には、捕らえるべき獲物自体が存在していないのだった。

 間接的には、超新星爆発。そう呼ばれる過去の大災害のせいだ。

 超大型の恒星が、その生涯の最後に爆発を起こし、衝撃波とガンマ線をまき散らす。

 この惑星からほんの十数光年先で起きたそれは、この星を滅ぼしつくすはずだった。だが、この惑星の支配者である神々は諦めが悪かった。彼らは、その卓越した科学技術によってこの星の全ての生命を改造したのだ。来るべき災厄にも耐えられるようにと。

 巨神も、その当時に開発された。災厄後、世界を復興するための高能力作業機械として。知的生命体を用いるのはその名残だ。インフラが壊滅するであろう世界に残すのだから、自らを整備し、維持し、稼働し続けなければならない。

 試みは成功した。のみならず、彼らは自らの種族としての能力を大幅に高める事に成功した。身体能力。生命力。千年近い寿命。知能。

 だが、それには代償が必要だった。それも致命的な。

 彼らが惑星の生命を改造する際にいじったのは遺伝子だった。極限まで操作された生命体たちは、子孫を残す能力を退化させていたのだ。

 寿命の短い生命から先に、絶滅して行った。

 長いものほど緩やかに。

 子孫が生まれる数は急降下していった。

 もちろん、神々は黙って見ていたわけではない。改造された生命を復元しようとした。だが、無理だった。遺伝子に加えられた改変は既に限界であり、これ以上の操作はより破滅的な事態を招くだけ、と判明したからだった。

 結果、この惑星に取り残されたのは、もとより寿命が長い樹木。そして、大幅に寿命を伸長させていた神々。樹海と神々だけの世界はこうして誕生する。

 世界は黄昏を迎えていた。

 だが、神々は本当に諦めが悪かった。これ以上の操作が不可能であるならば、よそから持ってくればいい。

 こうして、彼らは探した。彼らの必要とする、若くて荒々しく、そして神々に適合する新たな遺伝子を。

 それが、地球だった。

 そこは宝の山だった。豊かな生態系は、この星を蘇らせるのに十分だったし、何よりそこに生息していた知的生命体―――人類は、彼らの代用の肉体として最適だった。わずかな遺伝子改変だけで、彼ら以上の身体能力と無限の寿命すらも得られる。そこに神々の魂とも言える記憶情報を移しかえれば、永遠に生きることすら可能なのだった。子供が生まれなくなったという問題も、永遠の時間をかければ解決できよう。

 そして、神格。かつて神々のクローンを素材として建造されたこれらの材料としても有用だった。神々の肉体の代用になるならば、神々のクローンの代用にもなる道理だった。

 神々は、世界間の門を開き、そして地球へと侵攻した。

 僅か二年間で、地球人口の七割が失われ、多くの人々と遺伝子資源が略奪されてきた。

 あちらの人類が死力を尽くして門を破壊し尽くした時、神々は既に目的を果たし終えていた。必要な遺伝子資源と十分な個体数の人類を確保していたのである。

 この滅びかけた星へ連れ去られた人々は、各地に放たれた。放し飼いだった。

 最低限、農耕や漁業が可能なレベルまで回復された土地に根付かされた人類は、そこで生き、子を産み、育てる事を定められた。神々のために。

 個体数を維持できる程度には保護され、そして子供を奪われる。神格に改造されるか、あるいは神々の肉体とされるか。

 この世界に住まう人々の間に、諦観が広まっていった。

 だが、それを良しとしない者達がいたのだ。

 彼らはたった六人で、かつて閉じられた世界間の門を再び解き放ち、そしてあちらの世界―――地球から救援を呼び込んだ。これが十二年前の事。

 地球から現れた軍勢は強かった。とてつもなく。

 彼らはかつて、神々にされた仕打ちを忘れてはいなかった。先の戦争で得た、神々の科学技術。それを身に着け、発展させ、子孫を増やし、富を蓄えていた。

 それは神々の再来に備えてのものだったが、こちらの世界に囚われた同胞を救うという目的にも最大限発揮された。

 熾烈な戦いが続き、多くの人々がこの地獄のような世界から救い出された。神々は、南極近くに開いた門を叩き潰そうと躍起になったが、結局のところ失敗続きだ。

 そして、先日の戦い。

 数限りないほどに失敗してきた神々の反抗作戦。その最新のもの。

 ブリュンヒルデとデメテルも参加したそれは人類側の反撃によって完全に失敗し、逆に神々の勢力圏を大幅に後退させることとなった。

 西暦二〇一六年に起きた神々の侵攻―――遺伝子戦争より四八年が経過した、現在は西暦二〇六四年。

 少女が七十歳を迎える年。

 戦いは、また続いている。


  ◇


 樹海を幾日も歩き通した先。そこに広がるのは急流だった。

 腰を落ち着け、麗華は水をすくった。驚くべき透明度。

「……」

 最初ためらいがちに。やがて、口を直接川へ突っ込み、喉を潤す。

 十分に満足できるだけの水分を得て、ふと気づく。

 魚だ。

 魚が遡上している。一匹や二匹ではない。大群だった。

 鮭?それとも別の魚?

 地球侵攻以前に建造された旧型である麗華に、その知識はインストールされていなかった。

 思い出す。地球の遺伝子資源を用いての生態系の回復は、まず海洋から開始されたのだと。

 ならば、次に再生されるべきなのは?

 生命にとって水は必須だ。ならば、河川もそのいくつかは再生されたのだろう。その一つが、少女の眼前に現れたのだ。

 杖を投げ捨て、サバイバルキットを放り出し、少女は川へと飛び込んだ。技など必要ない。幾らでもつかみどり出来た。

 数十分後。

 川から上がった麗華は、川岸で跳ねている魚の一匹を掴むと、そいつの頭を岩に叩きつけた。

 動かなくなった魚。生のままのそれにかぶりつき、血を啜り、そして肉を喰らう。

 今までの分を取り戻そうとするかのように。

 無数の魚を喰らい尽した後、少女は眠った。

 樹木の根元。風の当たらないそこで。


 目覚めた時、夕日の中で、金髪の女神がこちらを見ていた。

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