【第四章 旅立ち】

【旅立ち】1

「……麗華」

 愛おしい人の名。

 この五十年余り、ずっと彼女の亡骸のそばで生きて来た。

 デメテルは墓守だった。かつて見知っていた少女の肉体。彼女の魂の墓標たる神格を、守り続けてきたのだ。

 彼女の肉体を奪った"ブリュンヒルデ"と言葉を交わしながらも、デメテルが見ていたのは常にその奥。かつて友達だった一人の女の子だった。

 あの島で麗華が目覚めた―――いや、生き返った時、胸が熱くなった。このまま手を取り合って、門へ。地球へ逃げ込んでしまいたかった。だができなかった。そのように心を作り変えられていたからだ。

 結果、今度こそ本当に死なせてしまった。あれでは助かるまい。機体が神格の槍を受けたのだから。

 麗華は死の間際までこう思っていたはずだ。デメテルはドナを殺したと。ドナの肉体を奪ったのだと。

 事実は違う。

 ドナはドナだった。ただ、異なる名前を与えられ、魂に枷をかけられていただけだ。

 "ブリュンヒルデ"と"デメテル"は競合機種として建造された。

 それは神格の基本仕様を決定するべく、異なる機種の優劣を定めるためだ。

 神々は、人間を支配するために複数の思考制御の手法を開発した。"ブリュンヒルデ"をはじめとする標準型神格に採用されているのは神格によって脳神経系を改変し、直接支配する方式。情報を書き込み、価値観を変更し、思考の方向性を直接統御して神格の奴隷と化すもの。

 対する神格"デメテル"は脳に情報を書き込みこそすれど、人間の肉体を乗っ取る機能はない。あくまでも肉体を強化し、拡張身体としての機能を提供するにとどまる。思考制御は、別途脳内に埋め込まれたマイクロマシンによって行われた。

 具体的にはドーパミン報酬系の改変。脳へ組み込まれたマイクロマシン群を通じてドーパミンの放出量をコントロールし、脳へ誤学習させる。それは依存性の薬物にも似ている。薬物の場合はドーパミン報酬系を乗っ取り、その物質の摂取が最重要目的だと脳に思い込ませ、すぐに薬物を摂取しなければ離脱症状に圧倒される。それと同様の事をマイクロマシン群は行うのだった。デメテルに施された処置は、命令に従う場合に報酬が与えられ、逆らえば不快感。すなわち負の報酬が与えられるというものだった。原理的にはパブロフの犬と地球で呼ばれる実験と同じである。

 条件反射が確立し、意思とかかわりなく行動が束縛されるのだ。徹底的に脳内を調されたドナは、マイクロマシン群が寿命で死滅した時、既に命令に逆らえぬ体となっていた。神々の利益のためだけに動く傀儡とされてしまったのだ。

 有効な方法だろう。脳の損傷で元人格が蘇るような恐れはないのだから。

 だが手間がかかる。だから、ごく一部の神格を除いて採用されなかった方式。

 輸送機がやられた時、もう何もかもがどうでもよくなった。あのまま死んでしまおう。そう思った。だが、死ねなかった。自己保存を命じる眷属としての本能が、巨神が砕ける刹那にデメテルへ要求した。生きろと。

 咄嗟に巨神から脱出した彼女は、高度何千メートルという高さから落下するハメになった。だが眷属はその程度の高度から落ちたくらいで死ぬ事はまずない。無改造の人間ですら生き延びる事があるのだから。

 とはいえその身はボロボロだった。

 巨神を破壊された段階で、彼女は左腕を失い、全身に打撲と裂傷を負っていた。足も折れている。さらに、大地へと叩きつけられた際のショックで内臓が幾つか破裂。受け身も取れなかったためだった。しばらくものは食べられまい。

 よくぞこの程度で済んだものだ、ともいえるが。

 敵味方は遠くへ飛び去ったようだ。

 今から追いつく事は不可能だ。この体ではロクな戦力にもなれない。

 だから、ドナが立ち上がったのは、先に撃墜された輸送機を探すため。

 彼女に与えられた任務はその護衛だったから。


  ◇


「……生きてる」

 全身が痛い。冷え切っている。頭もぼぉっとする。

 それでも、麗華はまだ生きていた。

 何か狭い棺のようなところに閉じ込められてはいるが、それは歪み、隙間から光が漏れていた。

 手を差しこみ、力を籠める。

 医療ポッドはたちまちのうちにこじ開けられた。素手で装甲車を解体することも可能な神格の腕力にかかれば、この程度何ほどのことでもない。

 続いて首環に手をかけ、すぐに諦める。

 この機械は強靭だった。神格の行動を抑制するためだから当然ではあろうが。

 ポッドから出て、右足がまだない事を忘れて転びかける。

 体を見下ろすと、着せられてるのは医療用の検査衣だった。

 外を見る。最初に見えたのは、夕日。

 足元は荒れた土。周囲を見回せば三十メートルを超す樹木の数々。そこは樹海の真っただ中だった。

 そして、輸送機の残骸。そこかしこには破片が転がっている。

 麗華はわずかに考え込むと、残骸のコクピットを探した。

 目当てのものは、すぐに見つかった。グチャグチャになった、羽毛に覆われた生物の死体が目につく。パイロットだろう。これこそが、神々だった。無感動にそれを眺め、そして視線を外す。しょせんは血と肉で出来た生命体の残骸に過ぎない。こんなものより価値のある品がここにはあるはずだった。

 十数分ほどして、目当てのもの―――サバイバルキットの詰まった一抱えほどもあるケースを見つけ出す。今の麗華にとって最も役に立つもの。

 目当てのものは手に入れた。必要なのはあと一つ。

 麗華は残骸から適当なフレームを取り出すと、少しだけ悩んだ。ややあって、キットから取り出したサバイバルナイフを髪に当て、切り落とす。それを縄としてフレームを結び合わせ、松葉杖が完成した。

 随分と短くなった髪と、白い着衣が生み出すコントラストは美しい。

 杖で上手く歩けることを確認し、バイバルキットを背負うと、準備は完了だった。

 麗華は歩き出す。生きるために。

 目指すは、南。門を目指して。

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