【古城にて】3

「はぁ……生き返った」

 ベッドに倒れ込んだのは麗華である。階下にある風呂から上がってきたところだった。今の超人的な身体能力があれば松葉杖も面倒くさいだけでつらい、というほどではない。

 窓から外を見る。

 見渡す限りの美しい草原や河川は環境回復事業の結果だという。戦前はこの山城を中心として自然の復活が試みられていたのだ。夕日に照らされた世界は、どこまでも美しかった。

 よっこいしょ、と寝返りを打つ。

 立ち上がるのも面倒だが、部屋を探検してみたい気分だった。手の届く範囲の引き出しを開けてみる。小物。ぬいぐるみ。よくわからない電子機器。パズル。探せば出てくる出てくる。記憶を失う前の自分の所持品が色々と。

 そして幾つ目かの引き出しを開けたところで、麗華はギョッとした。

 拳銃。布に包まれた、見たこともない形式の武器が収まっていたのである。詳しくない麗華にはどういうふうに扱うのか分からなかったが、迂闊にいじくりまわして弾が飛び出ても困る。丁重にしまい込んだ。

 クローゼットにも目をやる。

 そばに置いた椅子へ座ると、麗華は扉を開いた。

「うわあ」

 色々な衣類がそこにはあった。最初に着ていたのと同じ戦闘服もあれば、普通の服とあまり変わらないもの。軍服風。

 そして、見覚えのある民族衣装がそこにはあった。スカートと上衣からなるそれは、ロケットペンダントの写真で自分たち三人が着ていたのと同じもの。

「ヘカテー、か……」

 彼女は死んだという。殺されたのだと、デメテルは言っていた。けれど誰に?夢で見た覚えもあるが、分からない。思い出せない。

—――わたしだ。

 ふと浮かんだ考えに首を振る。私が殺した?後輩を?こんなふうに、笑い合いながら一緒に写真を撮るような間柄の相手を?

 写真を取り出す。そこには、幸せそうに笑う少女たちの姿が写っていた。

—――取り戻して……自分自身を。

 。確かに自分はその言葉を聞いた。幻聴なんかじゃない。これは現実に起きた事だ。

 部屋の中を探す。探し回る。手がかりを求めて。

 ひっくり返して回った結果、何も出てこない。覚え書きひとつも。過去を記述したものは一切なかった。まて。この部屋は最近掃除されたばかりではないのか。下手をすると今日。ついさっきにでも。

 何かないか。手掛かりは。

—――そうだ。あのノート。

 それは部屋の隅に置かれていた。他の荷物と共に。これはチェックされずに持ち込まれたらしい。

 開く。読み進めていく。英語。ありすが使っていたのと同じ言語だった。読める。理解できる。予想通り日記だった。持ち主にとって重要な事が書かれている。

 そして麗華は、求めていた記述を見つけた。

 すべてを読み終えた少女は立ち上がり、隣室へと向かった。必要なものを携えて。


  ◇


 夜更け。

 着替えもせずにベッドに横になっていたデメテルは、ノックの音で目を覚ました。どうやらうつらうつらしていたらしい。無理もない。あれほどの大冒険をやってのけたばかりなのだから。

 起き上がった彼女は、ざっと身の回りを整えると扉を開けた。

 そこに立っていたのは麗華だった。俯いており、顔は見えない。

「どうした、ヒルデ」

「デメテルさん……ちょっとお話したくて」

 答えた麗華の声は、幾分硬かった。

「ああ、構わない。さ、入って」

 デメテルはベッドに麗華を座らせると、自らもその横に腰かける。

「前はよくこうやって二人で夜遅くまで語り明かしていたもんだ」

 天井を見上げながら懐かしそうに語る金髪の女神。

「そうなんですか……」

「眠れないのか?」

「はい……

ちょっと、聞きたいことがあって」

「聞きたい事?」

「はい。

デメテルさんは、初めて殺した相手の事、覚えていますか……?」

 麗華の問いに、デメテルは難しそうな顔をした。

「……そうだな。もう何十年も前、戦の時に敵を殺した」

「……そう、なんだ」

「なんだ、急に」

「……その前に、一人殺しましたよね」

「うん?」

 そして、黒髪の少女は、金髪の女神へ、核心的な問いを投げかけた。


「女の子を殺して、その肉体を奪ったんですよね。

"デメテルさん"。ドナの体を乗っ取ったんでしょう、あなたは?」


「!?」

「これ。あの街で見つけたんです」

「……これは」

 それは、ノートだった。デメテルも気付かなかった、麗華の発見した品物。

「最初はよく意味が分からなかったんです。"向かいの家の子が神々に連れていかれた"とか、"神々の眷属にされる"とか。こっちの世界での『天に召される』的表現かな、って最初は思ったんですけど、よく考えたらこの世界には"神々"が実在しますもんね。

 けどこのページ。十二年前のこの日の所を読んで、疑問は氷解しました」

 そこには、こうあった。


"昼頃、皆がラジオを聞きに集まっていた。流れていたのはいつもの海賊放送じゃなかった。

門が開いた。あちらの世界からが、私たちを助けに来た。彼らからのメッセージが流れていた!!信じられない、この世界に救いが来たんだ、私たちは見捨てられていなかったんだ!!

神々によってこちらの世界へ連れ去られてきて、もう35年あまり。とっくの昔に諦めていたのに!!"


「"敵"は、敵じゃなかった。人間だった。私たちが戦っていたのは、地球の人類が作り出した知性強化動物。それを肉体とした人類製神格でした。彼らに人間が連れ去れた?違います。救出されただけです。馬鹿みたいですよね、私。ありすがあの猫―――"チェシャ猫"級に食い殺されたって勘違いして。実際は、取り残されていたありすを保護してくれただけなのに。あの"斉天大聖"級のひとたちにも悪い事をしました。ひとでいいのかよくわかりませんけど。

 この世界の神々は、そう名乗っているだけの異世界人です。滅びかけた惑星の生態系そのものと、何より種として老いた自らを救うため、彼らは百年かけて準備し、そして四十八年前、地球へ侵攻した。まだ若くて荒々しい遺伝子資源の数々と、そして代用の肉体や兵器の素材として有用な知的生命体―――まとまった数の人間を手に入れるために。

 私やドナは、侵攻の前段階、地球を偵察していた神々によって連れ去られ、破壊兵器に改造されたんです。

 全部、思い出しました」

「……」

「ドナと私は友達でした。一緒に星を見に行って、そして出くわした神々に連れ去られた。オーストラリアにホームステイしているとき。西暦二〇一〇年だったかな。ホームステイ先のお家に住んでいたのが、今あなたの肉体になってる女の子です。ご存知だと思いますけど。

 何しろあなたはドナの記憶を持ってるんだから」

「ヒルデ……」

「違います。私は蛭田麗華です。あなたの大好きな"ブリュンヒルデ"じゃあない。私の肉体に寄生して乗っ取った、あのクソッたれな神格じゃないんです。

 あいつは私の脳みそを使って思考してたんですよ?最悪ですよね。でも、おかげで、あの島で脳を負傷した私は自我と肉体を取り戻した。あいつの支配から逃れたんです。

 でも、あなたに騙されてのこのこと、こんなところまで連れてこられてきちゃった。もうおしまいですね。巨神がロックされちゃいました。あれなしじゃ、逃げられない。なんでこんなに間が悪いんでしょうね、私」

「ヒルデ……!」

「私は麗華だ!その名で呼ぶな、このひとごろし!!」

「……!」

「私がこんな話をしたのは、あなたに嫌がらせをするためです。私はもうおしまいだけれど、あいつも道連れにします。

 さようなら、デメテルさん。大好きでした。死んじゃえ」

 少女が取り出し、そして自らの口にねじ込んだのは―――拳銃。

 どこに持っていたのか。


―――銃声。


「……すまない。本当にすまない、。私は、君を死なせてあげる事すらできない」

 デメテルが手にしているのは、麗華の拳銃。ライムグリーンの流体が絡みついている。

 床に倒れているのは、左頬が大きく裂けた少女。

 拳銃が火を噴く刹那、顕現した巨神の一部が奪い取ったのだった。

「とりあえず、拘束させてもらう」

 口を。手を。足を。

 麗華の体を、透き通るような流体が覆い尽くし、その自由を奪っていった。

 最後に、恨みがましく見上げてくる目を。

「私も、君が大好きだった。それだけは信じて欲しい」

 すべてを、宝石の流体は覆い隠していった。

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