【死の街】3

 異様な集落だった。

 まるでつい数日前まで人が住んでいたかのような様子。一歩建物の中に踏み込めば、飲みかけのカップ。開いたままの窓。読みかけの書物。そういったものが散見される。一方で道へ目をやれば、相当に慌ただしかったのだろうか。様々なものが落ちていた。ぬいぐるみ。鞄。水筒。あそこに落ちているのは財布だろうか?

 しかし、誰もいない。根こそぎ連れ去られていったのだ。

 それらの様子を確認し、麗華は相棒へと確認をとった。

「デメテルさん。これは……」

「ここに敵の手が伸びたのはこの一週間余りのことだ。我々が大敗した時から、こうなることは分かっていた。前線が大幅に後退したはずだからな」

「……連れていかれた人は、どうなるんですか?」

「詳しいことは私も知らない。あちらの世界でどんな生活を送ることになるのかは」

「そう……ですか」

 もう日が傾きかかっている。周囲を見回せば、樹海がすぐそばまで迫り、そして険しい山々が目に入った。

 ここは谷間に作られた街だった。それも、ただの街ではない。そこかしこから湯気を噴出した温泉の街だった。迫っている山は火山なのだろう。

 建物は木造が多い。窓ガラスがはまり、電灯があるがしかし。テレビや電子レンジと言った電子機器は見当たらない。文明レベルは21世紀初頭の地球よりやや下、と言ったところなのだろうか?

「ブービートラップが残されているかもしれない。ヒルデ、あまりそこらじゅうを触らないように気を付けて」

「分かりました」

「さ。宝探しと行こうじゃないか」

 火事場泥棒も物は言いようである。

 二人して目についた建物へ入る。それを何度か繰り返した先で。

「うわあ……」

 そこは宝の山だった。香辛料。塩。燻製。干物。漬物。ジャム。瓶詰。缶詰。様々な食品が奥には残されていた。商店だったのだろう。

 別の家で発見したずた袋を広げると、を開始する二名。

「これだけあれば、残りの日数ももちそうですね」

「ああ。予想以上の収穫だ」

「あっちの部屋も見てきますね」

「わかった。用心してくれ」

 そして麗華が踏み込んだのは、寝室。商店の経営者の私室なのだろう。

 ざっと室内を見回した彼女は、幾つかの価値ある物品を目の当たりにした。

「これは……ラジオ?」

 随分と古めかしい機械がそこにはあった。いや、古めかしいのはデザインであって、そのものは作られてからそれほどたっているわけではなさそうだったが。どうやらラジオ放送はこの世界にはあるらしい。

 試しにスイッチをオンにしようとして思いとどまる。この世界の情報は欲しいところだったが本当にラジオかどうか疑わしいし、余計な音を出すのも考え物だ。どうやら敵はもう、街にいないらしいとはいえ。代わりに視線を巡らせて発見したのは、書きかけの日記だろうか?開いたままの小さなノートが置いてある。

 パラパラと中身を斜め読みし———

「ヒルデ。来てくれ」

「はい」

 ノートを袋に仕舞うと、麗華は声のする方へ戻った。何か見つけたのだろうか。

「どうしたんですか?」

「何かいる。気を付けてくれ」

「―――!」

 両手に短剣を呼ぶデメテル。それを見て麗華も、流体の剣を召喚。体に引き寄せて構えた。入口の扉に近づく。ドアのレバーへ手をかける。一斉に飛び出す。

 二人が目にしたのは。

「……子供?」

 取り残されたのだろうか?5歳かそこらの、小さな子供が、そこにはいた。


  ◇


「こいつは困ったな」

 デメテルは渋面を作った。敵は全ての住民を連れていったわけではなかったのだ。とは言え小さな子供一人だけが取り残されているというのは非常に困る。

「連れていくわけにはいかないんですか?」

「今まで同様の行程がまだ十日続く。ついてこれると思うかい?」

「あー……無理ですよね……」

「しかもそれだけじゃない。急いでここを離れた方がいい。子供一人と言えども、取りこぼしがあると敵が知ったら探しに来るぞ」

「そうなんですか?」

「ああ。連中は勤勉だからね」

「じゃあますます置いていけないじゃないですか」

 麗華に対して失言だった、という顔をするデメテル。

「……殺されることはない。それだけは断言できる。敵の目的は生きた人間だから」

「でも!」

 その時だった。麗華の口を押えるように、デメテルの人差し指が伸びたのは。

「そこまでだ。落ち着こう。この子がびっくりしてしまう」

「……はい」

 ふたりは、子供に対して視線を向けた。

 よくわかっていない顔をする子供。どうやら女の子らしいが。

「何にせよ、なにが起きたかは聞きたいと思います」

「確かにそれは当然の意見だ。

—――私はデメテル。君の名前を教えてくれるかな」

 にこやかに話しかけたデメテルに対して、子供は答えなかった。どうも緊張しているらしい。

—――あ、英語だ。

 ふと気付いた麗華。今まで自分とデメテルが話していたのは未知の言語である。あまりに当たり前のように使っていたので自覚もしていなかったが。それに対し、今デメテルが子供に話しかけたのは明らかに英語だった。この世界には英語があるのだ。

「デメテルさん駄目ですよ。そういう時は視線の高さを同じにしないと」

「そうかな」

「ええ。

ねえ。私は麗華っていうの。あなたのこと、教えて?」

 しゃがみ込み、相手に目線を合わせた麗華。子供は、それに応えた。

「ありす。ろくさいなの」

 返答もまた、英語だった。過不足なく理解した麗華は、自分の英語力に衰えがないのを知って安堵。これでも英会話は得意だった。本来ならオーストラリアへのホームステイを控えて鍛えていたのである。

「ありがとう。

ねえ。お父さんやお母さんはどこ?」

 問いかけに、子供は首を振った。分からないらしい。

「じゃあ街の人は?」

「いなくなったの。おおきなかいじゅうがたくさんでて、こわくてかくれたの。こおんなに、おおきいのよ。ずっとそうしたら、ねむくなってきて、おきたときにはだれもいなくなってたの」

怪獣モンスターかあ」

 敵の姿を思い浮かべる麗華。確かにあれは怪獣としか呼びようがない。あんなものが突如街の上に現れたら、麗華だってどこかに隠れるだろう。

「なるほどな。本来連中が子供の隠れているのを見逃す、なんてことはありえないんだが。この街はそこかしこに熱源がある。それで感覚器センサーが欺瞞されたんだろう」

「熱源って、温泉ですか」

「うん。

ねえ君。怪獣、が来たのはどれくらい前かな」

「……」

 即座に麗華の陰に隠れるありす。どうやらデメテルは嫌われたらしい。

「ありすちゃん。教えて?」

「……わかんない。ずっとまえ」

 麗華に促されても結局、分からずじまいである。まだ時間の概念がよく理解できていないのだろうか。

 とはいえこんな子供が取り残されて、まだ健康に生き延びているのである。それほど前のはずもない。

「デメテルさん。どうしますか」

「私個人としては、この子はここに置いてすぐに出発すべきだ。と思うのだが———」

 麗華の視線を受けて、デメテルは考え込んだ。

「……一晩。一晩だけだ」

 金髪の女神は、折れた。


  ◇


 水音が響いた。

 夕日に照らされる浴室でかけ湯をしているのは麗華とありすだった。家々を巡った結果、湯が張られたままの湯船を発見したのである。もちろん温泉からの供給があってのことだ。温度は熱すぎるほどだったが、用意されていた水をたっぷりと入れてやることで対応できた。

「生き返る……」

 湯船につかった麗華は、久々に文明を満喫していた。この世界で目が覚めて初めての風呂である。気持ちよさは格別と言ってよかった。

 一方デメテルは洗濯をしているはずだった。一緒に入ろうと言ったのだが、それでは無防備になるからと断られたのである。この世界の洗濯機はえらい原始的なものだった。湯を入れたドラムに洗濯物を放り込み、ハンドルで回転させるのである。そんなものでもないよりはよっぽどマシだったが。いい加減着た切りスズメは勘弁だった。衣類も幾つか調達したのでその点でも心配はない。

「ありす。湯加減は大丈夫?」

「へいき」

「よかった」

 落ち着いてくると、麗華の脳裏に色々な考えが浮かんでは消えた。やっぱり変だ。この世界は。いやまあ当初から分かっていたことだが。

 デメテルは聞いたことはきちんと答えてくれるが、時々何やら考え込む。どう答えるべきなのかと言ったことを思案しているのだろうが、それは麗華に与える情報を制限しようとしているようにも思えた。ありすの扱いについてもそうだ。怪しい。

 けれど、彼女がとてもいい人なのは確かなのだ。困ったことにそれは確信できる。真剣に麗華を案じてくれているし、実際何度も命を救われてすらいる。悪意があるなら、自分に危害を加えるチャンスはいくらでもあった。デメテルの能力なら、麗華が気付かないうちに命を奪うことすら簡単だろう。例のロケットペンダントの写真の存在からしても、彼女と記憶を失う以前の自分が親しい関係にあったのは間違いなかった。

 だから、迷う。

 なんにせよ、選択肢はない。デメテルの助けなしでは麗華はほぼ間違いなく、早晩命を落とす。だからこの旅に最後まで付き合う。付き合って、失ったという記憶を取り戻す。

 それだけだった。

 やがて十分に温まった頃。

 麗華たちは、湯船を出た。


  ◇


「ふう。やっと寝てくれたか」

 ベッドで眠りに就いたありすの様子に、デメテルは安堵していた。あの子どものおかげでえらい目に遭ったからというのは間違いなくある。

「子供は苦手ですか?」

「苦手———というほどじゃあない。けれど、あれくらいの子供の世話をしていると、妹のことを思い出してね」

「妹?眷属の、ですか」

「あ———そうだな。昔の話。まだ、わたしが人間だったころの話だ。生きていたら58歳になるのかな」

 しまった、という顔をしつつも麗華へ応えるデメテル。

 その返答にあらためて、麗華は己が遠くへ来てしまった事を実感した。

 湧き上がる不安。

 それを押し殺そうとして、幾つもの質問を女神に投げかける。

「デメテルさん。人間だった時の話、聞いちゃ駄目ですか?」

「駄目じゃない。何から答えたらいいものかな」

「故郷とか、名前とか」

「……ドナ・ハーグ。オーストラリア生まれ……だった」

「ドナ、さん……?」

「やめてくれ。今の私は"デメテル"だ。そう呼んでほしい。……もう人じゃなくなった私に、人間の名で呼んでもらう資格なんてない」

 それこそが、彼女が今の、"ブリュンヒルデ"としての記憶を持たない麗華を"ヒルデ"と呼び続ける理由なのだろうか。

「デメテルさん……」

 それ以上質問しづらくなって、黒髪の乙女は黙り込んだ。

「さ。明日は早い。今日はもう寝よう」

 ふたりも別室の寝台で横になり、そして眠りに就いた。

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