【死の街】2

【五十四年前】


「ねえ……私たち、どうなっちゃうのかな……」

「分からない……けれど、何があっても、私が君を守るから……」

 力ない声が、白い空間に響いた。

 狭いスペース。柔らかい素材で出来た四方は、中にいる者が怪我をしないように配慮した作りである。

 だが、それは決して、中の者を気遣ってのことではなかった。

 なぜならば、そこは牢獄―――いや、実験動物を閉じ込めておく、檻だったから。

「……今日で何日だっけ?」

「……十二日目」

 閉じ込められているのは二人の少女。

 一人は黒髪。凛とした美貌が美しい、東洋人の少女。

 一人は金髪。信じがたいほどの整った顔立ちと、そして蠱惑的な唇が印象的。

 身に着けた検査衣は、部屋の色と同じく白だった。

「それにしても、あいつらなんなんだろうね」

 黒髪の少女の言葉。

 ふたりを捕らえ、閉じ込めた者たちの異形を思い出し、彼女は身震いした。

 幸いと言っていいのかどうか、この空間へと閉じ込められて以降、一度も姿を見てはいないが。

 食事は全て、小さなスリットから送り込まれてくる。部屋の隅にはご丁寧にも外へと通じるダストボックスがあったが、通り抜けできるようなサイズではなかった。

「宇宙人かな。それとも地底人か。どちらにせよ、まるで昔の三流スペースオペラみたいだ。これで私たちを助けてくれるマッチョなヒーローがいたら完璧なんだが」

 返したのは、金髪の少女。

 ふたりはクスリと笑い合う。

「……そうだね。助け、来るかな」

「来るさ。来なければ私が君を助ける。なんとしても。約束だ」

 微笑ましい、されど切実な約束。

 だが、それが果たされることは結局なかったのだ。


 その日の晩。

 十二日間開かなかった扉が開いた時、部屋に押し入ってきたのは異形の生き物―――衣をまとい、手足を持ち、二足歩行する、されど人間ではない―――鳥類にも似た頭部を持つ者たちだった。

 彼らに連れられた金髪の少女は、追いすがろうとして押し戻される黒髪の少女へと告げた。

「……だいじょうぶ。私は、大丈夫だから……絶対に君を守る……」

 扉が閉まり、彼女の姿が覆い隠された。

 黒髪の少女は、その晩、泣いた。


 あれから幾日が過ぎたことだろう。

 次に扉が開いた時、そこに立っていたのは異形たちではなかった。

 黒髪の少女は、そこに立っている者の姿を見て顔を綻ばせた。

「よかった、無事だったんだ」

 彼女が語り掛けた者は、金髪の少女。数日前、いや、ひょっとしたら何十日も前にこの部屋から連れ去られた人物だった。

 そのはずだった。

「……ん……ねえ、どうしたの?」

「……」

 金髪の少女は無言。

 違和感。

 服装が違う。この部屋を出ていくまで着せられていた検査衣ではない。体にフィットしたグレーの衣装。その上から纏っているのはプロテクターだろうか。

 だが、問題なのはそこではない。

 彼女の、能面のような無表情はなんだ。こちらを見つめる濁った瞳はなんだ。

 不審に思った黒髪の少女は後ずさる。

 同じだけ、金髪の少女は踏み込んできた。

「―――来て」

 ぞっとするほど冷たい声。

 背が壁に当たる。これ以上逃げられない。

 恐怖に震え、いやいやと首を振る黒髪の少女。

 そんな彼女へ、金髪の少女は手を伸ばした。

「ねえ、痛いよ、やめてよ……!」

 凄まじい力。

 まるで大の男のような―――いや、それ以上の腕力は、黒髪の少女をたやすく抑え込み、そして引きずっていく。

 部屋の外へと。あれほど渇望した外界へと。

 

 手術台に寝かされ、全身を拘束されているのは黒髪の少女だった。

 それを見下ろすのは、変わってしまった金髪の少女。

 周囲を慌ただしく行き来するのはあの異形どもであり、今いる空間は清潔な白い―――あの牢獄にも似た部屋。

 これから一体何が起こるかは分からない。

 だが、金髪の少女の身に起きたのと同じことが己の身に降りかかるのだ、と黒髪の少女は悟っていた。

 やがて、準備が整ったか。

 少女の眼前に取り出されたのは、赤い、本当に血のような赤さの、蝶。

 それはピンセットでつままれ、黒髪の少女の左耳から近づけられた。

 固定された頭をそれでも動かそうとして、彼女は恐怖する。


―――こいつだ。彼女が変わってしまったのもきっとこれのせいだ!


 やがて、蝶が視界から消える。耳の真横にたどり着いたからだった。

―――駄目だ。私の耳を掴んだ。ああ、入ってくる。中に。私の中に。頭の中、鼓膜を破って、こいつが―――!!

 己の脳を食い破られる音。それを少女は確かに、聞いた。



【現在】



「―――っ!!」

 悲鳴を噛み殺して、麗華は目覚めた。

 一糸まとわぬその体は、汗びっしょり。どこか物悲しい……そして、とびっきりの悪夢を見ていた気がする。

 なんだったのだろうか、あれは?

 隣に眠っているデメテルへと視線をやる。

 目が合った。

「……」

「大丈夫か?うなされていたようだが」

 そうだ。夢に出て来たあの少女。金髪の彼女は、デメテルではなかったか?

「……白い、部屋に。私とデメテルさんがいて。そんな、夢を」

 麗華は、辛うじてそれだけを絞り出した。

「そうか……だが、それは夢だ。ただの悪夢だよ」

 女神は、少女の頭を抱いた。優しく。そっと、大切なものを壊さないよう慎重に。

「……そう、ですよね。ごめんなさい」

「ヒルデが謝る事じゃない。気にしなくていいさ」

 金髪の女神は、にこりと笑った。


  ◇


 陽光を遮って飛翔するのは多数の影。

 常人の視力では黒い粒のようにしか見えないであろうそれも、神の視力を持つふたりの女性には細部まで認識できていた。

 頭部と前脚を備えた円盤。それは、飛翔する亀だった。

 飛行機雲を作りながら彼方へと去っていく亀の編隊を見送り、一人と一柱は川岸の岩陰から顔を出した。

「行きましたね……」

「ああ」

 飛び去って行ったのも敵の神格である。何でも航空戦タイプらしい。先日交戦した怪獣は水陸両用型の強襲揚陸戦仕様だとか。ホームグラウンドにいる敵の実力をさんざん思い知った麗華は、あの亀たちと一戦交えたい、などとは欠片ほども思わなかった。

「あれも神格……ということは、私たちとおんなじなんですか?」

「基本的な原理は同じだな。ただ、連中は人間の姿をしていない。知性化された生物。遺伝子操作と外科手術で生み出された怪物どもだよ」

「怪物……」

「優れた知能と高い身体能力を持っている。生身でも油断ならない相手だ。奴らとは言葉を交わしてはいけない。人間を騙すだけの狡猾さがあるからだ。今の君では簡単に言いくるめられかねない」

「はい」

「さ。続きをやってしまおう」

 ふたりは中断していた作業を再開した。地面に穴を掘るのだった。ふたつの穴を地中でつなげ、片方に木の枝を詰める。最後に流体を使って点火すれば———

「……ほんとに煙、出ないですね……」

 いわゆるダコタファイヤーホール。地球でそう呼ばれる、煙が少ない焚火の技法である。加熱された穴の内部が上昇気流を作り出すことで空気が循環し、完全燃焼するためだった。

 そいつに水の入った空き缶をふたつ乗せる。たちまちのうちにぐつぐつ。

 中身の沸騰した空き缶を、デメテルは即席の木のハサミで掴み取った。麗華も自分の分を取ると、息を吹きかけた。ふーふーとしばしやってから口を付ける。

「……おいしい」

「それはよかった」

 ただの白湯だったが、渇ききっていたふたりにはありがたい水分補給である。すぐ先にある川からいくらでも飲めそうだった。

「敵がいなかったら、川で魚を獲れたのに」

「うん?ああ、あの川には魚はいないよ。残念ながらね」

「そうなんですか?」

「この世界の川という川には魚はいない。森にも。平原にも。食べられる鳥や哺乳類、爬虫類や魚類。昆虫類。あらゆる生き物がいないんだ。陸に残っている高等生物は樹木くらいのもんだ。後はそれと養分を交換している菌類。古細菌やバクテリア。そう言った程度か」

「え……そうなんですか?言われてみれば、確かに鳥も見かけてないですけど……。あ、でも海。海中には魚がいましたよ」

「それは、海洋の復活はほぼ終わっているからだな。この惑星は一度滅びかけた。神々はそれを再生させようとしているが、事業は敵の侵略によって止まったままだ。一部地域を除けば、再生が終わっているのは海中くらいのものだよ」

「そうなんだ……どうして?」

「昔起きた自然災害のためだ。壊滅的な被害だったそうだよ。私も直接目の当たりにしたわけではないが」

「どんな、自然災害だったんですか……?」

「星が近くで爆発した。超新星爆発だよ」

「―――!」

 麗華もそれがどんなものかは知っていた。寿命が尽きた星の最期。莫大なエネルギーを放出しながら爆発する天文現象である。そんなものが近くで起きれば、惑星の生態系が丸ごと消滅していてもおかしくないほどのものだった。もちろん距離にもよるのだが。

「よく、樹木だけ残りましたね」

「神々も色々と手を尽くしたんだな。おかげで完全に死滅することだけは免れた。瀕死なんだよ、この惑星は。敵がいなくてもね」

 告げたデメテルは、自分の白湯の残りを一気に飲み込んだ。

「まあそんなわけで、サバイバルにははなはだ不適なんだ。この世界は。私たちは内陸に向けて進んでいるから、海で魚を獲って食べる。というわけにもいかない」

「じゃあどうしますか?あと2週間でしたっけ。このままだと食料、もちませんよ」

「まあ、私たちの体は巨神からのエネルギー供給があるから実はそんなにたくさん食べる必要はない。重い怪我を治癒させる、みたいなときは別だけどね。補充の当てもないわけではないし」

「あるんですか?」

「この先、数日進んだところに小さな集落がある。人間のね。敵の勢力圏下だからもう無人になっているが、何か残っているかもしれない。それに」

「それに?」

「これは最後の手段だが」

 デメテルが拾い上げたのは木の枝。それにライムグリーンの霧が絡みつき、覆い隠し、たちまちのうちに———

「……クッキー?」

 のような細長い何か。デメテルから手渡されたそれを、麗華はしげしげと観察した。

「分子を組み替えて食べられる構造に作り直した。これがわたしに与えられた権能。豊穣のアスペクトだ」

「へえ……う。あの、デメテルさん」

「何かな」

「言っちゃ悪いんですけど、味が……」

「まあ私の本業は機械とか建築だ。味気ないのは勘弁してほしい。難しいんだよ」

「……確かにこれは最後の手段ですね……」

 麗華は諦めて残りを全部食べると、白湯で呑み込んだ。文句を言っていられる状況ではないが、しかしこれを食べ続けるのも考え物だろう。

「ところでそのアスペクトって私にも使えるんですか?」

「無理だな。相は個々の神格に付与された固有の権能のことだ。私の場合は様々な道具や武器を作ることを期待されてこの能力を与えられた。君の権能はまた違う。渦を作ったのは覚えているだろう?」

「はい」

「あれは物質を安定させている電気的なエネルギーを引き下げて、分子をバラバラに破壊してしまうものだ。渦が起きるのはその余波だな。それが君に与えられた権能。光速すら超えて離れた場所に作用させることもできる。強力な能力だ。君は戦略級の神格として生み出されたんだよ」

「はぁ……」

「まあ実感は湧かないだろうな。

他にも気象を操ったり、陽光を束ねて大地を焼き尽くす者。音によって都市すらも滅ぼす者。何天文単位も離れた相手と交信するために大出力レーザーを放つ能力を持つもの。離れた物体を自在に持ち上げる能力を備えたもの。色々な神格がいる。我々の側にも、敵の側にも」

「……ほんとに、とんでもないですね……」

「まったくだ。とんでもない戦争なんだよ、これは」

 一服ついたふたりは、シートを取り出すと野営の準備を始めた。

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