【死の街】4

 まだ暗い森の中だった。

 樹海を進むのは装いも新たにしたふたりの女性。麗華とデメテルである。朝が来る前に、ふたりは旅立ったのだった。

 二人ともその服装は変わっている。シャツにズボン。上着。帽子。ブーツ。女ものを選びはしたが、昨日まで着ていた戦闘服よりは明らかに稚拙な作りだった。これでも十分、用は足せるからこそではある。

「……置いてきちゃった」

「やむを得ない。我々にはどうにもできないからね。忘れた方がいい」

「はい……」

 ありすと名乗ったあの子どもはまだ眠ったままだろう。彼女が起き出さぬように、ふたりは出て来たのだった。必要な食糧や衣類などは置いてきたから、しばらくは生き延びられるだろうが。

 陰鬱な気分の麗華に、デメテルもかける言葉がないのかそれ以上口を開きはしなかった。

 麗華が再び口を開いたのは、しばらく経ってからのこと。

「……敵の目的は生きた人間だ、って言ってましたよね」

「うん」

「何のためなんですか?あんな凄まじいテクノロジーを持っていて、まさか働かせたりするためじゃあないですよね」

「……説明が難しい。ただ、それが彼らにとって必要な事なんだ。だから敵は、莫大なコストをかけてこの世界に侵攻している」

「じゃあ、聞き方を変えます。この世界と、彼らの世界。この二つの世界の歴史を教えてください。どう生まれてどう変遷してきたのか。その中における私たちの立ち位置はなんなのか。そう言ったことを」

「……それは」

「時間はかかっても構いません。どうせ後十日あります」

「……駄目だ」

「どうして」

「今の君に教えることは、私にはできない。禁則に引っかかる。頼む。その質問は撤回してくれ」

「デメテルさん」

「私は君に嘘をつくことはできる。だがそれはしたくない。だからお願いだ、。聞かないで」

 麗華は気付いた。デメテルの額に、脂汗が浮かんでいることを。心拍数増大。体温が上昇。麗華の、人間を超えた感覚器官にはそれが読み取れた。明らかに尋常な様子ではない。

「……じゃあ、デメテルさん。ひとつだけ。

あなたを信じて、いいんですか?」

「……それにはイエスともノーとも言える。非常に難しい問題だ。ほんとうに、今の私がそれに答えるのは」

 麗華は問いかけるのを諦めた。デメテルの顔面は蒼白だ。これ以上質問を続ければ、ショック死してしまうのではないかと思えるほどに。

「……ひとつだけ断言できるのは、私は君のことを守りたい。ということだ。この旅が終わっても。君が記憶を取り戻したあとも、ずっと。

これだけは自信を持って言える」

「―――信じます」

 会話はそこで途切れた。されど決着がついたわけではない。麗華の内に渦巻く疑念はいや増すばかり。禁則に触れるとはいったい?答えられない何か重大な秘密があるのか。

 分からない。麗華には、分からなかった。ただ、デメテルが自分を守りたいというその言葉は信じたかった。

 だから、少女は無言で女神に続いた。


  ◇


「―――ヒルデ」

「はい」

 デメテルが口を開いたのは、空が明るみ始めた頃だった。歩みを続けるふたりは、ごく自然に腕を振り上げ———


金属音。


 済んだ音と共に弾き返されたのは、飛来した戦輪チャクラムふちが刃となった円環による攻撃を、二人の女性は防御したのである。それぞれが召喚した己の得物によって。

「走れ!!」

 四方八方より次々と飛来する攻撃を回避し、あるいは弾きながらふたりは走る。

 びょう戦輪チャクラム。短刀。槍。凄まじい威力を秘めた連続攻撃を、麗華は難なく捌いていた。体が覚えているままに動けばそうなるのだ。驚異的な能力だったが自分に感心している暇はない。

 時速100キロメートル近い速度で走る少女たちに、しかし敵はついてきていた。追手の気配は三つ。ちらりと振り返った麗華の視界に入ったのは、二メートル近い大男。迷彩服のようにも見える衣装に身を包んだ猿人たちだった。

「最初の攻撃、殺気がなかった。この服装のおかげのようだ」

「人間かどうか判断しかねたってことですか」

 走りながらも麗華はうめいた。確かに連中は人間を殺さないようにしてはいるのだろうが、一歩間違えれば即死である。

「連中も神格だ。先手を打とう」

「了解です」

 木々を幾度も蹴り飛ばして跳躍した麗華は、樹海の梢より先にまで飛び上がった。


  ◇


 周囲に広がるのは地平線まで続く樹海。後方にある小山と、そのふもとに切り開かれた街を一瞥し、麗華は自らの分身を召喚した。

 霧が渦巻く。赤い自己増殖型分子機械で構成されたそれは、神格の観測によって実態を取り戻すと同時に自己組織化を開始。麗華を中心として膨れ上がり、質量を増した先で完成したのは、赤の女神像。翼を備え、甲冑と弓、剣で武装した、五十メートルの巨体だった。

 空中で身を捻りながら剣を抜く"ブリュンヒルデ"の真横に、ライムグリーンの女神像も顕現。仮面で顔を隠し、戦衣を纏った巨体も放物線を描きながら背後へ長柄武器をフルスイングした。

 音速の五倍で振るわれた三百トンの質量。強烈なそれがまき散らす衝撃波は、そのままならば後方の木々を根こそぎ吹き飛ばすほどの破壊力を発揮していただろう。

 そのままだったならば。

 そうは、ならなかった。虚空より伸びた黄金のこんが、攻撃を阻止したから。続くように出現したのは両の腕。胸。頭部。腹部と続き、足までが構築されていく。黄金の毛並みとともに。

 巨体が召喚される一瞬、。赤の女神像と、敵、猿人の視線が交差したのである。驚くほどに人間に似た顔は精悍さを備えるが、しかし服に覆われていない部分を覆っているように見えるのは、茶色い毛。それもたちどころに金の靄に覆い隠され、そして巨神が完成する。

 艶やかな毛並みを持つ猿人の彫像。額に環がはまり、棍を構え、派手な装束を身にまとい、そして京劇を思わせる仮面を側頭部につけた、一万トンの巨像だった。

 "デメテル"はそ奴と鍔迫り合いを続けながらも足から着地。木々をながらもなんとか転倒を免れる。麗華はそちらを助けようとして。

 続く二柱の猿神が、こちらも飛び出しながら実体化してきた。

 麗華は地面に着地した瞬間。敵の一体に肩口から、その質量を叩きつけたのである。吹っ飛んだ敵の反動で安定した赤い女神像は、もう一体へと剣を振るう。大質量の一撃は敵の構えた棍に衝突。そのまま押し切ろうとして。

 棍が、溶けた。

「―――!?」

 両手で敵が構える武装の先端。上を向いた側が伸長し、そしてのである。蛇のように。

 咄嗟に赤い女神の頭部に、そやつは食らいつきそして兜をかみ砕く。恐るべき威力。

 露わとなった女神像の素顔は、麗華のそれを模していた。

 今度こそ頭をかみ砕こうという蛇の追撃は、しかし失敗に終わった。主人である猿神が蹴り飛ばされたからである。

 麗華の足癖の悪さだった。

 間合いの開いた二柱を尻目に、麗華は剣を振るう。最初の一柱目。デメテルと争う敵へと牽制の一撃を叩きつけたのだ。

 飛び下がって回避する敵神。

 女神たちと猿神ども。両者の間合いは一旦あいた。

 ようやく相手を観察する余裕の出た麗華は、古代中国の伝奇小説を連想した。美しくも力強いその主人公の名を———

「―――斉天大聖……?」

 麗華の口をついて出たのはまさしく敵の名でもあったが、少女がそれを知るよしもない。

 樹海の木々より上半身を伸ばす神像たちの睨み合いは一瞬。体勢を整えた両者は、どちらからともなく踏み込んだ。


  ◇


―――なんという。

 デメテルは、麗華の立ち回りに驚嘆していた。

 惚れ惚れするような身のこなし。記憶を失う前と同様に戦う"ブリュンヒルデ"がそこにいたのだ。"斉天大聖"は近接戦闘において最強とすら言われている強力無比な神格だが、それと互角に渡り合うどころか、こちらを援護する余裕さえあるとは。

 とはいえ状況はあまりよくない。数ではこちらが劣勢。残念なことに性能でも負けている。特に防御性能は向こうが圧倒的に上だった。このままでは押し切られる。

 だから真横に飛び出したデメテルが手にしたのは、円盤状の機械。波打つ下腹部より取り出したそれを、サイドスローで投じると同時にデータリンクを介し、"ブリュンヒルデ"の感覚器をごくわずかな時間シャットダウンする。

 直後。

 炸裂した円盤が発したのは強烈な閃光。それをまともに受けた敵勢の感覚器センサーが焼かれた次の瞬間には相棒のそれが復活、切りかかるのが見えた。

 こちらも負けてはおられない。

 宝石のごとき女神像の髪から飛び出したのは、無数の円筒。それが飛び出すそばから下方より火を吹き出し、たちまちのうちに上昇していったのである。それも20本ばかり。

 化学反応ロケットで推進する誘導弾ミサイルだった。女神の権能によって事前に生成されていた武装は、敵へ雨あられと降り注ぐ。

 逃れようとする二柱の敵神を無視し、デメテルは麗華の援護に向かった。


  ◇


 毛に覆われた腕が、落下していく。

 大地へ叩きつけられたそれは樹海の木々を押しつぶし、周囲に衝撃波と土煙を巻き起こす。あまりの巨大さ、精巧さ故に遠近感が狂う。

 それを為したのは、二刀流となった赤き神像。虚空より取り出した二本目の剣が敵の右腕を切断したのである。追い打ちをかけるように、喉元への強烈な刺突が猿神を襲う。

「―――!?」

 麗華渾身の一撃はしかし、空を切った。何故ならば、敵神の喉元に開いた穴は、刺突が命中する直前に生じたからである。

 剣を引き戻そうとする麗華をあざ笑うように、は変化。歯を生やした口と化したそれは、がっちりと刃をくわえこんで離さない。

 更には切断したはずの腕が跳ねた。かと思えばそれは鎖と変じ、自ら麗華の足へと絡みついたのである。よろめく巨体。

 故に麗華は得物を諦めた。敵に食われた一本を手放すと、腹部目掛けて抜き手を放ったのである。

 攻撃はまたもやされた。命中する前に、腹部に穴が開いたのだ。それは即座に閉じると麗華の腕を締め付ける。抜けない。押さえつけられ、逃れられない。密着する形となった両者。

 猿神は右腕を伸ばした。切断された断面より伸びたのは、角。それは、麗華の———"ブリュンヒルデ"の胸へと突き立った。

「あああああああああああああ!?」

 少女の口から飛び出したのは、悲鳴。損傷の大きさが許容限界を超え、麗華自身の肉体にまでダメージがフィードバックされたが故であった。

 変化は続く。猿神の背より伸びた第三の腕は、麗華の頭を鷲掴みとした。更に元からあった腕が麗華のもう一本の腕を捕らえる。逃げられない。

 そこへ、とどめが来た。大地を踏みしめる猿神の両足。それが跳ね上がり、左右に広がり、巨大なあぎとを形成したのである。分子運動制御で浮遊する巨体はまるで、赤い女神像を支えにしているかのようにも見えた。

—――ああ。死ぬ。

 あまりにも強すぎる。麗華が感じたのはこれまでにないほどの、死の予感。

 致命的な攻撃はしかし、失敗に終わった。何故ならば、邪魔が入ったから。

 爆発。

 猿神の腰で起きたそれは強烈な破壊力を発揮。抉れ、大ダメージを受けた猿神像はたまらず逃げていく。

 解放された赤の女神像はよろめきながらも武器を構え直した。横目を向ければそこにいたのは宝石の女神像。彼女が抱える巨大な機械が強烈な電子ビームを投射し、敵に打撃を与えていたのである。

 追撃するべく身構えた両者。そこへ、戦輪チャクラムと火球が次々に降り注いだ。

 空中へと逃れた女神たちの前に立ちふさがるのは残り二柱の猿神たち。デメテルのミサイルをすべて退けたのであろう。傷ついた仲間を庇う構えのそいつらを見た麗華はふと、場違いな感想を抱いた。

—――彼らも仲間をいたわるんだな。

 まるで人間のように。

 とはいえ敵同士であることには変わりがない。戦況も悪い。互いに負傷者が一名。だが、敵の方が数はいまだに上だしデメテルも武器をかなり使ったように見える。彼女の装備は事前に生成し、巨神内部に蓄えているもののはずだった。詰め込める質量には限界があるから、もうあまり武器は残っていないはず。

 どうするべきか相棒に相談しようとして。

 その時だった。

 遥か敵の向こう側。先ほど麗華たちが立ち去った街の上空に、突如何かが出現した。巨神が召喚されるときに似ている。だが何もいなかったはずのそこへどうやって?

 そいつは、猫だった。四本の脚を持ち、オレンジ色の毛並みで、三角形の耳と立派な髭を備える、女神像の何倍もの大きさの巨像である。顔は妙にデフォルメされ、ニヤニヤ笑いを浮かべているようにも見えた。口に生えているのは三角形のぎざぎざした歯だ。

 重力に従ってそいつが降り立った先は、昨夜麗華たちが一夜を明かした家のあたり。

—――あ。

 視界を拡大する。が何をしようとしているのかを注視する。駄目だ。やめて。そこにはまだ、ありすが———

ぱくり

 口を開いた猫は、建物を一飲みとした。

―――喰われた。

 そう理解して、麗華の背筋が冷たくなっていく。

「どうして?人間は殺さないんじゃないの?ねえ、どうして!?」

 間近に敵がいる事も忘れ、赤い女神像は全身の構成原子を励起させた。

 膨大なエネルギーの手が伸びる。物質の安定を保つ電気的なエネルギーが低下。物質構造が砕け散り、ごく限られた範囲で同時多発的に発生したそれはたちまちのうちに連鎖反応を起こして拡大。生じた渦は、ついには敵の影をも飲み込んだ。

 影だけを。渦が発生する寸前、猫は姿を消していたからである。出現した時のように。

 目標を失ったエネルギーが、無差別に解放された。竜巻がすべてを吸い上げる。地殻が砕ける。気圧が低下し、周囲の大気が流入していく。市街地が。続いて樹海の木々が。すべてが飲み込まれていく。膨大なエネルギーが谷間に閉じ込められる。それらが真上に吹き上がっていく。天候が急激に悪化していく。フルパワーで行使された権能は、破滅的な威力を発揮していた。

—――どこへ行った!?殺してやる!あの子の仇を討ってやる!!出て来い!!

 混乱の中、周囲へ知覚を向ける麗華のが掴まれた。

 掴んでいるのはライムグリーンの手。デメテルの手だった。

「私だ。逃げよう」

「―――でも!」

「今なら逃げられる。相手も手傷を負っているから追ってきはしまい。それに君だって怪我をしている」

「―――はい」

 宝石の女神像に手を引かれ、麗華はその場を飛び去った。彼女が振り返ることはなかった。

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