【第一章 天幕の下で】
【天幕の下で】1
声なき絶叫と共に、少女は跳ね起きた。
右手を見る。―――生身の、人間の腕。赤くない。金属でもない。
次いで、顔を手でぺたぺた。うん。間違いなく皮膚。そしてその下には肉がある。プニプニだ。
きっと、いつも通りの、ちょっと目つきがきつすぎて、近づきがたい顔をしているのだろう。凛としている、なんて言われる事もあるが。でもだからって、後輩からラブレターを貰った事があるのは我ながらどうかと思う。女子高なのに。
「はぁ……」
夢。そう。やはり夢だったのだ。あれは。
酷い夢だった。自分が何やら巨大な神像と化して、怪物と戦う夢。空まで飛んでいた。
―――幾らなんでも想像力豊か過ぎじゃないかな、私?
シャワーを浴びたい。全身が汗びっしょりだ。
そこまで考え、立ち上がろうとした少女は。
「……え?」
呆然。
そこは、家の自室ではなかった。教室の机で居眠りしていたわけでもない。知らない場所だった。
周囲は薄暗い。ごく狭い空間に寝かされていたよう。外と中を遮るのは薄い布。上下、そして四方に張られたそれは、どうやら天幕か?脇には背嚢と、そして血まみれの布や刃物、医療器具といったものが置かれている。場を支配しているのは静寂。いや、雨音と暴風が響き渡っている。耳が慣れたせいか、気にはならないが。
そして……
足元で、縋りつくようにして眠っている、一人の女性。
信じられないほど美しいひとだった。
透き通るような金髪は腰までの長さ。肌は抜けるように白く、唇は辰砂のように赤い。どこか線の細い、物憂げな雰囲気を漂わせる顔は気品に溢れていた。
と、そこまで観察したところで彼女は身じろぎ。
目が合った。
金髪の女性が、目を見開いたのである。
「……」
しばし互いに沈黙。
先に口を開いたのは、金髪の女性であった。
「気が付いたのか!よかった……」
その反応に少女は困惑。
「え?あ、あのー……一体」
「覚えていないのか?まあ酷い傷だったからな。頭蓋骨が陥没していたぞ」
「ふぁっ!?」
思わず手をやった先。
何か、柔らかいものが当てられている。それを固定するように包帯も。
だが、痛みはない。いや、怪我をしている様子はなかった。
「大丈夫だ。もうかなり治癒している。二日も寝ていたからな」
二日くらいで頭蓋骨陥没が治るのだろうか?
ギョッとした表情を崩さないまま、少女はそんなことを思った。
「助けて……くれたんですか?」
状況からそう推測する少女。
「ああ。当たり前だろう。私と君の仲だからな」
答えた女性は、少女のわきにしゃがみ込むと周囲に散らばったものを片づけ始めた。てきぱきとした作業。
そんな彼女に、少女がかけた言葉は申し訳なさそうであった。
「……あー。ごめんなさい。あなた、どちらさまですか?」
空気が凍り付く。
女性は、強張った顔を少女に向けた。
「……本気で言ってるのか?」
「……ほ、ほんき、です……頭蓋骨が陥没しちゃったせい……ですかね……?」
◇
「私の名は"デメテル"。
「あー。蛭田、麗華です。西暦一九九四年生まれ、北城大付属高校二年A組、天文学部、神戸市在住の十六歳……だったんですけど」
それぞれ順に金髪の女性、そして少女の自己紹介である。
二人が今いる場所はテントの中らしい。デメテルの所持品だそうだ。
彼女は携帯コンロ―――掌に収まるほどの小さな電熱式の円盤―――で温められた小さい鍋からスープをわけると。
「温まるぞ」
「あ、ありがとうございます」
受け取ったマグカップは、金属製だった。
ありがたく口を付ける麗華。
「で……色々聞きたいんですけど、何がどうなっているんですか?」
「そうだな。どう説明したものか悩ましいのだが……まず君はどこまで覚えているのだ?」
問われて、悩む麗華。
「……昨日、あ、私の主観で昨日、なんですけど。学校から帰る途中で、海辺で夕日が沈むのを見て、それで―――そこから記憶がない、かな……
気が付いたら、あの、銀色の怪物と戦ってて……」
あの時の恐怖を思い出したか、少女は身震い。
「なるほど。ではその間の記憶がそっくり消えているのか」
スープを自らの器にもとると、デメテルはしばし黙考。
やがてスープを一口飲み。
「まずは私が何者か説明した方がいいか」
「お願いします」
そしてデメテルは、とんでもない言葉を口にした。
「私は人間ではない。神々の眷属だ」
「……はい?」
思わず聞き返す麗華。無理もない。
「眷属。神格ともいう。神々の兵器である巨神の制御・管理ユニット。
見たのだろう?あの巨大な神像が巨神だ。
まあ、私自身が神々に建造された破壊兵器だと思ってもらえばいい」
淡々と説明する彼女は、どう見ても人間である。確かにこの世の者とは思えぬほど美しくはあったが。
身に着けているのも、軽装のプロテクター。そしてその下は体にフィットしたグレーの戦闘服だ。動きやすそうではあったが、神の眷属にはとても見えない。
「……」
硬直している麗華に、さらなる言葉が投げかけられる。
「私だけじゃないぞ。ヒルデ」
「あー。ひるだ、ですけど……」
「それも説明する。
神々の眷属なのは私だけじゃない。君もなんだ」
「あ……わ、私も……?」
思わず己を見下ろす少女。確かに言われてみれば、服装はデメテルそっくりだ。だがそんなに美しいという自覚はなかったし、ましてや神だなどとは。
客観的には、麗華も十分に美しい範疇に入るのだが。
「ああ。君の名は"ブリュンヒルデ"。
……ふむ。信じられないか」
デメテルの言葉に、少女は半信半疑。
「そりゃあ、まあ」
当然と言えば当然の反応ではある。いきなり自分が神々の眷属だと言われて納得できる女子高生がいたら、精神疾患か中二病を疑うべきだろう。
「ならば証拠を見せよう」
そう言って、デメテルが掲げたのは右腕。
その周りに、煙が渦巻き始めた。ライムグリーンの煙。
―――否。
まるで意志あるもののように動くそれは、見る間に密度を増し、集まり、分厚くなり。
一瞬のうちに彼女の手の中に出現していたのは、宝石で出来た短剣。
ライムグリーンの、透き通るような、均一な剣である。
眼前の奇跡に、少女は驚愕を隠せない。
「これは私の巨神の一部を実体化させたものだ。
巨神を構築する流体は、主人の意志に反応して、自在に形態を変える。セラミックの性質を兼ね備えた、一種の液体金属とも言えるだろう」
短剣はたちどころに霧と化し、次の瞬間には別のものへと変じていた。コップ。
「こんなこともできる」
流体が次に変じたのは、スマートフォン。
透き通る素材で出来たそれは驚くべきことに発光。電源が入ったのだ。どころか音楽を流し始めたではないか。どこか聞いたことのある、しかし思い出せない何らかの民族音楽を。
「君も同様の事ができるはずだ。さあ、やってごらん」
女神の言葉は、優しかった。
「わたし……」
「だいじょうぶ」
少女は無意識のうちにイメージしていた。己の手の中に納まっている、あの赤い剣を。
一拍の後。
彼女の手の中に出現していたのは、赤い金属で出来た剣。
「……できた」
信じられないといった表情の麗華。
「これで信じて貰えたかな?」
デメテルの言葉に少女は呆然と。
「……で、でも!あなたが信用できるかどうかは別問題じゃないですか」
頭の中ではそんな事ない、と思いながらも麗華は口に出していた。
「ふむ。……これでどうかな」
言って女神が取り出したのは、ロケットペンダント。
それを開いた中には……
「……私と、デメテルさん……?」
写っていたのは三人の女性。
麗華。デメテル。そして、チョコレート色の肌が美しい、快活そうな美少女。
今のような戦闘服ではない。それぞれが民族衣装風の衣類を纏っている。
背景は草原だろうか。
「ヒルデ。君も同じものを持っている。首からぶら下げているはずだ」
言われた麗華は懐を漁り、そして手ごたえ。
開いた中身は、デメテルのそれと同じだった。
「ほんとだ。
……分かりました。私が尋常じゃない事に巻き込まれていて、少なくともお揃いの写真を持ち歩くくらいにはあなたと親しかったであろう事は認めます」
写真に写った、ここにいない第三の人物が気にはなるが後回しにして、麗華は自分を納得させることにした。自分を担ごうというのであればもう少しまともな騙し方もあろうというものだ。
女神は頷くと説明を再開する。
「私と君は、今から五十年以上前に建造された。神々の手によって。
私たちはいま主流のタイプの神格の、いわばプロトタイプ。少し型遅れだな。ずっと一緒にやって来た。どんな時も。私は君をかけがえのない相棒だと思っている」
「ご……五十……っ!?」
少女は驚愕した。己も、そして眼前の女性も、とてもそんな年には思えない。
思わず髪に手をやる。そんなに年月が経っているならば、記憶よりずいぶんと長くなっているはずだが。
実際には、その長さは肩まで。記憶と同じ長さである。艶やかな黒は、むしろ前より美しいかもしれないが。
「ああ。私たち眷属は不老不死だから。まあ暴力や事故で死ぬ可能性は否定できないが」
「……鏡、あります?」
「それを使うといい」
デメテルが指さしたのは、少女が手にしたままの剣。
麗華は、刀身が反射する像を確認した。鏡のように美しく光を反射するそれは、くっきりと少女の顔を映し出している。
見覚えのある、いつも通りの自分の顔がそこにはあった。
少女は、とりあえず実証不能な事は棚上げすることにした。それよりも重大な問題がある。彼女は疑問の声を上げた。
「うーん……そこはまぁ、納得することにします。
でも変じゃないですか。なんで、神々に建造された私に、人間の―――蛭田麗華としての記憶があるんですか?」
その問いに、金髪の女神は困った顔をした。
「そうだな……簡単に言うと、私たちは元々人間だったから」
「人間だった……?」
「ああ。ヒトとして死に、そして神々の眷属として生まれ変わった、というべきか。神々の手によってこの世界に運ばれて、ね」
「う、生まれ変わり……」
いよいようさん臭くなってきた。
麗華の顔は、そんな思考を如実に反映した表情である。そもそも死んだ記憶がないのだから当然だが。いきなりあなたは生まれ変わりましたと言われて納得いくものではない。
「じゃ、ここは天国って事ですか?」
「違う。れっきとした、物理的に実在する世界だ。
まあ、ここは"神戸"ではない。この世界に神戸という土地は存在しない。そもそも地球ですらない」
「……えーと。つまりどういうことですか?」
「ここは君がいた世界から見れば、異世界と言えばいいのか」
「……」
異世界。生まれ変わり。
麗華の、あまり中身が詰まっていない脳みそがオーバーヒートを開始した。
◇
ぐつぐつ。
鍋で新たに湯を沸かしている横で取り出されているのは、インスタントコーヒーの入った小瓶である。
「……異世界なのに、コーヒーはあるんですね」
「うん?ああ、地球にあるものは大抵あるよ。この世界には」
またうさん臭さを上乗せする美女。麗華も口には出さないが。
代わりに少女は、別の疑問を口にした。
「……あの怪物たちは何なんですか?」
「あれか」
デメテルは渋面。
やがてコーヒーが出来上がると、麗華と己の分をカップに注ぐ。
両手でそれを覆うように持つと、彼女は語り始めた。
「あれは、異世界からの侵略者だ。
彼らが現れたのは十二年前。
世界間をつなぐ門をくぐってこちらの世界に出現した奴らは瞬く間に勢力圏を広げてしまった。この惑星の南半球のかなりが今や奴らの支配下だ。
当然、この世界の支配者である神々は黙って見ていたわけではない。
我々のような眷属。戦船。天翔る戦闘機械。様々な兵器を投入し、奴らの勢いを押しとどめようとした。
だが、奴らの勢いは凄まじく、とても押しとどめられるものじゃあない。それでも、最近の奴らは勢力圏を広げ過ぎたか、一進一退だがね。
私と君が属していた部隊は最前線で戦っていたが、奇襲を受け、壊滅的な打撃を受けてしまった。
生き残りは私たちふたりだけ。
ここは大洋上にある小島のひとつ。最前線に近いが、君の傷が深かったからな。動けなかった。嵐が続いていてくれて助かったよ。敵が嵐を維持しているんだろうが」
「気象まで操れるんですか……?」
「可能だ」
一気に語ると、金髪の女神はコーヒーを飲み込んだ。
顔をしかめる。口に合わなかったらしい。
「……あの」
麗華が質問を発したのは、自分の分のコーヒーが冷めたころ。
「なんだい?」
「侵略者、って……何者なんですか?」
「ふむ。
一言で言ってしまえば、異世界の知的生命体。そしてその尖兵である、彼らによって創造された人造神。すなわち神格が敵の主力だな」
「ちてき……せいめいたい」
かみしめるようにつぶやく少女。
それに対し、女神は首肯。
「ああ」
「何が目的で……」
デメテルの返答は、一拍遅れた。
「資源……いや、人間を連れ去るためだ」
「……人間?人間がいるんですか?」
「ああ。この世界には人間がいる。たくさんね」
「そう、なんだ……」
やがて、一区切りついたと見たか、金髪の女神は、少女を気遣う言葉を口にした。
「さ、もう寝るんだ。早く体を回復させなければ」
「私……これからどうなるんですか?」
「味方の陣地まで戻ろう。そこで治療を受ければ、きっと記憶も戻る」
「……はい」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
少女は、深い眠りに落ちて行った。
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