第5話「涙」
貴婦人の目が見開かれた。
「どうしてラウルは逃げ出さないのですか!?
あの子には狼の群れを一人で追い払えるほどの力があるのですよ!?
こんな田舎の警察なんてどうせ人数も少ないですし、あの子なら簡単にやっつけられるはずではありませんか!?」
「警官は銃を持っているし、留置場には鉄格子がついてるんですよ!?
まさかそんなことすらご存知ないんですか!?
ラウルは今夜には……
満月が昇って狼に変身したら……
迷信に踊らされた村人たちに殺されてしまいます!!
アイアンメイデンで串刺しにされて!!
ラウルはちょっとの怪我ならすぐに治るけど、即死するような怪我の場合にどうなるのかはラウル本人にもわからない!!
裁判なんて開かれません!!
みんなラウルを人間ではなくバケモノだと思っているから!!
あんな優しいラウルを!!
警察も教会も止めてなんてくれない!!
いいえ、今こうしている間にも、そろって暴走を始めてしまうかもしれない!!」
貴婦人が泣き始め、ついさっき施したばかりの化粧が崩れた。
太陽は咎めるように強い光を東側の窓から投げ込む。
月が昇るまで半日。
そしてそれがラウルの……
薔薇を愛し、土と肥料にまみれて微笑んでいた青年のタイムリミット。
「奥さま。別荘に着いて、それからどうなさったんですか?」
「……ラウルがわたくしを出迎えて……ラウルはとても喜んでくれて……」
「その後です」
「部屋で少し休んで、それから遅い夕食を取りました」
「それから?」
「セバスチャンに、クローディアさんを探しに行くよう命じようとしました。
でもセバスチャンは、ラウルに行かせた方がいいと言いました。
ラウルの方が森に詳しいはずだから、と。
ラウルはわたくしが頼むとすぐに飛び出していきました。
その背中を見送ってから、わたくしはラウルがニオイに敏感なのを思い出しました。
あの子が屋敷に居たのでは“あの人”の存在に気づかれてしまいます。
セバスチャンはラウルが狼男だなんて知らないし、今でも狼男の存在を信じていないようですが……
偶然とはいえセバスチャンの提案は完全にわたくしの都合に合っていました」
「それから?」
「それからわたくしは……
使用人が寝静まるのを待って……
バルコニーに出ました。
ランプシェイドを開け閉めして光を操って、庭園に潜んでいた“あの人”に合図を送りました。
“あの人”もランタンを使って返事をしました」
「それから?」
「森の中で打ち合わせした通り“あの人”は裏口へ回りました。
わたくしも“あの人”も知らなかったのです。
わたくしの部屋の前でフランクが待ち構えていただなんて!
フランクの悲鳴を聞いて部屋から飛び出した時にはもう……!!」
貴婦人の言葉が詰まり、わたしが引き継ぐ。
「愛人がフランクさまを殺していた」
貴婦人は、それには答えず、ただ微笑んだ。
「森の中で“あの人”が合図を送っているのに気づいて馬車を止めて……
クローディアさんとセバスチャンを、落としてもいないイヤリングを捜させるために馬車から遠ざけた時……
セバスチャンの手帳が御者台に置きっぱなしにされているのに気づいたんです。
しっかり者のセバスチャンには珍しいことです。
滅多にないチャンスです。
わたくしたちは手帳を見ました。
明日の昼にフランクが別荘に来ると書いてありました。
そしてそれはわたくしには秘密にするようにと書かれていました。
抜き打ちでくること自体は予想通りでしたが、こんなに早いというのは驚きました。
ならば逢瀬はその前に済ますしかないとわたくしたちは考えました。
あの夜にフランクが居るはずはなかったのです。
手帳には翌日だと書いてあったのです」
貴婦人はふらふらと立ち上がって窓へと歩いた。
窓を開けるなんてメイドに命じてやらせるべき仕事なのに、貴婦人は自ら窓を開けた。
薔薇の生垣の合間では、セバスチャンさまの白髪交じりの頭が相変わらず見え隠れしていた。
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