第6話「陽の光」
「月は罪。いっそ消えてなくなってしまえばいいのに」
そうつぶやき、月の女神の名を持つ貴婦人がバルコニーへと踏み出す。
(自殺でもするつもりなの?)
バルコニーの手すりは高く、貴婦人のドレスの裾は長い。
もしも危険な動きをしても、手すりを乗り越える前に止められる。
そう判断して、わたしは貴婦人と適当な距離を保って背後に立った。
「わたくしが夫を殺したのです」
嘘だ。
この貴婦人にあんな殺し方をする力はない。
「おろかなフランク。
“あの人”も、ね。
二人とも、わたくしの愛人が“あの人”一人だけだと思っていらした……
“あの人”と出会う前はセバスチャンがわたくしの相手でしたの。
会話が面白くなかったのですぐに終わりましたけれどね。
フレデリックも悪くはありません。
夫の遺産が目当てと言われても別に気にはしませんわ。
それはそれで興味深い世界です。
わたくしがフレデリックをしとねに誘わない理由は一つだけ。
あの方はいかにも口が軽そうだからです。
おしゃべりが上手で、おしゃべりではない。
この両方を満たす殿方は貴重な宝石のようなものです。
ですから運よく出逢えた時は、宝石にするように貪欲に手を伸ばしてきました」
貴婦人がバルコニーの中央に歩み出た。
強い日差しが影を濃くして、逆光で表情が見えなくなった。
「ああ、信じられないでしょうけれども、わたくしはフランクを本気で愛していました。
他は全て好奇心。
愛情ではありません。
愛していたのはフランクだけです。
ふしだらな女とお思いでしょうね?
ですが、高き山に登ることも遠き海へ漕ぎ出すことも叶わぬ我が身にとって、世を知る男に触れることだけが、世界を広げることなのです」
貴婦人が手すりに近づく。
視線は低い。
セレーネ・ローズを見ているのだろうか?
「安心なさい。
ラウルに“だけ”は手を出していませんわ。
あの子をそんな風に扱うほどにはわたくしも恥知らずではありません」
手すりの前で立ち止まり、振り返る。
「わたくしがフランクを殺しました」
「嘘です。
あなたにあんな殺し方をする力はありません」
「“あの人”はご自分が何をなさったかわかっていないようでした。
ですからわたくしは“あの人”に申しました。
これはわたくしの罪なのだと」
貴婦人の背後で、何かが光ったように見えた。
広い庭の、遠い隅っこの茂みの奥で。
「わたくしの罪なのです」
わたしは庭を覗こうとした。
その時ちょうど貴婦人がよろめいて、バルコニーの手すりに背中をぶつけた。
落ちるようなぶつかり方ではなかった。
自ら落ちようとしていたわけでは決してなかった。
一瞬だった。
バルコニーの手すりが壊れた。
ダイアナさまは助けを求めて手を伸ばした。
わたしはその手を掴もうとしたけれどもわずかに届かなかった。
ダイアナさまの姿がわたしの視界から消えて、下から嫌な音が響いた。
背中からぶつかって、後ろから落ちた。
手すりの上半分が壊れ、下半分に引っかかった体が回転して、頭から落ちた。
わたしはバルコニーの床にペタンとへたり込んだ。
庭のセバスチャンさまが大慌てで駆けてくるのが見えた。
ここはほんの二階に過ぎない。
打ち所がよっぽど悪くない限りは命に別状はないはず。
よっぽど悪くない限りは……
怖いぐらいの快晴の空に、セバスチャンさまの悲鳴が響いた。
「何ということだ!! ダイアナ様が死んでしまった!!」
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