第4話「宝石」
「その前にお化粧を」
「……かしこまりました」
この貴婦人は肌が弱いので化粧をあまりしない。
化粧などしなくても、ろくに日に当たっていない肌は充分に美しい。
それでも今日はお化粧をなさるというのは、夫の従弟であるフレデリックさまを、気楽につき合う親戚ではなく、お客さまとして捉えているからだろう。
化粧をしている時は口を閉じるので会話はない。
化粧は偽りの象徴。
その化粧を施す間、貴婦人は死人のように口をつぐんだ。
わたしは宝石箱の中から雫形のイヤリングを選び出し、貴婦人の耳にお着けした。
フランクさまから贈られ、森で落としたはずのイヤリングを。
右と、左。
両耳に。
「両方、そろっていますね」
「ええ。……え?」
「奥さま、あの時、どうしてイヤリングを落としたなんて嘘をおつきになられたのですか?」
「……なんの……ことでしょう……?」
「ラウルから聞いています。
あの三日月の夜にあなたが本当にイヤリングを落としていたなら、それはまだ森のどこかにあるはずです。
なのにこうして両方そろっている。
あなたはイヤリングを落としてはいない!
それなのに落としたと嘘をついて馬車を止めさせ、わたしとセバスチャンさまにイヤリングを捜させて、馬車から、あなたから、遠ざけた!
その間にあなたはいったい何をなさっていたのですか!?
当てて見せましょう!
それは、別荘に着いてからではできないことだった!
それは、人に見られてはならないことだった!
それは、あなたが別荘送りにされた理由と……静養なんていう表向きの理由ではない、本当の理由と……関係の深いことだった!
あの時あなたは森の中で愛人と連絡を取っていたんです!!
そしてわたしを森に残した。
レディメイドであるわたしは、フランクさまがダイアナさまの不倫を監視するために用意したスパイ。
実際にはその命令は届いていませんでしたが、あなたはわたしがソレだと思い込んでいた。
そしてそのわたしが居ない間に、あなたは愛人を別荘に連れ込んだ。
スパイが別荘に着いてしまえば、愛人と密会できるチャンスはぐっと少なくなる。
だから最初の日にいきなり愛人を連れ込んだ。
ところがここで思いがけないことが起きた。
ロンドンに居るはずのフランク様が、初日にいきなり別荘に来てしまった。
主人と鉢合わせした愛人との間に、どんなやり取りがあったか、あるいは話す暇もなかったか……
愛人はフランクさまを殺してしまった。
あなたは愛人をクローゼットに隠して知らぬ存ぜぬを決め込んだ。
クローゼットの床はキレイでしたけれどね、中にかけられたドレスの裾に、愛人が踏んづけた跡が残っていましたよ。
ラウルはその人の存在に気づいていた!!
だけど告発はしなかった!!
あなたがかばっている人をラウルもかばった!!
そしてラウルが、ラウル一人だけが犯人にされてしまった……!!」
わたしは一息ついて宝石箱から髪飾りを取り出した。
仕上げのために貴婦人の髪に触れる。
最初に触れた時のようなリラックスした雰囲気はもうなかった。
美しい黒髪。
不健康な色だけれど、すべらかな肌。
細い首筋を締め上げてやりたい衝動を抑える。
彼女の証言が必要なのに、喉をつぶしてはいけないのだから。
貴婦人は青ざめて震えていた。
髪も服も全て整い、貴婦人の身支度は完成した。
だけど貴婦人は化粧台の椅子に座ったまま鏡の中の自分の姿を呆然と見つめ続けて……
わたしから逃げようとはしていなかった。
「ラウルは大丈夫ですわよね? 警察の方ってどなたも親切ですし」
「はァ!? 何なんですかその世間知らずは!? それはあなたが貴族の家に生まれた人だからそうしているだけです!!」
「そんな……! でも……だって……」
「ラウルは拷問されています!! 鞭で打たれて……!! 狼男の正体を表せって……!!」
わたしにとって辛い事実が、貴婦人にも辛く感じられるものであってほしい。
それは、それだけは、叶えられた。
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