第2話「髪」

 緑の服にじっと見入っていると、ダイアナさまに「黒にしてちょうだい」と言われた。

 黒は何着もある。

「こちらでよろしいでしょうか?」

「ええ」

 落ち着いたデザインのドレス。

 服に合う髪型を考え、くしを手に取った。


 貴婦人の方へ振り返りながら窓に目をやる。

 フレデリックさまとセバスチャンさまが、薔薇を指差して何か話している。


 フレデリックさまはラウルを助けるつもりはないけれど、セレーネ・ローズには興味があるらしい。

 お願いだからラウル以外の庭師を連れてこようなんて考えないで。


 二人が何を話しているのか。

 距離があるので聞こえない。

 つまりこちらの会話が聞かれてしまう心配もない。


 貴婦人の髪をとかしながら話しかける。

 闇より黒い艶やかな髪が、月のように青白い肌を引き立てる。


 まずは、できるだけ穏やかに。

 あくまでも何気ない世間話を装って、ラウルのことを考えさせて、貴婦人の心に揺さぶりをかける。


「このお部屋……お屋敷全体がそうなんですけど……ずっと使われていなかった割には痛んでいませんよね?

 このお部屋もラウルが手入れをしていたのでしょうか?」

「いえ、室内のことは管理人夫婦が」

 軽く空振り。

 この程度ではメゲない。


「庭の薔薇が咲くのはもうすぐでしょうか」

「ええ、そうね」

「でもラウルが居ないと駄目かもしれませんね」

「ええ……そうね……」


 わたしと貴婦人の視線は自然と庭へ向かった。

 フレデリックさまは居なくなっていて……

 セバスチャンさまだけが、まるでラウルの代わりができるとでも思っているかのように、セレーネ・ローズの生け垣の間を歩き回っていた。



「子供の頃……ラウルとは、ずっと一緒に暮らしていたの。

 わたくしは体が弱いせいで狭い世界に閉じ込められて、ラウルだけがわたくしの寂しさを癒してくれた。

 でも、両親に見つかって引き離されてしまった……」


 森で拾って、犬のように飼っていたのよね。

 狼だってバレて捨てられて、人間になって戻ってきた。


「ずっとラウルに逢いたかった。

 ラウルを閉じ込めていたクローゼットは、わたくしの世界よりも狭い世界。

 ラウルを捜すために一人で屋敷の外へ出て、そして初めて自分が幼いラウルに犯した罪の重さを知りました。


 再会したラウルは、わたくしの知らない世界を知っていました。

 それはとても辛い世界だったけれど、それでもわたくしの知らない世界だというだけでわたくしはそれを羨ましく感じました。


 わたくしと再会して、また同じ屋敷で一緒に暮らせるようになって……

 でもそれは、ラウルを再び狭い世界に閉じ込めてしまうことでした。

 わたくしの知っている世界に。

 だからわたくしはラウルを屋敷から出しました。


 別荘はわたくしも知っている世界ではあるけれど、わたくしの居ない別荘はわたくしの知らない世界。

 それにラウルは健康な子です。

 森の中は不便だけれど、そこから村にも町にも行ける。

 町へ行けば汽車に乗ってもっと遠くへも行ける。

 わたくしのように付き添いが居なくても、ラウルなら一人で汽車に乗れる。

 ラウルにはわたくしの知らない世界を知ってほしい。

 ラウルにはわたくしのような思いは……狭い世界で寂しい思いはさせたくなかったのです」


 実際にはラウルは手間のかかる薔薇の世話にかかりっきりで、別荘と学校を往復するだけの暮らしを送っていた。


「あの……クローディアさん?」

「あ……はい、奥さま」


 髪はとっくに結い上がっている。

 わたしの手が止まっているのを不審に感じさせてしまったようだ。


 この国では大人の女性は髪はアップに結う。

 わたしも年齢的にはそろそろアップにした方がいいのかもしれない。

 その時は、最初にラウルに見てほしい。

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