満ちゆく月におびえて
第1話「ピーターソン先生、来る」
ラウルが殺人を犯したと裏付ける証拠なんかない。
当然だ。
ラウルにはアリバイがあるのだから。
それなのにラウルは捕らえられた。
狼男であることが、殺人を犯す動機。
狼男であることが、殺人犯である証拠。
警察がラウルを捕まえに来た時、ダイアナさまは庭に居るラウルに知らせに走った。
ダイアナさまはラウルを逃がそうとして、フランクさまが殺された夜以来、初めて部屋をお出になった。
生垣の手入れをしていたラウルはダイアナさまのお姿を見て、驚いた弾みで薔薇の棘を指に刺してしまった。
ダイアナさまは自分のせいでラウルが怪我をしたと思って慌てた。
久しぶりだったから、ダイアナさまはラウルの治癒力のことを忘れていたのだ。
ラウルはダイアナさまを安心させるために、指を掲げて怪我が治るところを見せた。
その様子を、警官たちも見ていた。
ラウルはその場で取り押さえられ、手錠をかけられた。
人間が相手ならばそんな乱暴な真似はされない。
異常な治癒力があることと、殺人犯であることに、何の繋がりがあるものか。
ラウルは獣として、バケモノとして、捕獲されたのだ。
迷信深い警官だけでなく、それまで狼男の存在に懐疑的だった警官も、ラウルを恐れて脅えて憎み、その暴走を正義と呼んだ。
連行される時、ラウルは抵抗しなかった。
ただ一言、ダイアナさまに、大丈夫だとだけ言った。
眠れない夜を過ごして、早朝、わたしは馬小屋に忍び込んだ。
アンドレアに鞍を乗せる。
警察署のある町までは遠いし、狼の出る森を抜けるのは徒歩では無理だ。
静かに、静かに。
バレないように。
アンドレアは不機嫌そうに鼻を鳴らしている。
お願い、わたしをラウルのところへ連れていって。
わたしがまたがると、アンドレアはものすごいスピードで走り出してしまった。
「きゃああ!!」
庭園に飛び出して駆け回る。
芝生を踏み荒らし、置石を蹴り倒す。
お願い! 薔薇の方へ行かないで!
必死で手綱を引っ張ると、アンドレアは激しくいなないて暴れ、わたしを振り落とした。
「……ッ!」
足が痛い。
左足だ。
歩けない。
アンドレアは立ち止まってこっちを見ている。
「きみきみ! 大丈夫かね!?」
知らない人がわたしに駆け寄ってきた。
白髪に眼鏡の小太りな男性。
……誰?
そのおじいさんは旅行カバンから包帯や薬を取り出して、応急手当ではないキッチリした治療を施してくれた。
おじいさんは、ダイアナさまの主治医のピーターソン先生だった。
新聞を見て心配になってロンドンからはるばるやってきたのだ。
「骨は折れていないけれど、数日は安静にしていなさいね」
そう言われて、わたしは泣き出した。
馬を勝手に使おうなんて、ズルイことなんてしなければ良かった。
良く考えれば村までは子供の頃のラウルでも通学できた距離なのだ。
わたしには狼男のような力はないけれど、それでも頑張れば、無理をすれば歩いて行けなくはなかったはずだ。
無理をしてでもラウルに会いに行きたい。
だけどみんなに叱られ、止められた。
フレデリックさまに、行っても何の役にも立たないって笑われた。
面会すらさせてもらえないだろうって……
その通りだ。
じゃあ、わたしには何ができるの?
セバスチャンさまに部屋で休むよう命じられた。
メイドが馬を盗むなんて普通なら即刻クビだけど、ダイアナさまは許してくださった。
イリスが仕事を押しつけられたと言って怒って、メラニーもイリスの陰に隠れながら文句を言ってきた。
イリスはレディメイドだから関係ないだろうと思ったら、嘘をついたのを咎められて昨夜のうちにドリスと交代させられたらしい。
わたしはベッドに横たわって昨夜のことを思い出した。
イリスの態度。
狼男が実在するってわかったことで、科学信奉を掻き消すようにイリスの探偵気取りには前とは別の方向の拍車がかかって……
森で見つけたアレクシアの死骸について、泥棒が盗んだ馬をあんな場所に置き去りにするわけがなく、馬を木に繋いだのは食べるためだったのだと言い張っていた。
そんなわけないのに!
……あの場所について、もっと調べる必要がある。
一昨日の人影。
アレクシアの死骸の前で、穴に落ちる前に見たあの人影を、セバスチャンさまは熊だと言っていたけれど、わたしにはそうは思えなかった。
あの距離ならこの怪我でも行けなくはない。
わたしは寝室の窓から抜け出して森へ向かった。
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