第5話「わたしを噛んで」
コウモリの糞のニオイを嗅ぎつけて、それをたどって外を目指す。
わたしを元気づけるためにラウルは一所懸命にわたしに話しかけてくれたけど、お互いもともとおしゃべり上手ではなくて、話せるネタも少なくて……
わたしはラウルに、ダイアナさまとの関係を教えてくれるようにねだった。
奥さまがラウルの秘密を独占していたのが悔しかったから。
ラウルはそれに答えてくれた。
話し下手なりに頑張って、ところどころ順番が前後したり、同じ話の繰り返しになったりしながら。
わたしを元気づけるだけのために話すのには重すぎる過去を。
きっと軽々しく人に聞かせたりはしたくなかっただろうに……
物心ついた時にはラウルは“ダイアナお嬢さま”のクローゼットの中で飼われていた。
どうやらお嬢さまがピクニックに出かけて、みんなと離れて花を摘んでいたところを野犬に襲われ、狼姿のラウルに助けられたのらしい。
「俺自身は幼かったんで全然覚えていないんだけどな。
きっと俺の本能が、獣の姿をしている時でも、俺は獣じゃなくて人間の仲間だって告げていたんだ。
だからダイアナ様を助けたんだと思う」
ダイアナお嬢さまはラウルを捨て犬だと思い込み、バスケットに入れてお屋敷に連れて帰った。
お嬢さまの命を救ったのだから、きっと両親も歓迎してくれるはず。
だけど両親に引き合わす前にラウルが狼男だとわかり、ダイアナお嬢さまはラウルを両親に隠して育てることに決めた。
ダイアナお嬢さまはラウルに人間世界のルールを教え、自分が狼男だということがバレてはいけないときつく言い聞かせた。
「ダイアナ様は俺に“男らしい言葉遣い”を教えるのにずいぶん苦労していたよ」
ある日、ダイアナお嬢さまが留守の間に、ラウルはお嬢さまのご両親に見つかってしまった。
狼男だとはバレなかったけれど、狼だというのには気づかれた。
犬ならば許されてそのまま飼ってもらえていたかもしれない。
だけど狼だ。
ご両親はお屋敷のボーイに交通費を渡して、ラウルを森へ返すよう命じた。
ボーイはそのお金を自分のポケットにしまい、ラウルを街中の川へ投げ捨てた。
岸に這い上がるのに人間の手の方が便利だったので人間の姿を取った。
そしてそのまま服もなくさ迷っていたところを近所の教会に保護された。
「ここで初めて男物のシャツのボタンはダイアナ様のお古のブラウスとはつき方が逆だってことを知ったんだ。
あと、ズボンを初めて穿いた」
教会の人たちは誰もがとても親切だったけど、狼男だとバレて、神父さまに殺されかけて逃げ出した。
その後、ダイアナお嬢さまと再会するまでの五年間、ラウルは路上で生きてきた。
「狼男に噛まれて死ぬと狼男になるっていうやつ、あれ、本当だぜ。
路上には親に捨てられた子供や親に死なれた子供、親から逃げ出した子供なんてのがウヨウヨ居てさ。
ゴミを漁ったり、スリやカッパライで生活していた。
だから俺も……な。
俺が弱そうに見えたみたいで、大抵のやつは俺にケンカばっか吹っかけてきたけど、仲良くなれたやつも居た。
その時の仲間に噛めって言われて、後先を考えずに噛んだ。
仲間が狼男に変身して、本当の仲間になれた気がした。
でも結局、死んでしまった。
衛生状態が悪くてな。
しばらくの間、何も言えなかった。
ラウルは決して優しい言葉をかけてほしくてこんな話をしたわけではない。
わたしが洞窟を怖がらないように、わたしの気を紛らわそうとして、わたしの質問にとても丁寧に答えてくれただけ。
つまりラウルはわたしに気を遣ってくれた。
それなのにわたしがラウルの話に対して気を遣った反応をしたら、それはラウルの行為をひっくり返してしまうことになる……
かもしれない。
ならないかもしれない。
そんなことを考えているうちに、ラウルの方も沈黙してしまって……
天井から水滴が一定のリズムを守って落ちる音と、ラウルの爪がツルツルした鍾乳石をたたく音と、ラウルの肉球が水溜りを踏む音が耳に染みた。
首周りの毛皮に顔をうずめているせいで、不安げな息遣いがはっきりと聞き取れる。
ラウルは今の話をしなければ良かったって思っているんじゃないかと感じて……
だからわたしはなるべく平静なトーンで話の続きをうながした。
「銀の武器でしか死なないわけじゃないのね」
「病気は、な。怪我についてはわかんねーよ。試して本当に死んだら嫌だし」
「すでに死んでいる人を噛んだらどうなるの?」
「路上に居た時に何度か試した。駄目だった」
そしてまた沈黙。
そして考える。
平静に話そうとしたせいで、冷たい人って印象を持たれてしまっていたらどうしよう……
「わたしを噛んで」
「君は自分がどれだけ恵まれているかわかっていない」
怒らせてしまった。
悲しくなって、わたしはラウルに抱きつく手に力を込めた。
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