第5話 小豆洗

「さてさて、坊っちゃん。なにか妖怪のことがわかったでしょうか?」

「はい。少しだけ」


 妖怪というのは、ひとを化かしたり、ひとに化けたりするようです。そして人間でもないのに、妙に人間らしい仕草をしたりします。


「ですが、余計にわからないことが出来てしまいました」

「なんでしょう?」


 さっきのカワウソとの会話を思い出します。


「ぼくは『きつね』が化けた、ということになっていますが、ふつうのきつねは化けませんよね? ふつうのきつねと妖怪の『きつね』は、どこが違うのですか?」


 それとも、すべてのきつねは化けることが出来るのでしょうか? それをぼくらが知らないだけなのでしょうか?


「結局、妖怪というのはなんなのでしょう?」


 問いかけるぼくに彼はうんうんと頷きます。


「そうですね……それなら、ちょうどいいところがあります」


 含み笑いを浮かべてそう言った彼は、ぼくを置いて歩き出しました。慌ててそれについていきながら、ぼくは尋ねました。


「どこへいくのですか?」


 ふふふ、と彼はその顔に浮かべていた笑みを深くしました。


「妖怪が生まれる瞬間をおみせしましょう」

「妖怪が生まれる瞬間ですか!」


 それは非常に興味深いです。


「まぁ絶対にみれるというものではないのですけどね。ですが、坊っちゃんならきっとみれると思いますよ」


 それはさきほど八咫烏をみたから、という理由でしょうか。それとも他に何か理由があるのでしょうか。わからないながらも、ぼくは彼の後をついていきます。

 彼は町の外れの方へと向かっているようでした。


「おっと、いけません」


 いきなり彼は立ち止まると、ぼくを手で制しました。


「坊っちゃん、お隠れなさい」

「どうしたんですか?」

「サトリと山彦がこっちへ来ます。彼らは他人の秘密を探っては広めるというたちの悪い趣味を持っているのです。さぁさ、隠れて隠れて。坊っちゃんが、人間だとバレたら大事です」

「わかりました」

「わたしが適当に相手をしておきますから、坊っちゃんはそこでじっとしていてください」

「はい」

「いいですか、ここにいてくださいよ? 勝手にどこかに行かないでくださいね?」


 こくりとぼくはうなずきました。そして路地裏に入ると、体を丸めて隠れました。それを見届けた彼は、ふたりの方へと向かっていきます。


「やぁやぁ、サトリさん、山彦さんお久しぶりです」


 顔だけを覗かせて、彼とサトリと山彦の会話を聞こうと耳を澄ませて聞こうとしましたが、距離があっていまひとつ内容は聞こえませんでした。

 仕方なくぼくは頭を引っ込めて路地裏に背中を預けて座り込みます。



 しばらくはそうして待っていたのですが、なかなか彼は帰ってきません。

 彼らの会話はまだ終わらないようです。ぼくは次第に暇になってきました。これでは妖怪が生まれる瞬間というのをみることはなかなかできそうにありません。

 そういえば今は何時なのでしょうか。夕方までには帰れると言っていたはずですが、ここにはお日様がないので時間がわかりません。

 ぼくがぼんやりと路地裏にしゃがみ込んでいると、河原の方から、なにか音が聞こえてきました。


 しゃかしゃかしゃか、しゃかしゃかしゃか。


 砂利がこすれるような音と共に、不思議な歌も聞こえてきます。


「あ〜ずき〜あら〜おか、ひ〜と取ってく〜おか」


 しゃかしゃかしゃか、しゃ、かしゃかしゃ。


 ぼくの足は、その音に誘われるようにするすると河原をおりていきます。

 すると川の中程で膝までを水につけて、しゃかしゃかとざるを振っている、ぼくと同い年かすこし下ぐらいの女の子がいました。


「あ〜ずき〜あら〜おか、ひ〜ととってく〜おか」


 先ほど聞こえた歌を歌っているのはその女の子でした。ふつうと違うのは、頭に猫の耳のようなものが生えていることでしょうか。彼女もやっぱり妖怪なのでしょうか。


「あ〜ずき〜あら〜、お?」


 視線に気づいた彼女が顔を上げ、こちらを見ました。


「こんにちは」

「お?」


 ぼくが挨拶をすると彼女が目を丸くしました。


「おまえだれだ? なにしにきた? あずきたべるか? やらないけど」


 くれるのかくれないのか、どちらなのかわかりません。そもそもあずきを食べたいとも思わないのですが。


「なにをしているのですか?」

「あずきあらってる。たべるか?」


 ぼくの質問に答えた彼女は、同じ事をまた尋ねました。やらない、って言ったばかりなのにどっちなのでしょうか。


「あずきってどうやってたべるんですか? そのままですか?」

「しらない」


 ぼくの質問はばっさりと一言で切って捨てられてしまいました。


「あなたは普段はどうやって食べてるんですか?」

「たべない」

「食べないんですか?」

「あたりまえ。たべたらしぬ」


 あずきを食べると死ぬなんて初耳です。というか、そんなものをひとに食べるか尋ねるというのはどういったつもりでしょうか。そして、そんな危険なものをどうして洗っているんでしょう。


「なんでそんな危ないものを洗ってるんですか? 洗うと毒が抜けるんですか?」

「ぬけないよ?」

「じゃあ、なんで洗っているんですか? あずき洗うのが好きなんですか?」

「きらいだけど?」


 わけがわかりません。彼女との会話はどこかがズレているような感じがします。

 そんなぼくと同じような顔を彼女もしていました。


「おまえだれだ? なにしにきた? あずきたべるか? やらないけど」

「わたしはやま――山からきたきつねです」

「きつね?」


 彼女は、きょとんと小首を傾げました。まさかまた人間だとバレたのでしょうか? ぼくは少しばかり気を引き締めて、さも当然のようにつなげます。


「はい。あなたはなにをしているんですか?」


 ぼくは改めて彼女に聞き返しました。


「あずきあらってる。たべるか?」


 彼女はぼくが最初にたずねたときと同じ答えを返しました。 


「たべたら死んじゃうようなものはいりません」

「そうだな。いらないな」


 だったらなんでそんなものを洗っているのでしょうか。どうしたらいいのか、よくわかりません。


「おまえなにしにきた?」

「知り合ったカッパさんにこのあたりを案内してもらっているところでした」

「あずきたべるか?」

「いりません」

「そうだな。いらないな」


 なんだか彼女はさきほどから同じことばかり言っている気がします。なんだか機械としゃべっているような気すらしてきます。


「あなたはなにをして――」


 ぼくはそこではたと気づきました。たしかに彼女は同じことばかり言っていますが、ぼくだってその彼女に同じような質問をくり返しています。彼女のことだけをいうことはできません。

 同じ質問に同じ答えを返すのは、ある意味あたりまえのことです。この場合、機械的なのはぼくでしょうか、彼女でしょうか。両方でしょうか。わかりません。

 ぼくは機械なのでしょうか。

 いいえ、それはないです。さっきのカワウソのときのように化かされたりなんてしません。ぼくは山田太郎という人間です。ちゃんとわかっています。

 ちゃんとわかっている。

 そのことが同時にぼくを不安にさせました。

 さきほどはカワウソに化かされていたために、ぼくは自分が妖怪ではないか、なんて錯覚に陥ってしまいました。しかし、今は化かされていない、とはっきり言えます。

 その状況で、同じ事ばかり言ってしまう。

 そんなぼくは、どこかおかしいのではないでしょうか? そんな不安がぼくを襲いました。

 ぼくがそんなことを考えて黙り込んでいると、彼女は唐突に歌い出しました。さきほどと同じ歌です。


「あ〜ずき〜あら〜おか、ひ〜ととってく〜おか」


 しゃかしゃかしゃか、しゃ、かしゃかしゃ。

 彼女は、あずきを洗うときのその動作も歌も、機械的です。彼女もここにいる以上、妖怪だと思うのですが、カワウソや彼とはなにか違います。


「あなたは、妖怪ですよね?」

「そうだな」

「違うんですか?」

「そうだな」


 そう答えた彼女はまた歌を歌い出しました。


「あ〜ずき〜あら〜おか、ひ〜ととってく〜おか」


 しゃかしゃかしゃか、しゃ、かしゃかしゃ。

 その音を聞いていると、不思議と体が動き出します。気づくとぼくは一歩踏み出し、水に右足が浸かってしまいました。


「あ〜ずき〜あら〜……」


 彼女の歌がとまります。彼女は片足を川につけたぼくをじっと見ました。


「ひとだ、」


 ぽつり、とそうつぶやいた彼女の口が、また動いて、


「おまえ、ひと、だ」


 彼女の瞳がぼくをとらえました。背筋にゾゾゾと寒気が走りました。いけない! と思った時にはもう遅いです。

 しゃかしゃかしゃか。


「あ〜ずき〜あら〜おか」


 しゃかしゃかしゃか。


「ひ〜ととってく〜おか」


 彼女が歌を再開しました。

 まずいです。歌に合わせるように、足が勝手に川の中へ入っていってしまいます。ダメだとわかっているのにとまりません。


「あ〜ずき〜あら〜おか、ひ〜ととってく〜おか」

「ひぃっ」


 そう歌う彼女の顔を見たぼくは、思わず悲鳴を上げました。

 赤く血走った目をらんらんと輝かせ、耳まで口を裂いて真っ赤な舌を見せて笑う化け物がそこにいました。


「あ〜ずき〜あら〜おか、ひ〜ととってく〜おか」


 しゃかしゃかしゃか、しゃ、かしゃかしゃ。

 いまになってようやく彼女の歌の意味が理解できます。

 あずき洗おうか、ひと取って食おうか。

 このままではぼくは彼女に食べられてしまうのです。


「坊っちゃん!」


 彼の声が聞こえました。


「た、助け――」


 ジャボン。

 助けを求めて叫ぼうとした瞬間、もう一歩ぼくの足は勝手に踏み出し、するといきなり川底が深くなっていて、ぼくは足を取られて川に流されてしまいました。

 ぼくはカナヅチです。

 あっという間に水を飲み込んで、おぼれたぼくは意識を失いました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る