第4話 化

「さて」


 船を繋ぎ終えて、周囲を一度見回すと彼は腕を組みました。


「これからどうしましょう。あなたを案内するといいましたが、よく考えてみればこの町には見せて回るような場所なんてとくにありませんし……どうします?」

「はぁ」


 そんなことぼくに聞かれたって困ります。案内してくれるというのでついてきたのですから。


「うーん……どうしましょう」

「こまりましたね」


 思い悩む彼にぼくは適当にあいづちをうつしかありません。

 ぼくらがそうやって悩んでいると、目の前にぴょんとひとりの男の子が現れました。


「こんにちわ」


 一〇歳ぐらいの男の子です。いっけん、ふつうの人間の子のように見えましたが、なにかいろいろと違います。

 わかりやすいところでは、顔からはツンと飛び出た猫のようなヒゲが生えていて、おしりからはふさふさの茶色い尻尾が出ています。もうちょっと細かく見ると、服から覗く手足も妙に毛深かったり、目の色が金色をしていたりと、人間でないことがわかります。

 その一応男の子を見て、おや、と彼が声をあげました。


「やあやあ、カワウソくん。こんにちは」

「ああ、また、一発でバレちゃったかぁ」


 男の子は、カワウソ、というようです。カワウソはショックを受けたようにそう言いました。


「そりゃあ、いつも同じ姿で出てこられれば化けていたってわかりますよ」

「上達したと思ったんだけどなぁ」


 そうぼやいたカワウソは、よっ、とかけ声をくるりとバク宙。

 ドロン、と音を立てて気づいたときには、男の子の姿から、動物の姿――カワウソに変わっていました。カワウソは二足歩行で立ち上がると、よ、と手を上げました。


「カッパ。ひさしぶりだな」


 あまりにも一瞬の出来事にぼくは自分の目を疑いました。ですが、どう見ても目の前にいるのはカワウソです。たしかに、男の子は見た目からして人間ではありませんでしたけど、それでも目の前で姿が変わってしまう、というのは驚きでした。いったいどうなっているのでしょう。


「そっちは誰だろう? ここらでは見かけない顔だけど」


 しげしげと眺めるぼくを指さして、カワウソはそう尋ねます。


「彼はきつねの子です。先ほど河原で干上がっているところを助けていただきまして。彼は生まれてからずっと野山で育ったそうで、お礼にこの辺の案内をしているのです」

「ふーん。きつねの子か」


 くんくんくん。

 カワウソはぼくの体に鼻を近づけて全身の匂いを嗅いできました。鼻息が当たってくすぐったくて、ぼくは体をよじりました。


「やっぱり化ける、っていったら、きつねとたぬきが一歩リードなのかなぁ……匂いまで人間そのままだ」


 全身の匂いをくまなく嗅いだカワウソは、腕を組むとちょっと唇を尖らせてそう言いました。

 それはそうでしょう。ぼくは人間なのですから。


「はじめまして、ぼくは山田――」

「おほん、おほん」


 いけません。そうでした名前を言ってはいけないし、人間だとバレてもいけないのです。首を傾げるカワウソに慌ててごまかします。


「や、ま……やまから来た、きつねです」

「うん、おれはカワウソだ。よろしくな」


 そういってカワウソはちいさな手を差し出しました。


「よろしくおねがいします」


 ぼくはズボンで手を拭いてカワウソの手を握りかえしました。カワウソの手は毛むくじゃらでチクチクします。もっとふわふわの毛だと思っていたぼくはちょっとショックを受けました。


「きつねの子はやっぱり化けるのが上手だな。なぁ、うまく化けるのに、なにかコツがあるのだろう? 教えてくれよ」


 カワウソは両手を合わせてぼくを拝みます。見た目だけで言ってしまえば動物なのですが、その仕草は人間くさくて、トンチンカンな印象を受けます。


「ええと……コツ、と言われても」


 なにしろぼくは化けているのではなくて本物の人間です。そんなことを聞かれても困ります。困ったぼくは助けを求めて彼を見ましたが、しかし彼は助けてくれるつもりはないらしく、微笑みながらこちらを見ています。


「なんというか、ちゃんとした人間の姿を想像して、ドロン、とするのです」


 ぼくはなんとなくそれっぽい感じに口からでまかせを言いました。


「ちゃんとした人間の姿を想像してか……うーん。そういえばおれは今までに本物の人間ってみたことがなかったっけなぁ……おまえさんのそれが『ちゃんとした人間』なのだろう?」


 ぼくは迷わず首を縦に振りました。もちろんです。ぼくは正真正銘、本物の人間なのですから。


「ならそれを参考にさせてもらおうかな……ふむふむ。うん」


 よっ、ドロン。

 カワウソは再び人間に化けました。


「よし、これでどうだろう?」

「おお、カワウソくん。見事です。そっくりですよ」


 驚いたように彼が声を上げます。ぼくも目を丸くしてカワウソを見ました。

 カワウソが化けた人間……それはぼくでした。

 カワウソが化けたぼくは、ヒゲや尻尾が生えていたりすることもなく、ぼくが鏡で見る、ぼくの姿そのままでした。


「ええと……君はカワウソ、ですよね?」


 目の前で見ていたはずなのにそんなことを思ってしまいます。目の前に自分がもう一人いる。あまりのことに、思わずぼくはそう聞いてしまいました。


「そうだよ、おれはカワウソだよ。化けるところを見ていただろう?」


 もちろんです。見ていました。けれど、あまりにもそっくりなので、ちょっと混乱してしまったのです。


「うんうん、これはなかなかそっくりだ。人間にしか見えない。アドバイスありがとう。おまえさんのおかげだよ」

「ええ、それは……よかったです」


 カワウソは自分でもその姿を確認して、満足そうに言いました。化けたカワウソは、その声までぼくそっくりで、なんだかぼくの頭はぐるぐるとしてきました。自分の目の前で、自分と同じ姿で同じ声の人間が、しゃべっているのです。混乱しない方が難しい気がします。


「でも同じ姿がふたついるとややこしいな……よっと」


 ドロン。

 ぼくと同じように思ったのか、カワウソは最初の男の子の姿になりました。


「どうだろう? ちゃんと化けられているかな?」


 しかし、その姿はやっぱりどこかおかしいままです。

 ぼくは首を横に振りました。


「うーん。そうか。なにがいけないのかな。きちんと化けているつもりなのだけど」


 よっと、と声をかけてまたカワウソはぼくに化けます。それから、数回、ぼくの姿と男の子と動物の姿にカワウソは化けました。

 目の前でくるくると何度も回られると、だんだん目が回ってしまいます。自分が二人居るような変な感じと合わさって、ぼくはめまいを感じました。


「うん。もしかすると、おまえさんが化けてるこの姿が、化けるのにちょうどいいのかもしれない」

「ぼくの姿が、化けるのにちょうどいい……?」


 最後にぼくの姿にもう一度化けたカワウソは、納得したようにうなずきました。


「うん、この姿はすごく化けやすい。だからおまえさんもそんなにうまく化けるのかもしれないな」


 『ぼく』に化けたカワウソの口から投げられるその言葉が、ぼくの胸に引っかかりました。


「ぼくが化けている……?」

「どうした? 首を傾げて」


 『ぼく』がそう言って、首を傾げます。

 あれ、なにかがおかしいです。なんだかよくわからなくなってきました。


「ぼくは、人間ですよね……?」

「急になにを言い出すんだ? おまえさんは妖怪だろ? 人間に化けたきつねだって、自分で言っていたじゃないか。そんなにうまく化けてるのに、いったいどうしたっていうんだ?」


 あきれたように『ぼく』がそう言いました。


「ぼくは妖怪の化けた姿……」


 たしかに『ぼく』の言うとおりです。ぼくは自分を人間だと思っていましたが、人間に化けたきつねかも知れません。

 いいえいいえ、ぼくはたしかに人間のはずです。だってこれまでだってずっと人間でしたし、一度もきつねだったことなんてありません。


「あはは、なんだ。もしかしてそっくりに化けすぎて、自分が人間のような気になってしまっているんじゃないか?」


 けれど。


「うんうん。そういう錯覚は、きつねやたぬきがよくする、って聞いたことがある。そっくりに化けているうちに、自分は本当に人間なんだって思い込んでしまって、人間と結婚して子供を産んだ、なんて話もよく聞くしなぁ」


 もしもぼくが自分でも人間だと思い込んでしまうぐらい上手に化けたきつねだったとして。そうではない、とどうやって証明できるのでしょう。


「おまえさんみたいにそっくりに化けられても、自分は人間だって思い込みに飲まれちまうようじゃ、妖怪としてはいまひとつだなぁ」


 ぼくは本当に人間なんでしょうか?

 悩むぼくを見て『ぼく』がにこにこと笑顔を見せます。


「まぁ、うまく化けるコツ教えてくれてありがとう。それじゃあな」


 そういうと『ぼく』はドロンと音を立て、再びへたくそな男の子に化けると、タタタと走っていってしまいました。

 ぼくはそれを見送りながら、呆然として、自分がなんなのかを考えていました。


「どうしました坊っちゃん?」


 そんなぼくに彼は尋ねました。


「……ぼくは、なんなのでしょう?」

「はい?」

「ぼくはきつねですか? それともカワウソですか?」


 ぼくの質問に、目をぎょっと大きく見開いた彼は、


「アハハハハ」


 くちばしが裂けてしまいそうなほど大きく口を開いて、声を出して笑いました。真面目に聞いているのに笑われて、ぼくはすこしばかりむっとしました。


「坊っちゃん。あなたは化かされているのですよ」

「はい?」

「カワウソくんの言葉に、化かされてそんな錯覚をしているのです」


 ぼくが化かされている? いったいなんのことでしょう。


「坊っちゃん、あなたの名前は?」

「山田太郎です」


 そう答えた瞬間、パチン、と頭の中で音が鳴りました。


「あっ」


 思わずぼくは声を上げました。なんだか目が覚めたような心地です。

 そうです。ぼくは人間です。きつねのはずがありません。人間としての幼い頃からの記憶だってちゃんとあります。

 たとえばぼくの右の膝小僧には9歳のときに転んで出来た大きな傷跡が、未だに残っています。

 学校の帰り道で、転んだのですが、膝をついたところにちょうどガラスの破片が落ちていてパックリと裂けてしまったのでした。ぼくはこの傷跡を見るとそのときのことをはっきりと思い出すことが出来ます。

 裂けた傷口、最初は出てこなかった血、傷口から見える肉と油、徐々にしみ出してくる黄色の液体と、それを拭おうと触った瞬間にあふれ出してきた血液。それと同時に襲いかかってくる、心臓の鼓動に合わせてズキズキとする痛み。

 この記憶すべてがねつ造なんて、そんなわけがありません。ぼくはちゃんと覚えていて、傷跡も残っているのですから。


「そうです。ぼくは人間です。山田太郎です」

「ええ、ええ、そうですよ。坊っちゃんは人間ですよ」


 ふふふ、と笑いながら彼はうなずきます。


「ぼくはいつから化かされていたのでしょう?」

「そうですね、カワウソくんはあなたの匂いを嗅いで人間だと気づいたみたいでしたから、そのあとでしょうか」

「えっ」


 人間だと気づかれていたことにまずびっくりです。そしてそんなに前から化かされていたなんて、まったく気づきませんでした。そのことにゾッとします。


「カワウソくんは人間をちょっと化かしてからかうだけの、比較的善良な妖怪です。だからわたしも黙ってみていたのです」


 人差し指を一本立てて言うその姿が若干憎らしいです。


「ところで、坊っちゃん……さきほどわたしのいったことの意味をわかっていただけましたか?」


 得意顔で彼はぼくにそう尋ねました。これを言いたくて、ぼくが化かされるのを黙ってみていたに違いありません。


「ここは妖怪の国、気を抜くとすぐに輪郭があやふやになってしまいます。ご自分の名前と姿を忘れないようにしてくださいね」

「はい」


 ぼくはもう二度と化かされないようにしようと、気持ちを新たに引き締めました。

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