第3話 妖怪の街

 町に入る船は、入り口にある、よく神社の入り口にある朱色の門をとても大きくしたようなものをくぐり抜けます。


「立派でしょう。これは『とりい』というものです。町の中と外、あちらとこちらの境界をはっきりとさせているのです」


 鳥が居ると書いて『鳥居』です、と、巨大なそれを見上げていたぼくに、彼はそう説明してくれました。


「鳥居ですか……たしかに、鳥がとまっていますね」


 鳥居の右の柱の上の方に一羽の黒い鳥がとまっていました。ここから見ると、豆粒サイズですが、鳥居の大きさを考えるとかなり大きな鳥のようにも思えます。


「おや、どこでしょう? わたしには見えませんが」

「ほら、あそこです。あそこ……こっちの柱が上の柱とぶつかったところのちょっと斜め左上……ほら。あの黒い。カラスでしょうか?」

「おや、珍しい。八咫烏ではないですか」


 ぼくの指さす先に、その鳥を見つけた彼は、目を丸く見開いてそう言いました。


「やたがらす、ですか?」


 聞いたことのないカラスです。いえ、もともとぼくはカラスの種類を知らないのですが。それでもカラスにも犬に種類があるように、いくつかの種類があるであろうことはわかります。


「坊っちゃん、坊っちゃん。あなたはとても運が良い。八咫烏に迎え入れられるなんて」

「はぁ」


 イマイチよくわかっていないぼくの表情を見て、彼は苦笑いを浮かべました。


「こんなことを言われても坊っちゃんにはわかりませんよね。すいません」

「いいえ……ですが、あのカラスはそんなに珍しいのですか?」

「八咫烏は天照大神の使い、と言われているんです」

「アマテラスオオミカミ?」


 言いづらくて舌を噛みそうになる名前です。オオミカミ……オオカミかなにかでしょうか? オオカミの使者がカラスというのも奇妙な話ですが、妖怪というのはそんなものなのかもしれません。


「こらこら、天照大神をわれわれ妖怪といっしょにしてはいけませんよ」

「違うのですか?」

「天照大神は神様です」

「神様、ですか」

「坊っちゃんは神様は知っていますか?」

「もちろんです」


 いくらぼくでも、神様は知っています。神社にいる、お賽銭をあげると、願い事を聞いてくれる人のことです。クリスマスにその誕生日をお祝いするのです。

 そう言ったぼくの顔を、彼は複雑な面持ちで見ました。


「なにか違ったでしょうか?」


 そう尋ねても、彼は苦笑いをして首を横に振るだけです。


「あのカラスはその方の使いなんですか?」


 仕方なくそう質問したぼくに、しかし、彼は首を横に振りました。


「あそこにいるあの八咫烏が、本当に使者というわけではないでしょう。彼らの世界とわれわれの世界は近いようで違いますから」

「はぁ」


 その言葉からさっするに、妖怪の世界と人間の世界以外にも世界があるようです。


「ではあれはなんなのでしょう?」

「八咫烏です」


 彼はそう即答しました。どういうことなのかぼくにはさっぱりわかりません。


「ハハハ。わからないですか。そうですよね。それでけっこうです。とりあえず、アレを見れたことが良いことだとわかれば……そうですね。坊っちゃんにわかりやすい例で言いますと、流れ星を見た、と思っていただくといいかもしれません」

「流れ星ですか」


 それはたしかに、見ることが出来たらうれしくなるものだという気がします。


「さて、進みましょう。きっといいことがありますよ。なにしろ八咫烏に迎えられたんですから」


 めずらしいモノを見たことで幸運を全部使っちゃった、ってこともあるのでは、と思いましたが、得意げにいう彼に悪いので、それは胸にしまっておきます。


「船で行けるのはここまでです。ここからは歩いてきます。さぁ、おりてください」


 鳥居をくぐった先には地面が広がっていて、そこへと船をつけた彼にうながされ、ぼくは船をおりました。



 地面をふむと、ながい時間、波に揺られていたせいか足下がふわっとしました。

 町の中はおおよそ次のようになっていました。

 まず、いまぼくがくぐってきた鳥居から繋がるように大きな通りが、ずっと遠くまで続いています。

 その通りからそれよりは小さな大通りや、小さな通りが左右に広がり、それらの道からも枝分かれしたさらに細い道が遠くの方まで続いています。まるでこの大通りを太い幹とした大樹のようです。

 そしてそれらの道に面したところに、大小様々な建物がならんでいます。ですが、建物はすべて木で出来ていて、古びた感じがどこかするものばかりです。ものによっては、ツタがぐるぐる絡んで緑の建物に見えてしまうほどです。

 そうして、それらの建物や通り、それから空中。そこかしこに変な姿の生きモノがいて、さらにそれと同じぐらいかそれ以上に人間に近い格好をした生きモノがいて、わいわいがやがやと騒いでいます。

 町全体から活気が溢れていました。

 町のひとたちは、新しく鳥居をくぐってやってきたぼくらをちらっと見ては、すぐに興味を無くしたように視線をそらします

 周囲の見慣れぬ景色にいろいろと驚きながら、あちこちに視線をやっていると、後ろで船を地面から出た杭にロープでつないでいた彼が、そうだ、と声を上げました。


「坊っちゃん坊っちゃん。ひとつ言い忘れていました」


「なんでしょう」


 それらの光景に目を奪われて、あちこちに視線を向けたまま、ぼくは聞き返しました。


「もしもほかの妖怪にあなたが人間だと知れると面倒です。なにか聞かれたら、きつねの妖怪ということにしておいてください」

「わかりました。きつねの妖怪ということにします」


 面白い周囲の景色から目を離したくなくてぼくは適当にあわせます。


「それから、名前を聞かれても決して教えてはいけませんよ」

「はい」


 またも適当にうなずいたぼくの肩を、彼はちょんちょんとつつきました。


「坊っちゃん坊っちゃん。ちゃんと聞いてください。これは坊っちゃんの命に関わる大切なことなのです」


 思わずぼくは彼を振り返りました。さっきも命が危ないことがある、と言われましたが、またです。もしかしてぼくはとても危ないところへ連れてこられたのではないでしょうか?


「命、ですか……」

「はい。名前を知られると、坊っちゃんの命が危ないのです」

「名前を知られると、命が……?」


 困ったことにぼくはこれまでに何度も自分の名前を人に教えてしまっています。もしもそれが本当だとしたら、ぼくは今までに何度命の危機を乗り越えてきたのでしょうか。

 そこで、あ、とぼくは気づきます。ここは妖怪の世界。知られるといけないのは妖怪相手の話でしょう。

 なるほど、と勝手に納得するぼくに、彼は続けます。


「名前というのはその人の輪郭です。それを教えることは、相手に自分の全て――命までもを見せることに等しいこと。妖怪によっては名前だけで相手を好きに出来るような力をもっているのもいるのです」

「そうなんですか。それはこわいですね……あっ」


 うなずいたぼくは、あることに気づいて思わず声を上げてしまいました。

 ぼくはすでに彼に名前を教えてしまっています。ひょっとしてすでに命の危機なのではないでしょうか。そもそも、安全だからと言って連れてこられたのに、命の危険の話ばかりなんて、おかしいと思っていたのです。彼はぼくをどうこうするつもりなのではないでしょうか?

 ぼくは慎重に彼から一歩離れます。


「安心してください。わたしにはそんな力はありません」


 そんなぼくを見て、彼は困ったように笑いながらそういいました。


「そうなのですか?」

「はい。それに仮にあったとしても、命の恩人である坊っちゃんにそんなことはいたしませんよ」


 ニコニコと笑う表裏のないその顔に、ぼくはひとまず、ほっと息をつきます。そこでぼくはさきほどの会話を思い出して、新たな疑問が浮かびました。


「ですが、さきほどぼくの名前は、ぼくを指していないといいませんでしたか?」

「たしかに坊っちゃんのお名前は、坊っちゃん自身だけを指してはいません。けれど、坊っちゃんは、その名前の中に含まれているのです」

「はぁ」


 いまひとつその意味がわからなく、あいまいな返事になってしまいます。最近似たようなことを数学の授業で教わったような気もしますが、よく思い出せませんでした。


「坊っちゃんいいですか、誰に聞かれても名前を教えてはいけませんよ?」

「わかりました」

「絶対ですよ」


 そう念を押す彼に、ぼくは、しっかりとうなずきました。そんなぼくを見て彼も安心したようにうなずきます。

 それからふと浮かんだ疑問を口にします。


「それだとあなた方妖怪はたいへんではないのですか? あなたはカッパ、という名前で、他にもカッパはたくさんいると言っていました。ぼくの名前が、ぼくだけを指していなくてもぼくを含んでいるように、カッパという名前もあなただけを指していなくてもあなたを含んでいるはずです。カッパは見た目ですぐにそれとわかってしまうのでしょう? いつも命が危険なのではないですか?」


 そう尋ねたぼくに、彼はきょとんと目を丸くして、


「アハハハ」


 なにが面白かったのか、大きな口を開けて笑いました。緑色のくちばしから真っ赤な舌がチロチロと覗きます。


「あの……」


 げらげらとおなかを抱えて笑う彼に、ぼくは戸惑ってしまいます。


「い、いえ、スイマセン」


 ひぃひぃ、と息をついて彼は頭を下げました。


「坊っちゃん、心配してくださってありがとうございます。ですが、わたしたちは妖怪です。人間ではありません。そんなものは関係ないのですよ」


 顔を上げた彼はうれしそうに笑いました。


「はぁ」


 ですがぼくにはなんだかよくわからない話です。

 妖怪とはなんなのでしょうか――ああ、そうです。そもそもはそれを知るためにこの町にきていることをぼくは思い出しました。

 今はわからなくてもこれからわかるのでしょう。


「もっとも」


 考えるぼくを見て、どこか面白そうなまなざしをした彼が切り出しました。


「坊っちゃんの言うように、そういう意味での個人の『名前』を持っている妖怪もおります」

「いるんですか?」

「はい。とても強力で人間に近い妖怪は『名前持ち』であることが多いですね。彼らは、あなたの言うように自身の名前を他者に知られることを恐れ、きらいます」


 そうですね、と少し考えるようにして彼は続けました。


「金太郎、という昔話をご存じですか?」

「ええ、はい。それは知っています」


 まさかりかついで金太郎、熊にまたがりお馬の稽古。

 はいしどうどうはいどうどう。はいしどうどうはいどうどう。

 ぼくは覚えている金太郎の歌をうたってみせました。二番もあるはずなのですが、この曲はいつも一番しか思い出せません。


「そうです。その金太郎です。その昔話に出てくる、金太郎に退治される鬼がいましたよね?」

「…………?」

「覚えていませんか?」

「ええと……」


 がんばって思い出そうとしても金太郎のお話を思い出せません。その歌と、まさかりを担ぎ、熊にまたがり赤い前掛けをした丸々としたこどものイメージしか出てきませんでした。絵本なんかでちいさなころ読んだはずなのですが。


「鬼退治をするのは、桃太郎ではないのですか?」

「ああ、はい。桃太郎も退治しますが、金太郎も退治するんですよ」

「そうなんですか」


 言われてみればそうだったような気もします。金太郎は、熊と竜と猿なんかを連れて行ったような気がします。


「連れて行ってませんよ……」


 そう言ったら、あきれたように首を振られました。


「それでですね。その金太郎に退治された、酒呑童子(しゆてんどうじ)や茨木童子(いばらきどうじ)という鬼は有名な名前持ち……なんですが」


 彼はちょっと困った顔をしました。


「わからないみたいですねえ」

「すいません」


 いえいえ、いいんです。と彼は手を振りました。


「他にも坊っちゃんが化けていることになっているきつねであれば、玉藻(たまも)が有名な名前持ちですね。彼らは自分の名前を知られることを嫌います」

「でも知られちゃってるじゃないですか」


 そのひとたちはいつも命の危険にびくびくしていてさぞたいへんだろうと思います。


「そうですね。彼らは有名すぎるのでしょうがないのです。ですが彼らはその分、力もつよいので平気なんですよ」


 なんだか複雑な気持ちです。そんな都合の良いことがあって良いのか、というような気がします。ぼくの心配した気持ちを返して欲しくなります。


「ま、わたしのような、ちっぽけなカッパなんぞには関係のない話です」


 彼はさっきのことを思い出したのか、イヒヒ、と小さく笑いました。

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