第十六話 見えざる「希望」

 〈生命の剣グレイヴループ〉と、その持ち主を引き渡すこと――それが、〈黒龍の牙〉が大富豪の御曹司たるニットン・ジェルフを生きて返す条件だった。表向きそうとは知れなかったが、盗賊団の要求はすぐにジェルフ家や関係各所にも伝えられたはずである。

『わたしはかまわないが……剣だけを渡せ、という要求ではないのだろう?』

 生命の剣に宿る知性ウイングは、ベッドに転がり剣の柄を見上げる少年に確認した。

「ああ、誰でも触れるわけじゃないっていう情報も得ているらしいな。たぶんハイドラから」

『他にあてもないだろうしな』

 ハイドラもまた、生命の剣の現在の持ち主がラッセル・ジェルフであることも、それ以前に生命の剣の存在そのものも知らないはずだった。

 その謎はイグニスからの報せを聞いた後、ラッセルの前に姿を現わした少年によって解明されている。

「ハイドラに剣のことを知らせたのはオレだ。なにかお前の弱点になるようなことはないのかって聞かれたから……」

 ばつが悪いのか、赤毛の少年は目を合わせない。

 剣を持っているという事実を知ればむしろラッセルに手出しし難くなるとも思えていたが、一方で秘密を誰かに伝えればその剣をつけ狙う者が現われることも想像できる。だから、その秘密がラッセルの弱点となり得ることは想像できた。

「でも、こんなことになるなんて……ハイドラがあの剣のことを知ったところで、せいぜい他の学生たちや先生方にでも言いふらす程度かと思ったのに」

 確かに、そう考えるのも無理のないことだ。この魔法学院から出ない前提ならば。

 ハイドラが拘束されたことも、盗賊団がラッセルごと〈生命の剣〉を要求してきたことも、ウィーバのことばがなければ起こり得なかったことだ。

 ――こうして僕に話しているってことは、少しは責任を感じているってことか?

 そうは思うものの、あまり感情を動かされる話ではない。ハイドラに大した好意もなく、ラッセルにとっては、兄の身に訪れた危険が自分に及んだだけである。しかも、引き換えに兄は助かる可能性が出てきたのだ。

 ――少なくとも、取引材料にするからにはまだ生きているわけだ。

 兄にもさほど好意は抱いていないが、自分の命に対する価値もそれほど感じていない。そんなラッセルにとっては悪い取引でもないように思えていた。なにしろ、兄の身に大事があれば結局、束の間手に入れた自由は奪われるのだから。

「一度言ったことは取り戻せない。気にしても仕方ないことは気にするな」

 気を使ってのことばではない。ただ、去り際にちらりと振り返ったそこにあった赤毛の男子学生の顔には、少しだけ安堵したような表情が浮かんでいた。

 その後、間もなく自室に戻っての今のベッドの上である。

「ま、どうせ僕に選択肢はない。ジェルフ家が行けと言えば行くだけのことだ」

『キミ以上にわたしには選択肢がないがな』

 移動手段のないウイングは特に感情もこめず、当然のことのように言う。

『しかし、決めるのはキミの家だけとは限らないのではないか? すでに事態は警備隊などにも伝えられているのだろう』

「確かにそれはそうだけど……」

『この生命の剣などの魔法の武具は安いものではない。だからこそ盗賊たちも手に入れようとしているのだからな。目がくらむのは盗賊だけとは限らない』

 漠然と、ラッセルにも剣の知性が言いたいことが分かってきた。この魔法剣を手にしようという者からの横やりがあるかもしれない。

 しかし、剣の主たる少年がはっきりとそれを確認することになるのは、翌朝のことだった。


 最初の授業が終わったあと、ラッセルは教授を通じて学長室に呼び出しを受けた。覚悟はしていたが、張り詰めたような気分で部屋に踏み込む。

 机の向こうの学長は、気遣うような淡いほほ笑みで少年を迎えた。

「〈アクセル・スレイヴァ〉から連絡があってな。きみと生命の剣は〈アクセル・スレイヴァ〉にて預かるという話で、明日には迎えが来るという。盗賊団〈漆黒の牙〉については、魔法騎士団が対応するという話だ」

 魔法の武具も本来、魔術師たちを統括する〈アクセル・スレイヴァ〉により持ち主が登録され、管理されるものだ。そう、授業でも習っていた。

『〈アクセル・スレイヴァ〉の魔法騎士団が? それでニットン・ジェルフを救出する策が何かあるのか?』

 魔法剣のことばに、シヴァルド学長はわずかに表情を曇らせる。

「おそらく、代わりの魔法の武具でも用意するのだと思うが……詳細は伝えられてはいない」

 そもそも、ジェルフ家の方はもともと取引に応じるか、自分たちのもとに生命の剣ごとラッセルを呼び戻すかで議論が分かれていたという。それはラッセルにとっても予想通りのことだった。きっと、父を初めとするジェルフ家の者たちは〈有能で表舞台で脚光を浴びてきたこの家の御曹司〉と、〈日陰者の、存在しないことになっていた御曹司の代用品と扱いにくい魔法剣〉を損得基準で天秤にかけるだろう、と。

 そうにしても、なかなか難しい判断だろうとも思っていた。なにしろ、生命の剣は強力な魔法の武具であると同時に呪いのようなものだ。使い手は早死にするかもしれないという点からして、ジェルフ家の跡取りに相応しいとは言い難いかもしれない。

 しかし、〈アクセル・スレイヴァ〉による横やりでジェルフ家の議論は強制的に終了させられた。魔術師たちの統括機関にとって、一富豪の利益や後継ぎ問題などどうでもよいことだ。

 ――〈アクセル・スレイヴァ〉は、ニットンを見捨てる気なんじゃないか。

 学長の気休めのようなことばはあまり頼りにならず、そんな懸念が払拭できなかった。


 昼までの授業を終えたあと、ラッセルはふと気になることを思いつき、図書館に足を向けた。魔法騎士団とはどんなものか。その性質が分かれば、騎士団が〈漆黒の牙〉にどんな対処をするつもりなのかわかるかもしれない。

 本城を出て間もなく、背後から追いかけてくる気配。

「ラッセル、あの話、本当なのか?」

 足音や気配でなんとなく気づいていたが、かけられた声色は間違えなくセタンのもの。

「ああ、本当だよ」

「本当って! なんでそんな冷静に言うかね。ここから去らなきゃいけないんだろ?」

 立ち止まりも振り返りもせず答えるのに、後ろからの声もついてくる。

「そうだな。明日には迎えが来るんだから、授業が終わったら準備しておかないとな」

 具体的なことが想像できていなかったことに気づいて、ラッセルはこっそり苦笑する。だが、それもすぐに顔から消えた。

「なるようにしかならないんだから、どうしようもない」

 図書館の扉を開ける。まだほとんどの学生たちは食事中だ。利用者の少ない、普段以上に静かで人の気配のない空間に滑り込む。紺色のローブもそれに続いた。

「なにを探すんだ、こんなときに」

「〈アクセル・スレイヴァ〉の魔法騎士団について」

 わざわざ誰かにきくまでもない。思えば、この図書館にも何度も足を運んだものだ。どんな内容の書籍がどこに配置されているのか、すでにほぼ把握し切っている。

 できるだけ足音すら立てないようにしながら、本棚の合間を抜けて目的の辺りに向かう。

 その、途中。

 机に本を何冊か積んで、開いた一冊を手でめくっている見覚えのある姿が目に入った。視界に入るとつい見て見ぬ振りができず注視してしまう、特徴的な服装に白い仮面、見た目とは逆の印象を見るものに与える、理知的な澄んだ目。

「探し物か。こんなときにも勤勉だな」

 備え役の巡回も休憩時間らしい道化師が、視線は本の上のまま言う。

 そこに、ラッセルより早くセタンが口を開く。

「道化師さん、なんとかならないのかよ? このままだと、ラッセルはここから出なきゃいけないんだよ。それだけならまだしも、〈アクセル・スレイヴァ〉が預かるってことは監視される生活が始まるってことだろ」

 今までも代用品として自由のない生活を過ごしてきたラッセルにとって、監視生活はそれほど違いがあるとは思えなかった。このエレオーシュ魔法研究所よりは不自由で窮屈であろうことは予想できるが。

 道化師はやっと顔を上げ、その目をラッセルに向けた。

「監視生活が嫌だろうというのはあくまでセタンの感想。きみはどうしたいと思っている?」

 少年はなにかを見透かされそうな気がした。

「仕方がないと思っている。僕に覆せるようなものじゃない」

「それもまた、ただの〈感想〉だな」

 溜め息交じりに応え、続ける。

「周りがどうなっているからというそれに対する感想ではなく、きみはどうしたい? もし、きみがひとつだけどんな望みでも叶えられるとしたら」

 そんなこと実際にはあり得ない――とは言い切れない。目の前の備え役の魔術師を含め、この古城には伝説級の魔術師が何人もいるのだ。もしかして、希望すれば手に入るのかもしれない。

 そんなのは嘘だ、きっと甘い罠なんだ。願えば肩透かしをくらう。心のどこかでそう思うのは、きっと防御反応とも呼べるもの。実際、淡い希望には違いないが。

 ――僕が望むもの、それは。

「……このままここで魔法について学びたい。できれば誰を犠牲にすることもなく」

 口に出して、やはり無理だ、と彼は思う。

「〈黒龍の牙〉を壊滅させニットン・ジェルフを助け出すことまではできるだろう。問題は、〈アクセル・スレイヴァ〉に剣の存在を知られているということだ。それをどうにかするには、生命の剣を手放すか、手放したと思わせるか、剣に大した価値はないと思わせるしかないな」

 剣に新たな持ち主が現われることはあるのか?

 ウイングにそう尋ねたことがあった。答えは、『元の持ち主が死なない限りは現われない』だ。

「それ、どうにかできないの?」

 セタンの問いに、道化師は肩をすくめる。

「それはまず自分たちで考えることだ。きみたちも魔術師の卵なのだから」

 誰かに助けてもらおうなど、やはり甘い考えだったらしい。

 ただ、目的の本を探し始めたとき、なぜかラッセルの気分は少し晴れていた。

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